「作品としてのVTuber」とその鑑賞を検討する。
1.はじめに
現在、VTuberは2Dまたは3Dのアバターを持って動画投稿・配信をする存在として広く認知されている。
その定義や、いかなる存在者であるかはVTuberが登場した黎明期から活発な議論があり、依然としてその定義は定まらない。
もっとも、現在の一般的なVTuberの見られ方は「アバターを持った動画投稿者、配信者」というものだ。
『実用日本語表現辞典』
Vチューバー
別表記:バーチャルYouTuber、Vtuber、バーチャルユーチューバー
英語:virtual YouTuber
「Vチューバー」とは、YouTube上で2Dや3Dのキャラクターアバターを用いてアバターが動いたりしゃべったりするようにしてゲーム実況やライブ配信を行う人のことを意味する表現。
『デジタル大辞泉』
バーチャル‐ユーチューバー【virtual YouTuber】
読み方:ばーちゃるゆーちゅーばー
自身が出演する代わりに、コンピューターグラフィックスなどで作られた架空のキャラクター(アバター)を用いるユーチューバー。ブイチューバー。
VTuberの原点について一般的な見方は、2016年に登場したバーチャルYouTuber・キズナアイ(※1)出発点とするものである。
当時すでにHIKAKINを代表とするYouTuberの存在は、世間に広く認知されていた。
「バーチャルYouTuber」という呼称について、キズナアイの開発者の1人である松田純治が「ここに二次元のキャラクターが居たら面白いだろうなぁ(※2)」と語ったということからも分かる通り、キズナアイは当初YouTuberを念頭においた動画投稿者として活動を開始している。
それは、現在のVTuberの主流となっている生配信を中心としたスタイルとは異なるものであった。
細かい歴史は省くが、キズナアイの活動はその後多くのフォロワーとなるVTuberを生み出し、2018年に電脳少女シロ、輝夜月、ミライアカリ、バーチャル狐耳美少女おじさん(ねこます)が登場すると、キズナアイを含めた5人が「VTuber四天王」と呼ばれ、VTuberは一定の文化として認知を得ることになる(※3)。
四天王も生配信というよりはYouTuberに類する、動画投稿を中心とした活動をしており、それは初期のVTuberの特徴として現在でもイメージされている(この点、後述の筆者アンケートを参照されたい)。
もっとも、初期のVTuberの発展にはニコニコ動画の生配信サービス『ニコ生』の影響もあり、初期から動画投稿と並行する形で生配信をするVTuberも少なくなかった(※4)。
その後は、VTuberの活動の中心は生配信に移行していき、現在では生配信で視聴者との相互コミュニケーションを持ち、感情移入や応援の対象となるようなタレント的な活動がVTuberの活動の主流となっていったことは承知のとおりである(※5)。
VTuberは動画投稿者としてのYouTuberを出自としながら、その活動の中心が動画投稿から生配信に変化していった理由については、別途調査・検討をする必要があるが、現在VTuberといえば基本的には「生配信をするバーチャルタレント」という見方がされていることは事実であろう。
他方、動画投稿を中心とした活動をするVTuberは配信を中心としたVTuberと比較して「動画勢」と呼ばれる。
その動画の内容は、バラエティ動画やDIY動画、実験検証動画、Vlog、ジャンルとしてくくりにくいものまで多岐に渡り、「動画勢」という言葉に様々なジャンルが内包されていることは言うまでもない。
そして初期のVTuberの中には、今あげた動画勢とも違った独特の魅力を持った動画を投稿し、ファンの間で存在感を示していたVTuberがいた。
その代表例が「げんげん」と「鳩羽つぐ」である。
この2人は、現在でも「初期のVTuber」の代表例として認知されている。
先日、筆者が行ったアンケートでも、「初期のVTuber」のイメージとして2人の名前が挙げられており、この2人が世間から「初期のVTuber」の代表例として目されていることがわかる。
さて、先に挙げたバラエティ系やVlog系の動画は、言うまでもなく出演しているVTuberのタレント性に注目したものである。
それに対して、げんげんと鳩羽つぐの動画は映像作品に近いものであり、2人のタレント性以上に高い作品性が見て取れる。
だが、そうした作品性は現在のVTuber議論の中では、必ずしも正当に評価されてきたわけではないのではないかと、筆者は考える。
それは「VTuber=タレント」を前提とした議論の文脈では、彼らは「概念が未整理だった時代の特殊な存在」として処理されやすいからだ。
しかし、その評価の仕方では「げんげんと鳩羽つぐが、視聴者の中で存在感を示していた」という評価がこぼれ落ちる危険性がある。
もちろん、私はここで彼らが初期のVTuberの本流であったと主張したいわけではない。
私がここで懸念することは、彼らが当時のVTuberのシーンの中で一定以上の存在感を示していたのにも関わらず、VTuberとしての評価は亜流として脇に置かれている状況があるのではないか、という点である。
そこで、本noteでは初期のVTuberの中から「げんげん」「鳩羽つぐ」を筆頭とするVTuberの動画の作品性を確認すると共に、それを鑑賞する視聴者の視点に「VTuberの動画を映像作品として鑑賞する態度」があったことを確認したい。
そういった鑑賞態度がシーンの中にあったと考える時、そこに見えるのは感情移入や応援だけの対象となる「タレントとしてのVTuber」だけでなく、創作作品のような鑑賞の対象となる「作品としてのVTuber」という存在が視聴者の中にあったのではないかという可能性である。
最終的には、これらの検討を通じて、現在の「VTuber=タレント」であることを前提として展開されがちなVTuberの議論に「作品としてのVTuber」という視点を提供することができないか、という試みをすることが本noteの狙いである。
なお、断っておきたいことは、筆者はここで「作品としてのVTuber」というジャンルのVTuberの存在を提案したいわけではない。
「作品としてのVTuber」はVTuberの一側面であり、それを見る視聴者の視点である。
そして、本noteでいう「作品性」とは、制作側の作り込みの度合いではなく、視聴者が「VTuberを作品として鑑賞し始める契機」に主に注目するものである。
より、正確に表現しようとするのであれば、「作品としてのVTuber」は「動画投稿や生配信の中で、特定の設定や物語に従事する虚構のキャラクターとして振る舞うVTuberの側面、および視聴者が作品として鑑賞する際の対象としてのVTuber」と表現することができる。
ここに、「現実に生配信・動画投稿をしていると見做されること」がVTuberである前提として含まれていることは注意しておきたい。
例えば、VTuberを題材にした漫画『VTuber草村しげみ〜遠くに行ってしまった気がした推しが全然遠くに行ってくれない話〜』の登場人物である「草村しげみ」はVTuberという設定ではある。
しかし、生配信や動画投稿をしているのは作中だけであり、現実の生配信や動画投稿が伴わないため、VTuberとしては扱われない。
【脚注】
※1:キズナアイをVTuberの出発点とすること自体は、概ね正しい認識であるとは思われる。しかし、キズナアイ以前にもAMI YAMATOなどのバーチャルタレントは存在している。また、VTuberとバーチャルYouTuberを別の存在とする議論もある。
※2:松田純治『キズナアイは確かに実在する。』
※3:キズナアイを「親分」として、あとの4人を四天王とする向きもある。
※4:初期のVTuberでものらきゃっとは、ニコ生ですでに生配信をしていた。
※5:とはいえ、初期からのVTuberにタレント性がなかったわけではない。例えば、輝夜月は『日清焼そばUFO』のテレビCMに起用されるなど、タレントとしての活動があった。
【注意事項】
言葉の使い方に関して、本noteで紹介する中には「VTuber」と名乗らない活動者もいるが、煩雑さを避けるため今回は全てをまとめて「VTuber」と呼ぶことをご承知いただきたい。
また、紹介するVTuberや事例は筆者の知識と調査で知った範囲に限られる。
筆者は2024年3月ごろからVTuberに興味を持ち始めたため、いわゆる古参ではない。
より詳しいVTuberファンにとっては不満の残るものとなる可能性が高い。
本noteは「作品としてのVTuber」という視点の提案を目的としたものであり、それらを網羅的に紹介するものでもないが、筆者が捉えきれていないVTuberがいることは事実であり、その点を今後の反省としていることはご承知いただきたい。
名前を知りつつ取り上げることのできなかったVTuberに関しては、6章で簡単に紹介しているが、それ以外にも参考となりそうなVTuberがいる場合は、コメント欄などでお教えいただけると幸いである。
以上、ご理解いただいた上で次章以降に本題に入っていく。
2.作品として鑑賞された「初期のVTuber」
ここでは、2018年上半期までにデビューしたVTuberを仮に「初期のVTuber」と設定し、その中から作品として鑑賞された「初期のVTuber」の事例を見ていく。
なお、「2018年上半期まで」という区分は、筆者が以前行った『初期のVTuberの認知に関するアンケート』に寄せられた回答に基づくものである。
詳しくは前掲のnoteを参照の上、一般に広く共有された区分ではない点を注意していただきたい。
また、ここでは各VTuberごとの作品としての側面を説明するに留める。
VTuberの細かい設定などは今回省略するため、各自で動画を見たり、検索するなどして補完していただきたい。
2-1.げんげん
動画を見ていただければわかる通り、げんげんはVTuberというより『げんげん』という一連の映像作品シリーズのキャラクターと見たほうが適切と言える。
実際、シリーズの動画の概要欄には以下の一文がある。
この動画は、架空の人物「源元気」がYoutuberとして投稿した動画をイメージした、バーチャルYoutuber動画です。
実在する人物名、団体名とは一切関係ありません。
主にLive2D Cubism3で制作されています。
概要欄のこの一文に書かれている通り、一連のシリーズは「架空の人物」である源元太(げんげん)がYouTuberとして投稿した映像作品という体裁で作られている。
ここでは「バーチャルYouTuber」は、バーチャルタレントではなく「架空のYouTuber」という意味で使用されているようである。
作者もわかっており、作者は漫画家のコウノスケである。
コウノスケは、初投稿の2日後に自身のチャンネルで、げんげんを制作過程を動画で公開している。
この事からも、げんげんがバーチャルタレントとしてではなく、映像作品のために創作されたキャラクターであることが伺われる。
2-2.鳩羽つぐ
鳩羽つぐは、前述のげんげんとはまた違った異質な魅力で人気を博した初期のVTuberの1人である。
鳩羽つぐの動画の最大の特徴は、映像全体を覆う退廃的で謎めいた雰囲気である。
鳩羽つぐの動画に明確な物語はなく、一個一個が独立した短いVlogのような映像となっている。
しかし、その謎めいた動画の中に、何か秘密があると視聴者は予想し、動画から鳩羽つぐの正体を探る「考察」が活発に行われたことで有名である。
当時の考察の様子は以下にまとめられている。
この考察という行為からは、「鳩羽つぐ」の中に「隠された物語」を見出そうとする視聴者の姿勢が伺える。
視聴者が考察を通じて「隠された物語」を中心として動画を鑑賞する時、鳩羽つぐという存在は、感情移入や応援の対象であるバーチャルタレントにとどまらず、「隠された物語」を含めた「鳩羽つぐ」という作品のキャラクター、つまり作品の構成要素と見なせる。
鳩羽つぐに対する考察という反応が、元々制作時に意図されたものかはわからないし、事実として動画の中には「隠された物語」の存在を明示するものはない。
あくまで、視聴者が勝手に見出したものに過ぎないと判断することも出来る。
その意味では、鳩羽つぐは「視聴者による考察によって作品化した」と表現することもできるだろう。
2-3.名取さな
名取さなの場合も、鳩羽つぐと事情は似ている。
名取さなはバーチャル病院から動画投稿、配信をするナースという設定の少女だが、2018年10月12日にXに投稿されたポストや、以下の不穏な動画から、名取さなにも「隠された物語」があることが仄めかされる。
縺帙s縺帙∴
— 名取さな (@sana_natori) October 12, 2018
そして、当時のTwitterの反応やYouTubeのコメント欄を見る限り、これらをきっかけに名取さなの「隠された物語」への考察が活発になったようである。
視聴者がVTuberに「隠された物語」を考察することで作品となる点は鳩羽つぐと類似するが、「隠された物語」を視聴者が勝手に発見した鳩羽つぐとは違い、こちらは名取さな側から「隠された物語」の存在を明示したり、仄めかしている点で差異がある。
2-4.ゲーム部プロジェクト
ゲーム部プロジェクトは2018年3月頃から活動を開始したVTuberのグループである。
ゲーム部という名前の通り、ゲーム実況動画の投稿が主な活動内容となる。
動画の特徴は、「茶番」と呼ばれる日常アニメのようなやり取りをするパートの存在である。
茶番動画は30秒から3分程度の短編で、ギャグやパロディを盛り込んだ内容で、スピーディーなカット割りや映像演出はTVアニメに近いものとなっている。
さらに後には、ゲーム実況をしない独立した動画として、4人の部活動の様子を描いた日常動画が投稿されるようになる。
そこでは部員同士の関係性がドラマとして描かれており、視聴者はその物語を追いかける形で鑑賞することができる。
一方、ゲーム実況や他のVTuberとのコラボ、生配信など、タレントとしての活動も並行して行われており、タレント的な側面と作品的な側面の両面を内包していたVTuberとして評価できる。
ゲーム部プロジェクトの動画内容については、次の記事が詳しいので参照されたい。
2-5.ケリン
ケリンは「バーチャル群馬にあるエルフの村に住むダークエルフの青年」という設定のVTuberである。
ケリンの動画は企画ものやVlog風の映像など、基本的にはYouTuberに近い動画が多い。
しかし、内容としては「唐突な展開」「不条理なギャグ」「強引なコラージュ」「パロディ」といった要素に溢れている。
そのため、YouTuberの動画というより、むしろMAD動画やフラッシュ動画の流れを汲む映像作品と見る方が適切である。
2-6.カフェ野ゾンビ子
カフェ野ゾンビ子はタレント性と作品性の結びつきを初期から実践していた事例として重要だ。
カフェ野ゾンビ子は、異世界バーチャルYouTuberを名乗るゾンビの少女である。
ゾンビ子の動画は、ゾンビに転生してしまったゾンビ子が、廃墟で拾ったPCから動画投稿と配信を始めるという設定のVlog風の映像である。
ただし、ゾンビ子の動画はただのVlog風の映像であるだけでなく、動画内ではゾンビ子がゾンビとして人間と戦いながら、異世界を探索するという物語が展開されている。
特筆すべきは、彼女の生配信中に視聴者がコメントを送ることで、その物語に視聴者が参加できる『視聴者参加型の作品』としての実践がされていることだ。
例えば、視聴者がスーパーチャットをすると、視聴者は「店長」という生き物として配信上に「転生(登場)」することができ、コメントによるコマンドで店長を動かすことが出来る。
また、ゾンビ子が人間と戦う際には、コメントはパネルとなって配信内の世界に出現する。
パネル状のコメントはゾンビ子を守る盾にもなり、さらにコメントが送られるとその分だけゾンビ子の持つ銃の弾が装填される。
他にも、コメントを通じて視聴者とゾンビ子が一緒に謎の解明に挑むなど、視聴者の積極的な参加を伴う物語が展開する。
ここには観客からの声援を糧にヒーローが立ち上がるヒーローショーや、体験型の謎解きゲームなどの作品との類似を見出すことができる。
ゾンビ子をコメントで応援するという行為は、視聴者がカフェ野ゾンビ子というタレントを愛することに起因する現実の行為でありながら、その行為が物語の要素(店長、パネル、銃の弾)として反映されていく。
この特徴はVTuberのタレントとしての側面と結びついた、物語・作品づくりが成り立つことを示している。
そして、これは後述するにじさんじのストーリー勢の特徴でもある。
それを初期から活動しているVTuberが積極的に実践している点は注目に値する。
また、カフェ野ゾンビ子は配信活動終了後に運営チームによってゲーム化をしている点も、ゾンビ子の持っている作品性の高さを感じさせるものである。
2-7.「作品」として鑑賞されうる初期のVTuberの整理
これまでに見てきた事例を、作品としての鑑賞の手がかりという観点から整理すると、大きく3つの類型に分けられる。
【映像作品との類似】※1
げんげん(ショートアニメ)、ゲーム部プロジェクト(TVアニメ)、ケリン(MAD・フラッシュ動画)。
動画の形式や内容が既存の映像作品と類似しており、作品として鑑賞する態度が自然に生まれやすい。
【隠された物語への考察】※2
鳩羽つぐ(視聴者が自発的に発見)、名取さな(制作側が仄めかす)。
明確な物語はないが、視聴者が考察を通じて「隠された物語」を見出すことで作品化する。
【明示された物語への視聴者参加】
カフェ野ゾンビ子(ヒーローショーや体験型ゲーム)。
物語が明示されており単独でも作品として鑑賞可能だが、視聴者が参加・体験できる要素を持つ点で他の類型とは異なる。
これら三つの類型はそれぞれに区別されるものではなく、作品性とタレント性のグラデーションとして捉えることができる。
「映像作品との類似」は動画の形式や演出に作品性が現れやすく(※3)、「隠された物語への考察」ではタレント性と作品性が結びついており、「明示された物語への視聴者参加」ではタレント性が視聴者の参加を促し、作品性を支えている。
以上のことから、「作品としてのVTuber」として見なしうる手がかりとして次のようなものをあげることが出来る。
(動画であれば)動画の形式や演出
進行する物語の存在
物語とタレント性の結びつき
そして、改めて確認しておきたい点としては、このどれもがVTuber自身による動画投稿および生配信(と見做される行為)の中で展開されていたことだ。
後述するが、この延長線上にはストーリー勢が位置づけられる。
ここで改めて、筆者が行った前掲のアンケート中にある「初期のVTuberとしてイメージするVTuberの名前」を見ていただきい。
アンケートに寄せられたVTuber(グループ名含む)は136名であり、その中でげんげんと鳩羽つぐが票数で上位となり、この2人が「初期のVTuberの顔」として広く認識されていることがわかる。
(出典:『「初期のVTuber」への認知に関するアンケートを取ったので報告します。 』/gobu)
また、本章で取り上げた他のVTuberの票数を確認すると、ケリン・名取さなが8票、ゲーム部プロジェクトが6票、カフェ野ゾンビ子が2票となっている。
票数だけ見れば少なく思えるが、回答にあがったVTuberの半数以上が1票のみという分布を踏まえると、2票以上を獲得したVTuberは全体の上位3分の1に入る。
(出典:『「初期のVTuber」への認知に関するアンケートを取ったので報告します。 』/gobu)
また、現在と比較すると当時のVTuberシーンが、シーン全体を見渡せる程度の規模感であったとされることを考えると──その鑑賞がタレントとしてか、作品としてかは別としても──筆者があげたVTuberがシーンの中でも一定の人気と存在感を示していたことを想像できる。
例えば、鳩羽つぐは動画数こそ少ないがグッズが発売されたり、雑誌でも取り上げられている。
また、名取さなは現在でも人気の高いVTuberではあるが、活動の早い段階からから雑誌に取り上げられ、電撃マオウ2018年11月号では44ページに渡る別冊特集が組まれるなど、人気の高さが伺われる。
これらを合わせ考える時、作品として鑑賞されうるVTuberの存在が、初期のVTuberのシーンでは一定の存在感を持ち、作品として鑑賞されていたであろうことが想像できる。
※1:類型としては「空想料理店 蟹」「世界クルミ」「ピクセルコ」がいる。
※2:類型として「SALLA.R」がいる。また、既存の映像作品としてはモキュメンタリー作品との類似を指摘することも出来るだろう。
※3:ただしゲーム部プロジェクトのように、映像作品との類似の類型に属しながらもタレント性を高く持つ事例もあり、類型とタレント性の強弱は必ずしも一致しない
3.作品としてのVTuberの可能性〜『Project:;COLD』と「ストーリー勢」〜
今章では、2章で確認した初期のVTuberに見出された作品性が、独立した作品としても成立しうる事例として代替現実ゲーム風のミステリ作品『Project:;COLD』を、そして作品としてのVTuberの発展系であるにじさんじのストーリー勢について見ていく。
3-1.VTuberの作品性と『Project:;COLD』の類似
VTuberの作品性が、独立した作品へと利用・発展しうることを示す事例として、2020年末に展開されたミステリ作品『Project:;COLD』に触れておきたい。
『Project:;COLD』は、YouTube・Twitter・Discordなどを媒体として展開する代替現実ゲームに近い作品である。
プロジェクト発表前の約1ヶ月間、主要キャラクターたちはVTuberに類する存在として先立って、彼らが『Project:;COLD』のキャラクターであることを伏せられた形で、ネット上に登場・活動し、視聴者との時間を共有した。
当初から、彼らに対する考察は視聴者の間で行われていた様子だが、メンバーの1人の「死」をきっかけに物語が急展開し、隠された謎への考察が加熱する。
そして、12月1日のプレスリリース発表によって、一連の活動が全てプロジェクトの仕掛けであったことが明かされた。
『Project:;COLD』はVTuberのプロジェクトではないが、当初から鳩羽つぐなどのVTuberとの類似はメディアで指摘されていた。
VTuberでは、鳩羽つぐさんのような視聴者に考察させるタイプのキャラクターも存在している。
このような謎や設定を仄めかす動画は、名取さななども投稿してきた。また、その謎や設定に視聴者がコメントやチャットで関与することで物語を進行するストーリーテリングには、薬袋カルテやにじさんじの出雲霞のような前例がある。
特に似たような形式としては鳩羽つぐの名前が挙げられる。
(中略)
鳩羽つぐの動画は『Project:;COLD』と同じようにVTuberの形式に沿って始まり、そこから徐々に明らかになるズレが謎めいて好奇心を掻き立てはする(※1)。
実際、『Project:;COLD』はVTuberを参考にしていたわけではない(※2)。
しかし、VTuberの作品としての特徴と同じ構造が、VTuberではない独立した作品でも成立したという事実は、VTuberの作品としての側面が、独立した作品として利用しうるだけの強度と同質性を備えていることを示している。
3-2.ストーリー勢の成功事例「黛灰の物語」という作品
3-1の引用中にもある出雲霞は俗に「ストーリー勢」と呼ばれるVTuberである。
ストーリー勢は特ににじさんじのVTuber(ライバー)に多く見られるジャンルのひとつである。
ストーリー勢のVTuberは普段は一般的なVTuber同様の生配信を中心とした活動をしている。
ただし、それぞれに独自の設定と「隠された物語」が設定されており、その物語が配信での視聴者とのやり取りを通じて、リアルタイムに展開していくという特徴がある。
にじさんじ非公式wikiによれば、彼らの配信は特に「劇場型配信」とも呼ばれる。
「劇場型配信」の特徴は次のようなものである。
ライバーのストーリーに視聴者が影響を与え、時には選択し、その道筋がリアルタイムで変わっていく、バーチャルライバーならではの配信です。
生配信とは、VTuberによってリアルタイムに行われる現実的な行為(※3)である。
ストーリー勢の物語は、生配信やSNSにその情報が織り交ぜられる形で構成する。
この構成は自分たちが見ているものがVTuberの現実的な要素なのか、虚構世界の要素なのか、視聴者を混乱させることで、さらなる没入感を生み出すという効果を発揮している。
そして、視聴者がコメントを送るという「現実の行為」が、VTuberの行動に影響を与えることで、いつしか虚構と現実の壁は壊れ、視聴者さえも物語の登場人物として参加することになるのである。
この構造が最も大規模に実現した例が黛灰の物語ではないだろうか。
黛灰の物語は、2019年からおよそ2年にわたってリアルタイムで展開された複雑な物語であり、詳細は次に引用しているファン制作の解説動画を参照していただきたい。
この動画を見るだけでも虚実が混じり合う作品としての黛灰の物語をファンが楽しみ、没入していく様が見て取れるはずだ。
注目に値するのは、物語に関わる重要な映像が、新宿アルタの大型ビジョン(現在は取り壊されている)と渋谷スクランブル交差点の大型ビジョンに映し出されるという演出をしたことである。
それは黛灰自身と、彼に関連するVTuber、SNSやYouTube、あるいはファンコミュニティの中での議論に留まらない、より広く現実を巻きこんでいこうとする大掛かりな演出である。
そして、2021年6月29日には物語の結末を決める投票が行われ、5万人を超えるファンが投票に参加した。
そして、その結果を反映した形で黛灰の物語は完結をする。
「黛灰の物語」はまさに、現実の存在であるファンの行為が、VTuberの物語という虚構に影響を及ぼす「ストーリー勢」という、視聴者参加型の作品としては最大の成功事例だったと言っていい。
ただし、この物語が多くのファンを巻き込んだ背景には、黛灰が配信者として、つまりタレントとしても愛されていたという前提がある。
というより、その前提がない限りは、ファンは物語に感情移入し、真剣に謎に立ち向かい、自身の行動が彼の運命を左右することに悩まないはずである。
VTuberのタレントとしての側面が、VTuberの作品としての土台となることはカフェ野ゾンビ子の節で指摘したが、「ストーリー勢」はそこに考察という鳩羽つぐ、名取さなにも見出された要素を持ち込んだ上でさらに発展させた、VTuberならではの作品と見ることが出来るだろう。
【脚注】
※1:原文では続いて「しかしそこでは『Project:;COLD』のノイズのような解き明かすべき「謎」それ自体や手がかりとなる「鍵」が明示されない」として、2章で確認したような物語の暗示と明示の差が指摘されている。
※2:作品としてVTuberを参照したものではないことは、総監督の藤澤仁がインタビューで「実は自分たちには、VTuberをやっているという意識がないんです。選択肢の一つとして実写でというプランもありましたし、現実的なアウトプットの方法を探っていくうちに今の表現形態になった、というのが正しいです」と語っていることからもわかる。
『Project:;COLD』総監督を直撃ーー反響を呼ぶ“SNSミステリー”はどのように作られ、どこへ向かうのか
※3:「現実的な行為」という語は筆者の造語である。通常、VTuberの行為は現実の行為と見做されるが、現実の行為を行っているのは、VTuberではなく、VTuberの「中の人」である。
「中の人」の現実の行為が、アバターに反映されることで、VTuberの行為として受容されるというのが大まかな構造だ。その過程をどのように解釈するかは、VTuberの存在論に関わる哲学的な議論があり、いまだに定まっていない。
なので、VTuberの行為を「現実の行為」と言わず、「現実的な」と保留するような表現をしている。
4.作品としてのVTuberの現在
ここまで初期のVTuberの作品性と、その発展形としての『Project:;COLD』とストーリー勢を見てきた。
ただし、これは2021年頃までの動きである。
そこで今章では、現在のVTuberの作品としての側面を確認していきたい。
なお、筆者はあらゆるVTuberに精通しているわけではなく、前述の通りここで確認する事例はあくまで筆者の知っている事例であり、内容は筆者の知識に限られることを了解していただきたい。
ストーリー勢に関しても筆者の知識が浅く、充分な現状把握が出来ていない。
一応、ストーリー勢の現状に関する筆者の認識を先に申し上げておくと、まだ進行中の物語を持っているVTuberが数名いるが、現在は物語を積極的に進行させるための新しい動きはないようである、というのが筆者の基本的な認識となる。
もし、他にも現在活躍しているVTuberの類例や、現在の知見があるのであれば、コメント欄に書き込むなどして教えていただけると幸いである。
4-1.VΔLZ『桜魔大戦譚』
2024年2月〜7月にかけて、VΔLZ(長尾景、弦月藤士郎、甲斐田晴)の3名の共通設定である桜魔皇国を舞台にしたオリジナル動画コンテンツ『桜魔大戦譚』が展開されていたことは、VTuberの作品への活用例として注目できる。
ただし、甲斐田晴によると、これはVΔLZの3人が配信者となっていない世界線のifストーリーであり(※1)、現実に起きていることではないと説明されている。
『桜魔大戦譚』に登場する長尾景、弦月藤士郎、甲斐田晴も、「並行世界の別人」という設定であり、名前の表記も下の名前がカタカナになっている点も、コンテンツを現在活動をしているVTuberと結びつけない工夫がされている。
VTuberによるボイスドラマなど、VTuberをキャラクターとした創作物はこれまでにもあるが、『桜魔大戦譚』もストーリー勢とは異なる形で、VTuberの設定を活用した二次創作的な近年の事例と言える。
4-2.セラフ・ダズルガーデンの3Dお披露目配信
セラフ・ダズルガーデンは2022年7月16日にVOLTACTION(ヴォルタクション)のメンバーとしてにじさんじからデビューしたVTuberである。
元々は暗殺者をやっており、初配信の冒頭では暗殺者としての生活から抜け出し、人々を笑顔にするために配信者になった過去が語られている(※2)。
セラフはストーリー勢というわけでないようだが、2023年5月19日に行われた3Dお披露目配信の内容には注目すべきところがある。
音楽ライブの形式を取る3Dお披露目配信では、ライブの途中にセラフが「VOLTACTIONのメンバーである四季凪アキラから、とある密売組織の事務所に潜入するよう依頼を受け、ライブ途中にその依頼をこなす」というシーンがある。
ここでは、セラフの元暗殺者という設定が上手く活かされ、身体能力の高さ、パフォーマーとしての華やかな側面と、密売組織との戦いに挑む者としての暗い側面の二面性といった、セラフのキャラクターとしての魅力がドラマティックに演出されている。
その魅力が、ライブの印象にも反映されることで、セラフのタレントとしての魅力を高めることにもなる。
セラフの設定に基づく演出が、VTuberのタレント性をさらに魅力的にした好例と見ていいだろうし、3Dお披露目配信自体は1個の作品として見ることも出来そうである。
ただし、この演出や設定がその後に、物語として発展した様子がないことには注意したい。
4-3.IPと結びついたVTuber①「PROJECT IM@S vα-liv」
PROJECT IM@S vα-liv(通称ヴイアラ)は、『アイドルマスター』シリーズを手掛けるPROJECT IM@Sが手掛けるライバーアイドル育成プロジェクトである。
2023年4月から活動を開始しており、現在は灯里愛夏、上水流宇宙、レトラの3名がヴイアラのアイドルとして活動をしている。
ヴイアラの特徴的な設定は、ヴイアラのVTuberはもちろん現実的な存在であるが、『アイドルマスター』の世界もまた現実であり、自分たちも含めたアイドルマスターのアイドル──アイドルマスターのキャラクター──も架空の存在ではなく、現実に存在するものとして扱うことである。
つまり、ヴイアラのVTuberは虚構(アイドルマスター)と現実の両方の側面を持っており、VTuberの行為は全て、アイドルマスターという作品内での行為として解釈でき、またヴイアラの側から見た際には「アイドルマスター(作品)の物語」は現実のものとして解釈・鑑賞することが出来るようになっている。
もっとも、今のところはヴイアラのVTuberの現実的な行為によって積み重ねられた事実が、アイドルマスターという作品の物語として鑑賞することが出来るということにとどまり、ストーリー勢のようにVTuber自身の物語が作品として展開しているわけではない。
4-4.IPと結びついたVTuber② アイカツアカデミー!配信部
アイカツアカデミー!配信部(通称:デミカツ)の場合も、vα-livと事情は似ている。
デミカツのアイドルたち(姫乃みえる、真未夢メエ、和央パリン、凛堂たいむ)は、バンダイが展開する『アイカツ』シリーズに登場するアイドル養成学校「アイカツアカデミー」の配信部の部員という設定で配信活動をしているVTuberである。
デミカツの設定でもvα-livと同様に、アイカツシリーズの世界は現実で、自分たちを含めたアイカツシリーズのアイドルたちは現実に存在するとされている。
残念ながら、デミカツの配信活動は2026年4月をもって終了してしまったが、その際の説明は「次なるステップであるレジェンドコースに進級するため、配信活動を終了しなくてはならない」という、アイカツの物語として翻訳されるような説明がされたことは注目される。
通常のVTuberのように「卒業」「引退」という言葉を使わなかったことは、アイカツという作品の世界に従事するVTuberとしての側面を感じる。
また、2026年10月に稼働予定のデータカードダス『アイカツ!アンコール』にデミカツのアイドルが登場予定であり、VTuberがキャラクターとして独立し作品化する事例として注目できる。
4-5.LiLYPSE
筆者が知っている中では、VEXZが運営しているバーチャル・シンガーユニットであるLiLYPSE(暁おぼろ、暁みかど)が、最も「作品」らしいといえるVTuberである。
特筆すべきはLiLYPSEが開催している「歌劇」と銘打たれたミュージカル風のライブであり、ライブ内で展開された物語が、そのままLiLYPSEの実際の物語および活動と結びついていることである。
過去の事例では、ライブ中に物語として2人の姿が変貌してしまったため、その後の他のライブイベントにもその変貌した姿で出演し、他のVTuberと共演するなど、徹底的に作品に従事しようとする姿勢が見て取れる。
その様子は現在見ることはできないが、以下のnoteに詳しいので参照してほしい。
ただし、LiLYPSEは現在のところ、物語を展開するような動画投稿や配信活動をしていない点が悩ましい。
1章で確認した「作品としてのVTuber」の概念を念頭のおくのであれば、やはり物語が生配信・動画投稿と結びついている方が望ましい。
そのため、LiLYPSEは現在の事例の中で最も作品性が高い一方で、VTuberとして評価する際にはある程度の留保が必要になる(※3)。
4-6.事例の整理と現在の状況
ここまで近年の5つの事例を見てきた。
改めて整理すると、各事例はそれぞれ異なる形でVTuberの作品性を示していることがわかる。
『桜魔大戦譚』はVTuberの設定を活用した作品づくりを実現している。
ただし、VTuberと作品を明確に分離した作品でありVTuber自身の物語ではないとは言える。
セラフの3Dお披露目配信はVTuberの設定がタレントとしての魅力を増幅する演出として機能した好例で、作品としての鑑賞が可能なVTuberに見える。
しかし、その後の展開や、考察などの作品としての鑑賞がファンの間で確立している様子がないところに、作品性としての評価に物足りなさが残る。
ヴイアラとデミカツは既存のIP作品と結びつくことで、VTuberの活動を『アイドルマスター』『アイカツ』シリーズの作品の1ページとしての鑑賞を可能にしている。
ただし、その作品性はIP作品に依存しており、単独では成立しにくい。
また、現実的な行為と見做されるVTuberの行為をどこまで作品に落とし込んで良いものなのか、強いて作品に落とし込むことはVTuberのパーソナリティを過剰に作品化して消費していないか、という倫理的な問題が残る(※4)。
これは、元々そのVTuberが作品として鑑賞されることを想定して生まれているわけではなく、既存のIP作品の展開として生まれたからこその問題かもしれない(※5)
唯一、LiLYPSEは独立した作品としての鑑賞が成り立っているが、生配信・動画投稿での物語展開がない点で、VTuberであることは否定しないが、この本noteの文脈では「作品としてのVTuber」として評価することには留保が残る。
このように見ると、ストーリー勢が達成していた「タレント性と作品性の融合」、あるいはショートアニメのような形式の動画投稿・生配信で展開される作品が、VTuberが現在のシーンで存在感を示しているとは言い難いのだろうか。
もちろん、現在のVTuber人口から言えば、本noteが想定している「作品としてのVTuber」を実現してるVTuberを、筆者が見つけられていないだけの可能性は大いにある。
そのことを念頭に置きつつも、作品としてのVTuberを実現する際の困難を2点だけ確認しておく。
【視聴者側の事情/生配信で達成する難しさ】
まず第一に、長時間の生配信が主流の現在のVTuberシーンにおいて、その中で展開される物語を追いかけ続けることが困難になっていることは指摘できる。
生配信をひとつ見逃してしまうと、後から追いかけることが困難になり、「全ての配信を見逃せない」という視聴者への心理的なプレッシャーも大きくなる。
これは生配信の中に物語の要素を織り交ぜる手法を取るストーリー勢の動きが、現在下火になっていることの一因でもあるように思う。
もちろん、物語が長期間になった時はあらすじの解説などを作成する手も考えられるが、それをVTuber自身がやってしまうと「これが物語だと認知している」ということなり、物語への没入という意味では具合が悪く、何らかの処方が必要となる(※6)。
初期のVTuberが作品を展開できたのは、物語が主に配信ではなく短尺の動画の中で展開されたからではないだろうか。
短尺の動画であれば、あとから追いかけることも容易である。
【演者側の事情/作品づくりの難しさ】
第二に、長期間にわたる物語を作ったり、凝った作品としての仕掛けや要素を入れる手間だけでなく、VTuberには設定や物語に即したロールプレイやアドリブが求められることに対応するハードルが高い。
これは、企業勢であれば外部のクリエイターに依頼して、脚本や設定を練り上げることで対処できそうでもある。
しかし、個人勢になると労力と結果が見合わないという結論になるのかもしれない。
しかし、試みがまったくないわけではない。
最近の試みとして注目されるのはVTuberアイドルグループ「GΔ56(ジゴク)」の活動だ。
GΔ56はレーベル・BEverse(株式会社Brave group)のクリエイティブプロジェクト「東京仮想」の第一弾として発表されたVTuberグループである。
プレスリリース段階で「配信、SNS投稿、WebサイトやDiscordに散らばった謎や手がかりをたどりながら、「GΔ59」の物語の展開をお楽しみください」(※7)とアナウンスされており、配信やSNSに留まらない展開が予定されている。
また、謎めいたプロモーションムービーや『真実'』と題された動画では、視聴者に謎を解き明かし、彼女たちを救う過程に参加することを促している。
配信を通じて物語が展開するところは、ストーリー勢の存在が念頭にあるのだろう。
しかし、視聴者に積極的に考察に参加させ、謎解きを求める姿勢からは、むしろ『Project:;COLD』に類する鑑賞を、VTuberというコンテンツを使って成立させることを目指しているのではないかと思わせる。
現在のところYouTube上の活動は2026年5月6日に行われたデビューリレー配信のみだが、今後どのような展開をしていくのかが期待される。
【脚注】
※1:【雑談】復活してきました【甲斐田晴/にじさんじ】
※2:【初配信】初めまして。熾天使です。【セラフ・ダズルガーデン/にじさんじ】
※3:LiLYPSEは動画投稿・生配信によらずにリアルタイムで物語を展開するという意味では、VTuberではなく石ダテコー太郎監督の一連のアニメ作品との接続を検討することが出来るかもしれない。
ダテコー作品はアニメの中に声優のアドリブパートを盛り込んだことで VTuberの祖先とも評されるが、今回VTuberとダテコー作品の関係に踏み込むことは、話が煩雑になるため今回は避ける。
KAI-YOU『VTuberを見て感じた懐かしさ──そうだ、石ダテコー太郎に話を聞こう』
※4:例えば、VTuberの持つ生の感情──特に悲しみなどのネガティブな感情──を、作品として消費することは中々看過しにくい。これは二次創作文化における、アイドルなど現実の人間をキャラクター化した創作物ジャンルである「ナマモノ」に関するマナーの問題と類似する。
※5:IPと結びついたVTuberの事例として、『ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』を想起する方も中にはいるだろう。ただ、筆者の感覚では、あの作品の登場人物をVTuberと呼称することには違和感が残る。しかし、筆者にはそれを説得的に説明することができないため、今回取り扱うことを断念させていただいた。
※6:物語の中に、VTuber自身ではない第三者を登場させ、適宜物語の解説を行わせるなどの処方は考えることは出来る。
しかし、それだけ関わる人や手間が増えることには変わりない。
※7:「東京仮想」第一弾、新VTuberグループ「GΔ59(ジゴク)」を発表
5.「作品としてのVTuber」の課題と批判
最後に、ここまで検討してきた「作品としてのVTuber」という概念の課題と、本noteに対する批判を検討しておく。
5-1.「作品としてのVTuber」の射程
まず課題となるのは「作品としてのVTuber」の射程である。
本noteではVTuberを作品としての鑑賞を検討するために、「映像作品との類似」「隠された物語への考察」「明示された物語への視聴者参加」の3つの類型を手がかりとしてきた。
しかし、見方によっては現在主流の、生配信を中心に活動するVTuberも「日常アニメ」のように鑑賞しうるのではないか、というところに疑念が残る。
究極的には、視聴者は1本の配信をアニメの1話1話のように鑑賞することが可能であり、その意味ではタレント性のみに寄っていると見做される生配信中心のVTuberでさえ、作品としての鑑賞が可能なのではないかと考えることが出来そうである。
特に、ファンの間ではVTuberをキャラクターとした二次創作が多く発表されており、VTuberをキャラクターとして鑑賞する態度をそこに見出すことも出来るかもしれない。
2026年5月18日:追記
上記に関連して、生配信そのものは作品となりえなくとも、ファンや公式による「編集」が入ることで作られる「切り抜き動画」であれば、生配信の内容を作品として鑑賞することが出来るようになるのではないだろうか。
編集者の意図によって加えられる効果音の追加やカット、アップ編集などは、まさに「切り抜き動画」という作品づくりのための作業である。
既存の映像作品との類似としては、ドキュメンタリー作品を想起すると良いだろう。
あるいは、これもVTuberを利用した二次創作として考えることも出来るかもしれない。
または、いわゆる技術勢と言われるような、3D技術を見せるために活動をしているVTuberもアニメと同様の鑑賞が、あるいは寄木細工のような「技術そのものを楽しむ作品」としての鑑賞が可能ではないだろうか。
これらは言い方を変えれば、「どこまでなら人はVTuberを作品として鑑賞できるのか」「何をもって人はVTuberを作品として鑑賞するのか」という問題にもなってくる。
そして、検討の結果によっては、「作品としてのVTuber」の概念そのものを断念したり、修正をする必要が出てくるだろう。
また、ヴイアラとデミカツの事例で確認した通り、VTuberという現実の人間のパーソナリティや感情が直接反映されるコンテンツを、過度に作品化することの倫理的な問題をどうクリアするかも課題である。
事前に「作品」として鑑賞されることが前提にあり、VTuber自身もそれを引き受けているのであれば問題ないかもしれないが、その判断が視聴者個人のマナーに委ねられるだけで終わる可能性がある。
視聴者の鑑賞態度のコントロールをVTuber側でどうし得るかは、非常に難しい課題である。
5-2.本noteの批判可能性
これはそもそもの話になってしまうが、本noteの全体的なトーンとして「初期にVTuberを作品として鑑賞しているシーンがあった」という前提に成り立った議論を展開している。
映像作品として製作されているげんげんやゲーム部プロジェクトの場合にはその前提で構わないと思われるが、鳩羽つぐや名取さなを「考察」をすることが、どこまでファンの中で受容されていたか論拠が確実ではない。
さらに、カフェ野ゾンビ子をどのように視聴していたかも、当時の視聴者の意見を求めたいところである。
また、2章に挙げたようなVTuberのシーンの中での存在感の論拠が、筆者の取った私的なアンケートにある点も批判する余地がある。
付随して、当時の視聴者の状況として、多くの視聴者が本当にシーン全体を見通していたのかにも疑問符を付けることもできる。
当時いたVTuberを網羅するように視聴していた人は果たしてどれだけいるのだろうか。
名前を知っている程度で、実際には視聴していなかったという人もいるのではないだろうか。
その実態調査がない点も充分に批判できる点である。
これらの課題や批判については、本noteはあくまで問いの提示であり、議論の出発点としてご容赦いただき、今後に活かしていきたいところである。
6.おわりに
本noteを書くきっかけは、X上で見た「みんなで鳩羽つぐの考察をしていた当時の空気が、現在のVTuberにない」というようなポストである。
その実態はさておき、このポストを見て、私が思い出したこともあった。
それは、私の友人との会話で、彼に私がVTuberを学術的な視点で捉えることに凝っていることを話すと、彼は「そんなややこしい事じゃなくて、ケリンの動画を見て笑ってた時期が良かったんだよ」と、初期のVTuberシーンを振り返っていた。
その時、私は初期のVTuberのイメージに関するアンケートの結果報告をするnoteを書き終えたばかりで、それで初期のVTuberについてファンが持っているイメージを掴んだつもりでいた。
しかし、私がアンケートで掴んでいたのはあくまでVTuberの形式に対する印象であり、冒頭のポストや友人の言葉が示すような、当時の視聴者の『鑑賞』や『体験』という観点が抜けていたことに気がついたのである。
これはまさに、私が前提として「VTuberはタレントで、作品性の高いVTuberは初期に多くいただけの傍流」というバイアスでものを考えていたことに他ならない。
この出来事は私にとって、非常にショッキングであり、自身のバイアスに対する検証と反省という意味でも「作品としてのVTuber」という検討を始めた次第である。
それがどこまで上手くいっているかはあまり自信がないのだが、「作品としてのVTuber」という視点の提案に一考の余地があると思ってくださる方がいるのであれば幸いであるし、ぜひご意見をいただけると嬉しい。
そして、繰り返しになるが、事例として取り上げるVTuberの選出に関しては不満が残ることは否めない。
例えば、黛灰と出雲霞の物語に関わるVTuberとしての鈴木勝および、3人の物語全体にまたがる「2434system」の存在に関する記述が抜け落ちているだけでなく、他のストーリー勢を取り上げられていない。
また、個人VTuberとしてデビューし、その後.LIVE所属となったメリー・ミルクも、絵本の中から出てきた少女という設定に忠実な振る舞い、完成度の高い世界観の提示、またファンの物語への参加という点で非常に参考になるVTuberであったと反省している。
公式の動画を見つけることができなかったため、記述を避けた薬袋カルテに関しても、今回調査をする中で名前があがっており、もし資料があれば参考にしたかったVTuberである。
このnoteで取り上げられていないVTuberの作品性に関して、知見を持っている方がいるのであれば、ぜひ「そのVTuberをどのように鑑賞していたのか」の記述していただけると幸いである。
なぜなら「作品としてのVTuber」という視点は、最終的には「視聴者はVTuberをどのように鑑賞しているのか」という問いに行き着くからである。
タレントとして応援するのか、キャラクターとして鑑賞するのか、あるいはその両方が常に同時に成り立つのか。
この問いは、現実的な存在者でありながら、2D・3Dモデルを持ち、アニメや漫画のキャラクターに類する設定などを併せ持ち、様々なメディアを横断することができるVTuberという存在の、固有の複雑さに由来するものである。
そして、「VTuber=タレント」を前提とした議論だけでは、その複雑さを充分に検討できない。
本noteがその問いを考えるための、ささやかな足がかりになれば幸いである。
最後に、このnoteを書くにあたって、Xで私の知らないVTuberの知見を多くくださったフォロワーの皆様に御礼を申し上げる。


お疲れ様でした。活動の一環として物語を展開してくれるVTuberが好きなので、とても楽しく読ませていただきました! ご存知かもしれませんが、昔から好きで定期的に見返しているストーリー系VTuberがいるのでこの場を借りて紹介させていただきます。 ちゃんねる夜木 というYouTubeチャンネルで活動し…
非常に面白いnoteでした。 自分はVの音楽シーンが好きでよく追っています。 音楽をメインで現在も活動しているVtuber(Vsinger)にも、物語展開を有する方に何人か心当たりがありますので紹介します。 「エルセとさめのぽき」というユニットは、海の底からやってきた少女エルセとさめのぽきの二人組の…
ありがとうございます! 他のnoteを見れば分かる通り、私はvα-livのオタクなのでエルセさんは追いかけられていないですが、身近には感じております。vortex CORE最高です。 あと、知り合いのオタクにも「gobuさんはエルぽきラストワンマンを見るべき」と再三言われていたりします。 それはさてお…
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