今村聖奈とともに挑む女性騎手初の歴史的一戦、強運オーナー「ニセの近藤健介」ファンレターからつながった“奇跡のパズル”
「20年ぐらいで100頭近く所有していたので」と本人は話したが、その中には何と21年のオークスを制したユーバーレーベンが含まれ、また国内重賞を3勝し、香港ヴァーズで大金星を挙げたウインマリリンなどの出資者でもあったのだ。 人とのつながり、馬との縁を大切にしてきたからいまがある。思えば、ジュウリョクピエロとの邂逅は実にドラマチックだった。何かひとつでも欠けていれば結びつかなかったかもしれない。まず近藤氏が「暴れん坊」オルフェーヴルの大ファンだったこと。次に「預けるなら岐阜出身で実績を残している寺島厩舎に」という強い希望を持っていたこと。さらに、生産者の飛野牧場は寺島調教師の師匠でレジェンド松田国英元調教師の代から深いつながりがあったという点だ。 「飛野牧場さんでオルフェ産駒を買えば、寺島厩舎に預けてもらえる」 そんな中、紹介された飛野牧場の生産馬から最終的に「オルフェーヴル産駒の2者択一」を迫られることになる。その決め手になったのが母ハッピーヴァリューが松田国厩舎だったこと。さらに母の母が牝馬ながら帝王賞を勝ったネームヴァリューだったことが大きかったのだが、近藤氏はJRA時代のこの馬を管理していた山内研二元調教師とも交流があったという。 「皐月賞馬イシノサンデーなどが活躍していたころ山内師にファンレターを出したところ、そのお返しにピンクのメンコをもらい、10年ほど年賀状のやりとりをしていました」 ここまで来るともはや運命というしかなく、まさに選び抜いた1頭こそが、のちのジュウリョクピエロ。まさに人と馬の縁が完璧なパズルとなって完成したというわけだ。近藤氏は言う。 「育成牧場での評判も良く、ネームヴァリューにオルフェということでダートでデビューし、初勝利を挙げてくれました。しかし、そのあとダートで2戦大敗。年明けに千八ダートか二千の芝どちらかを使うことになり、7頭立てと頭数が少ないから芝を使うことになって。5着ぐらいあればと思ったら、あの勝ち方でした」