大畑豊さん インタビュー
大畑豊 さん
2011年11月7日(月曜日)15:00-17:00
1.アクティビズムへの関わりのきっかけ
2.平和運動のいま
3.教育に対するご意見
以上の三点をお聞きしたかった。
これまで教育関係に従事する研究者・教育者に話を聞いてきて、
1.教育研究と教育実践現場をどうつなげるか
2.研究者/教育者の社会的アクティビズムの有効性
3.教育者としての教育実践の工夫
というような活動そのものが「アクティビズム」であると捉えられること、捉えられていることがわかった。おもしろい人選だったなと思った。
しかし、あまりにもクリアに三人三様であったために、あるいはそのように「パターン化」してしまうわたし自身の悪い癖で、トカトントン、とんと興味が続かなくなった。3.11効果はその程度だったのか?
そこで、アクティビズムの側にいる人々を何人かインタビューすることで「対話と共考」を深められないかと思った。数多いる活動家たちとなると、選ぶ範囲も広がる。そこもまた直感とご縁ですすめていこう。
大畑さんとはグリーンピース時代に実施した非暴力トレーニング以来のお知り合いかもしれない。時々に出会うので、スリランカの方とのインタビューの時同席していただいていたのをきっかけに、インタビューをお願いした。
【アクティビズムへの関わり】
高校生の時に「社会問題研究会」(主に福祉関係のボランティア活動を行っていた)に所属していました。同時に柔道部でも活動。ボランティア活動には、当初そんなに熱心でもなかったが、おもしろい人々との出会いがあり、積極的に関わるようになりました。
大学でも続け、リーダーやサブリーダーなどをしていて、社会問題を扱っている人々と出会いがありました。そんな関係で市民運動デビュー。最初は反原発でした。国会前や日比谷公園などに出かけました。80年代のことです。デモにも行きましたが、機動隊が多いのに驚いて、恐る恐るという感じでした。その頃、「アジア人の英語教室」というのに参加。阿木幸男さんがやっていて、流暢に話すのではなく、アジア人とのコミュニケーションのツールとしての英語を勉強しようというもの。それが阿木さんとの出会いでした。そこで「非暴力トレーニング」に誘われて、その後私自身もトレーナーになり、原発のない社会を目指す3泊4日の合宿の手伝いをし、その合宿の最後には原発の危険性を訴えるゲリアシアター(寸劇)を横浜駅前でやったりしました。
歌って踊れる市民派「歌劇派非暴力団」(非暴力アクションネット)というのをトレーニング参加者とつくり、核燃料搬出阻止の座り込みや行進等いろいろ行いました。
あるとき東電の株主総会会場の前で、蝶ネクタイのスーツ姿並び歌を歌ったのですが、株主たちは余興かと思って聞いていると反原発の歌だった、ということもやりました。
PKO法案反対行動のときに、人間の鎖で国会をとりまく活動の前には、ピースキーパーと呼ばれる、参加者と警官隊との間に問題が発生したときに対応する人たちをトレーニングし、不当な逮捕を予防する活動も行いました。
山谷の炊き出しなどは専従としてやった時期もあります。アイヌ一万年祭を手伝いに二風谷へも出かけたりもしました。
大学を出て3年間福祉の仕事をしたあと、ピースボートの「日本国中原発アッチコッチ見聞録」という全国の原発を海から訪ねるツアーに参加。
その後オーストラリアにワーキングホリデーで行きました。普通にバイトしながら旅しようと思っていたのですが、最初に阿木さんに紹介された平和運動家の家にホームステイしたら、次の活動家の家を紹介され、結局平和運動家巡りみたいになりました。アボリジニーのコミュニティを訪れていた時、湾岸危機があり、「イラクがクウェートに侵攻した」とのニュースがラジオから聞こえてきて驚きをもって聞いていました。帰国後、日本政府が戦費協力しようとしていたので、それに反対する活動に参加し、湾岸戦争戦費差し止め平和訴訟にも参加しました。
そのとき最大の暴力である戦争に対してわたしたちは無力なのだろうかと考えさせられました。
そんな時に米国の知人に紹介されPeace Brigade International(PBI)の活動に出会いました。PBIというのは、紛争地帯で非暴力的に活動している人に同行することでその人の命を守る活動です。
http://www.peacebrigades.org/
ちょうど「トレーニングがあるから参加してみないか?」と誘われました。当然、トレーニングを受けたら派遣ということになるのはわかっていました。日本人としての参加は初めてでした。
紛争地での活動ですので、当然それなりの危険も伴うので最初迷いました。PBI経験者で非暴力トレーニングの第一人者でもあるジョージ・レイキーやスリランカから逃れてきた人とかにも話を聞いたりしました。
スリランカに1993年から94年に派遣され約9ヶ月活動に従事しました。その頃は3ヶ月単位でかわっていたりしましたが、今は1年以上とかになっていると思います。平和構築は短期間では信頼関係を築けないというのがその背景にあるようです。
任務が終わったらすぐに出国するのが規則なので、インドに渡り、ガンジーのアシュラムにいくつか行きました。そのときにガンジーの思想と実践の広さと深さに気付かされ、帰国後にガンジーの本をいろいろ読み影響を受けました。非暴力ということでは沖縄の阿波根昌鴻さんに出会ったことは、非暴力のあり方について考える上で大きかったです。地に足着いた非暴力の迫力。難しい言葉がひとつなくて、ズシンと胸にしみる阿波根さんのお話しには感銘を受けました。
彼は戦前、農民学校をつくろうとしていて、少しずつ少しずつ島の土地を買っていました。構想の8割方できたいたそうですが戦争で破壊され、戦後、米軍に強制収容され、その後の半生は農民学校の実現と平和のために捧げられました。
困ったときは、こういう時、阿波根さんならどう考えるかな、どうするかなと思ったりします。
インドから帰国後、田畑健さんという日本でガンジー思想を実践しようと和綿を育て、チャルカ(ガンジーの薦めた手糸紡ぎ機)をしている人に出会いました。『ガンジー 自立の思想』の編集にたずさわった人です。鴨川和棉農園を営んでいます。
http://homepage2.nifty.com/wamen-nouen/
そこのワークシッョプに参加して、和綿の種をもらい、いま、育てています。自分のマフラーでもつくりたいと思っています。
ガンジーは現在我々が享有している「富」と「豊かさ」をもたらした近代化文明・機械化文明が様々な問題を引き起こしており、「人類にとって禍根を残す」ものとし、他国の犠牲を前提とした経済システムを徹底的に批判しました。全ての人々が持てないものを持つことは搾取である、とガンジーは言います。地球上の資源が限りあることを考えれば、これはあながち大袈裟な表現でもありません。
また工場でできたものは安くて均一で質も高いかもしれませんが、少ない人数で生産できるため多くの失業者も出します。自分は安くていいものを手に入れることができるかもしれないが、その社会的代価は高くつく。一人ひとりがチャルカという小さな工場の主人となれば、経済的自立ができるとともに、その結果として精神的自立もでき、インドも国として独立していく、とガンジーは考えていました。
現代社会をガンジーの視点から見直すことは、全人類がいかに共存していくかを考えるに当たってたいへん有益であると思います。
【平和運動のいま】
ガンジーの非暴力は、政治運動もあるけれど、日常生活という足元からのアクティビズムですね。「もしも、変革を望むなら、その変革を生きなさい」という。
PBIのような「護衛的同行」の活動をしている団体は世界に20ほどあり、平和構築に関わる団体、運動体もたくさんあります。
ランダムに思いつくものを挙げて見ると
・政党系の平和運動
・ガルトゥングの平和学、対立の解決―トランセンド
http://www.transcendjapan.org/
・1999年ハーグ平和アピールの主催団体の1つPeace Buerear
・ジュマネットなど、個別の紛争地域の問題に特化したもの
・良心的軍事費不払い運動
・CAP(Child Assault Prevention=子どもへの暴力防止プログラム)活動
http://www.cap-j.net/
暴力は事件であるので記録されるけれど、非暴力的にうまく解決した場合は「事件」ではないので書き残されない、記事にならない。だから歴史を見ると「人間の歴史は戦争だらけだ」とつい思ってしまう。実際はたくさんの成功例がある。非暴力の歴史をきちんと記録することが必要。
Peace is not news.
これを変える必要がある。
【教育について】
高校生のためのワークショプなどに呼ばれることがある。参加型のコミュニケーションに慣れていないことや、先生に言われての望まない参加であると参加の意欲が低くうまくいかない。もちろん先生自身がきちんと理解しどのように説明、誘ったかということも関わってくる。参加人数よりも参加意欲がワークショップには重要。通常の授業でも、対話型、教員と生徒の間も含めて、コミュニケーションのある学び方をしていく必要を感じる。
教育と関係あるか、わからないが、PBI等での経験で、会議でどんなに激論になっても会議が終わると何もなかったように談笑が始まる。日本でこれだけの激論になったら人間関係にもかなり影響が出てくると思うのだが、意見と人格をきちんと分け隔てること、忍耐強く相手の話を聞く訓練は小さい頃からしないと(小さい頃からしても?)身に付かないのではないかと思う。
【その他】
・議論では相手と違う点に注意がいってしまうが、ガンジーや阿波根さんは「相手を受け入れ、共通の基盤を探し出す」ことがたいへんうまく、「敵」をも「味方」にしていくところにその醍醐味がある。相手を言い負かすという態度でなく、阿波根さんの言う「相手を教え導く」姿勢というものが足りないと常々感じる。
・『被抑圧者の演劇』(アウグスト・ボアール , 里見 実 (訳)晶文社)の手法は興味深い。例えばある問題設定(夫婦喧嘩とか、社会問題とか)をした劇を演じ、途中からは観客も参加して、その解決策を観客自身も演じながら考えていく。非暴力トレーニングや他のワークショップでもロールプレイ(役割劇)としてこの手法を取り入れている。本書は絶版だが、ボアールの使った手法を紹介した本が近々出版されるので待ち遠しい。
【いただいた参考資料】
・非暴力平和隊・日本NPJ ニュースレター 第40号
以下案内チラシ:
・高岩仁監督作品上映会「教えられなかった戦争・沖縄編」2012年1月28日
・映画「福島 六ヶ所 未来への伝言」2012年 秋公開予定
・「あなたの食卓何ベクレル?」11月13日(浦和パルコ)
・「フクギの雫」 2011年12月3日(文京シビックホール)
・「終焉に向かう原子力」第13回2011年12月17日文京区民センター
【参考情報】
「別冊宝島 原発の深い闇2」11月発行
「ガンジー・自立の思想」 M.K.ガンジー、地湧社、1999
鴨川和棉農園 http://homepage2.nifty.com/wamen-nouen/
「木綿以前の事」 (岩波文庫) 柳田 国男
ハーグ平和アピール 1999年
http://www.ne.jp/asahi/nozaki/peace/data/hap_outline.htm
「被抑圧者の教育学・新訳」パウロ・フレイレ、亜紀書房、2011
その他、ロケットストーブやUnder Controlなど、情報満載のインタビューでした。後半は、いろいろと雑多な情報交換になってしまいました。もっと、深い分析をいっしょにできたらよかったのにと思いました。別の機会に、別の形で。
2011年11月7日(月曜日)15:00-17:00
1.アクティビズムへの関わりのきっかけ
2.平和運動のいま
3.教育に対するご意見
以上の三点をお聞きしたかった。
これまで教育関係に従事する研究者・教育者に話を聞いてきて、
1.教育研究と教育実践現場をどうつなげるか
2.研究者/教育者の社会的アクティビズムの有効性
3.教育者としての教育実践の工夫
というような活動そのものが「アクティビズム」であると捉えられること、捉えられていることがわかった。おもしろい人選だったなと思った。
しかし、あまりにもクリアに三人三様であったために、あるいはそのように「パターン化」してしまうわたし自身の悪い癖で、トカトントン、とんと興味が続かなくなった。3.11効果はその程度だったのか?
そこで、アクティビズムの側にいる人々を何人かインタビューすることで「対話と共考」を深められないかと思った。数多いる活動家たちとなると、選ぶ範囲も広がる。そこもまた直感とご縁ですすめていこう。
大畑さんとはグリーンピース時代に実施した非暴力トレーニング以来のお知り合いかもしれない。時々に出会うので、スリランカの方とのインタビューの時同席していただいていたのをきっかけに、インタビューをお願いした。
【アクティビズムへの関わり】
高校生の時に「社会問題研究会」(主に福祉関係のボランティア活動を行っていた)に所属していました。同時に柔道部でも活動。ボランティア活動には、当初そんなに熱心でもなかったが、おもしろい人々との出会いがあり、積極的に関わるようになりました。
大学でも続け、リーダーやサブリーダーなどをしていて、社会問題を扱っている人々と出会いがありました。そんな関係で市民運動デビュー。最初は反原発でした。国会前や日比谷公園などに出かけました。80年代のことです。デモにも行きましたが、機動隊が多いのに驚いて、恐る恐るという感じでした。その頃、「アジア人の英語教室」というのに参加。阿木幸男さんがやっていて、流暢に話すのではなく、アジア人とのコミュニケーションのツールとしての英語を勉強しようというもの。それが阿木さんとの出会いでした。そこで「非暴力トレーニング」に誘われて、その後私自身もトレーナーになり、原発のない社会を目指す3泊4日の合宿の手伝いをし、その合宿の最後には原発の危険性を訴えるゲリアシアター(寸劇)を横浜駅前でやったりしました。
歌って踊れる市民派「歌劇派非暴力団」(非暴力アクションネット)というのをトレーニング参加者とつくり、核燃料搬出阻止の座り込みや行進等いろいろ行いました。
あるとき東電の株主総会会場の前で、蝶ネクタイのスーツ姿並び歌を歌ったのですが、株主たちは余興かと思って聞いていると反原発の歌だった、ということもやりました。
PKO法案反対行動のときに、人間の鎖で国会をとりまく活動の前には、ピースキーパーと呼ばれる、参加者と警官隊との間に問題が発生したときに対応する人たちをトレーニングし、不当な逮捕を予防する活動も行いました。
山谷の炊き出しなどは専従としてやった時期もあります。アイヌ一万年祭を手伝いに二風谷へも出かけたりもしました。
大学を出て3年間福祉の仕事をしたあと、ピースボートの「日本国中原発アッチコッチ見聞録」という全国の原発を海から訪ねるツアーに参加。
その後オーストラリアにワーキングホリデーで行きました。普通にバイトしながら旅しようと思っていたのですが、最初に阿木さんに紹介された平和運動家の家にホームステイしたら、次の活動家の家を紹介され、結局平和運動家巡りみたいになりました。アボリジニーのコミュニティを訪れていた時、湾岸危機があり、「イラクがクウェートに侵攻した」とのニュースがラジオから聞こえてきて驚きをもって聞いていました。帰国後、日本政府が戦費協力しようとしていたので、それに反対する活動に参加し、湾岸戦争戦費差し止め平和訴訟にも参加しました。
そのとき最大の暴力である戦争に対してわたしたちは無力なのだろうかと考えさせられました。
そんな時に米国の知人に紹介されPeace Brigade International(PBI)の活動に出会いました。PBIというのは、紛争地帯で非暴力的に活動している人に同行することでその人の命を守る活動です。
http://www.peacebrigades.org/
ちょうど「トレーニングがあるから参加してみないか?」と誘われました。当然、トレーニングを受けたら派遣ということになるのはわかっていました。日本人としての参加は初めてでした。
紛争地での活動ですので、当然それなりの危険も伴うので最初迷いました。PBI経験者で非暴力トレーニングの第一人者でもあるジョージ・レイキーやスリランカから逃れてきた人とかにも話を聞いたりしました。
スリランカに1993年から94年に派遣され約9ヶ月活動に従事しました。その頃は3ヶ月単位でかわっていたりしましたが、今は1年以上とかになっていると思います。平和構築は短期間では信頼関係を築けないというのがその背景にあるようです。
任務が終わったらすぐに出国するのが規則なので、インドに渡り、ガンジーのアシュラムにいくつか行きました。そのときにガンジーの思想と実践の広さと深さに気付かされ、帰国後にガンジーの本をいろいろ読み影響を受けました。非暴力ということでは沖縄の阿波根昌鴻さんに出会ったことは、非暴力のあり方について考える上で大きかったです。地に足着いた非暴力の迫力。難しい言葉がひとつなくて、ズシンと胸にしみる阿波根さんのお話しには感銘を受けました。
彼は戦前、農民学校をつくろうとしていて、少しずつ少しずつ島の土地を買っていました。構想の8割方できたいたそうですが戦争で破壊され、戦後、米軍に強制収容され、その後の半生は農民学校の実現と平和のために捧げられました。
困ったときは、こういう時、阿波根さんならどう考えるかな、どうするかなと思ったりします。
インドから帰国後、田畑健さんという日本でガンジー思想を実践しようと和綿を育て、チャルカ(ガンジーの薦めた手糸紡ぎ機)をしている人に出会いました。『ガンジー 自立の思想』の編集にたずさわった人です。鴨川和棉農園を営んでいます。
http://homepage2.nifty.com/wamen-nouen/
そこのワークシッョプに参加して、和綿の種をもらい、いま、育てています。自分のマフラーでもつくりたいと思っています。
ガンジーは現在我々が享有している「富」と「豊かさ」をもたらした近代化文明・機械化文明が様々な問題を引き起こしており、「人類にとって禍根を残す」ものとし、他国の犠牲を前提とした経済システムを徹底的に批判しました。全ての人々が持てないものを持つことは搾取である、とガンジーは言います。地球上の資源が限りあることを考えれば、これはあながち大袈裟な表現でもありません。
また工場でできたものは安くて均一で質も高いかもしれませんが、少ない人数で生産できるため多くの失業者も出します。自分は安くていいものを手に入れることができるかもしれないが、その社会的代価は高くつく。一人ひとりがチャルカという小さな工場の主人となれば、経済的自立ができるとともに、その結果として精神的自立もでき、インドも国として独立していく、とガンジーは考えていました。
現代社会をガンジーの視点から見直すことは、全人類がいかに共存していくかを考えるに当たってたいへん有益であると思います。
【平和運動のいま】
ガンジーの非暴力は、政治運動もあるけれど、日常生活という足元からのアクティビズムですね。「もしも、変革を望むなら、その変革を生きなさい」という。
PBIのような「護衛的同行」の活動をしている団体は世界に20ほどあり、平和構築に関わる団体、運動体もたくさんあります。
ランダムに思いつくものを挙げて見ると
・政党系の平和運動
・ガルトゥングの平和学、対立の解決―トランセンド
http://www.transcendjapan.org/
・1999年ハーグ平和アピールの主催団体の1つPeace Buerear
・ジュマネットなど、個別の紛争地域の問題に特化したもの
・良心的軍事費不払い運動
・CAP(Child Assault Prevention=子どもへの暴力防止プログラム)活動
http://www.cap-j.net/
暴力は事件であるので記録されるけれど、非暴力的にうまく解決した場合は「事件」ではないので書き残されない、記事にならない。だから歴史を見ると「人間の歴史は戦争だらけだ」とつい思ってしまう。実際はたくさんの成功例がある。非暴力の歴史をきちんと記録することが必要。
Peace is not news.
これを変える必要がある。
【教育について】
高校生のためのワークショプなどに呼ばれることがある。参加型のコミュニケーションに慣れていないことや、先生に言われての望まない参加であると参加の意欲が低くうまくいかない。もちろん先生自身がきちんと理解しどのように説明、誘ったかということも関わってくる。参加人数よりも参加意欲がワークショップには重要。通常の授業でも、対話型、教員と生徒の間も含めて、コミュニケーションのある学び方をしていく必要を感じる。
教育と関係あるか、わからないが、PBI等での経験で、会議でどんなに激論になっても会議が終わると何もなかったように談笑が始まる。日本でこれだけの激論になったら人間関係にもかなり影響が出てくると思うのだが、意見と人格をきちんと分け隔てること、忍耐強く相手の話を聞く訓練は小さい頃からしないと(小さい頃からしても?)身に付かないのではないかと思う。
【その他】
・議論では相手と違う点に注意がいってしまうが、ガンジーや阿波根さんは「相手を受け入れ、共通の基盤を探し出す」ことがたいへんうまく、「敵」をも「味方」にしていくところにその醍醐味がある。相手を言い負かすという態度でなく、阿波根さんの言う「相手を教え導く」姿勢というものが足りないと常々感じる。
・『被抑圧者の演劇』(アウグスト・ボアール , 里見 実 (訳)晶文社)の手法は興味深い。例えばある問題設定(夫婦喧嘩とか、社会問題とか)をした劇を演じ、途中からは観客も参加して、その解決策を観客自身も演じながら考えていく。非暴力トレーニングや他のワークショップでもロールプレイ(役割劇)としてこの手法を取り入れている。本書は絶版だが、ボアールの使った手法を紹介した本が近々出版されるので待ち遠しい。
【いただいた参考資料】
・非暴力平和隊・日本NPJ ニュースレター 第40号
以下案内チラシ:
・高岩仁監督作品上映会「教えられなかった戦争・沖縄編」2012年1月28日
・映画「福島 六ヶ所 未来への伝言」2012年 秋公開予定
・「あなたの食卓何ベクレル?」11月13日(浦和パルコ)
・「フクギの雫」 2011年12月3日(文京シビックホール)
・「終焉に向かう原子力」第13回2011年12月17日文京区民センター
【参考情報】
「別冊宝島 原発の深い闇2」11月発行
「ガンジー・自立の思想」 M.K.ガンジー、地湧社、1999
鴨川和棉農園 http://homepage2.nifty.com/wamen-nouen/
「木綿以前の事」 (岩波文庫) 柳田 国男
ハーグ平和アピール 1999年
http://www.ne.jp/asahi/nozaki/peace/data/hap_outline.htm
「被抑圧者の教育学・新訳」パウロ・フレイレ、亜紀書房、2011
その他、ロケットストーブやUnder Controlなど、情報満載のインタビューでした。後半は、いろいろと雑多な情報交換になってしまいました。もっと、深い分析をいっしょにできたらよかったのにと思いました。別の機会に、別の形で。
by Ead2011 | 2011-11-08 11:02 | 教育的アクティビズム