切ないほどに熱い「勧進帳」義経を守る命がけの突破劇 光る弁慶の度胸と知恵そして絆

名作偏愛エマキ

自分のためではなく、人のためにだけ出る爆発的な力がある。歌舞伎「勧進帳」は、兄の源頼朝に追われる主君・義経を守るために、弁慶が捨て身の行動で頼朝の配下が守る関所を越える物語。関守との命がけの攻防が見どころだが、単なる勝ち負けにとどまらない、切ないほどに熱い「人の情」を描いた名作だ。

頼朝が各地に関所を設けて義経を追う中、山伏の一行に変装した弁慶たちは加賀国・安宅の関で、関守の富樫左衛門と対峙する。

絵・いんこせいじん

弁慶は、東大寺大仏殿の再建のために全国で勧進(寄付)を集めていると主張するが、疑う富樫はそのことを書いた勧進帳を読むよう迫る。とっさの判断で白紙の巻物を取り出し、あたかも書いてあるかのように堂々と読み上げる姿に、弁慶の度胸と知恵が光る。

富樫のきつい詮議にも耐え通行が許可されるも、一行の強力(ごうりき=荷物持ち)に変装していた義経が疑われ止められる。絶体絶命のピンチで弁慶が取ったのが、「お前のせいで疑われた」と金剛杖で義経をめった打ちにするという暴挙だ。富樫は正体を見抜いていたのだが、そこまでして義経を守ろうとする弁慶の決死の覚悟に胸を打たれ、通行を許す。

弁慶は主君を打った重罪を泣いてわびるが、その機転を褒め、手を差し伸べて慰める義経に人望ある主君の人柄がにじむ。一方の富樫も無礼のわびにと酒を持ってくる。その酒を飲み弁慶は「今またここに越えかぬる、人目の関のやるせなや」と回想するのだが、人目の関とは世間の目のこと。世間に追われ、居場所のない義経たちの悲哀が響く。

義経は武勇に優れた英雄だが、幼少期から悲運の人だった。そのはかなく尊い存在を守ってきた弁慶には「忠義」だけでなく、保護者のような「愛情」があったのではないか。そう考えれば、頼朝と主従関係だけで結ばれた富樫が、それを超える2人の絆に感動したことにも説得力が出る。

義経も弁慶を頼り、互いに支え合う「二人で一つ」の関係性だったと想像すれば、弁慶の必死の行動の一つ一つがやるせなく、温かい。(田中佐和)

武蔵坊弁慶

鎌倉幕府の公的歴史書「吾妻鏡」や「平家物語」では、義経の従者として登場するだけの目立たない存在。だが、室町時代に成立した義経の一代記「義経記(ぎけいき)」などでは、18カ月母の腹にいた後、幼児ほどの大きさで生まれた特異な存在として登場する。比叡山で修行したが乱暴者で、人々から千本の太刀を奪う悲願を立てたところ、京都の五条大橋の上で義経(牛若丸)と出会ったとされる。一生に一度だけ女性と契った、一生に一度しか泣かなかったなどといった逸話もある。

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