【長嶋巨人にやってきた男/川口和久】「リリーフやろうよ」引退覚悟から変わった運命“メークドラマ”を完結させた左腕
逆転優勝につながったリリーフ転向
1996年は開幕ローテ入りも、結果を残せず二軍落ち。堀内投手コーチから「先発を降りてくれ」と戦力外に近い非情の通告をされた川口は、俺の野球人生が終わったと不貞腐れ、練習にも集中できず、競馬へ出かけたこともあったという。だが、そんな川口を救った男がいる。 「5月ぐらいにね。そのとき、初めて引退しようかなって。先発もできないし、もう辞めようかなというときに、8時半の男、宮田(征典)コーチに、『川口もう一回、やろうよ』と言われたんです。『でも、先発できないし……』て言ったら、『リリーフやろうよ』と言うんです」(週刊ベースボール1998年12月7日号) かつて球界を代表するリリーバーだった宮田コーチから、「ピッチャーには別の生き方があるんだよ」と諭され、36歳の川口はリリーフ転向を決意する。夏場に一軍再昇格すると、ローテーションの谷間で先発起用されながら、負け試合のリリーフから始まり、そこで防御率0点台と結果を残し、ブルペンの序列を上げていく。やがて勝ちゲームで登板するようになり、9月20日の中日戦でシーズン初勝利、24日の広島戦ではプロ初セーブを挙げる。そして、10月6日の中日戦、最大11.5ゲーム差を逆転する“メークドラマ”を完結させる最終回のマウンドへ上がったのは、長嶋監督から直々に指名された川口だった。最後の打者、立浪和義を見逃し三振に抑え、胴上げ投手に。「自分の野球人生の中で一番心に残るセーブ」と振り返った川口の巨人2年目成績は、29試合で1勝4敗3セーブ、防御率2.95。結果的に背番号25のリリーフ転向は、長嶋巨人の逆転優勝に繋がった。同時にこれが川口の巨人生活のハイライトでもあった。翌97年は3勝、98年は未勝利に終わり、1998年10月3日の東京ドーム最終戦、古巣・広島相手のサヨナラ登板で、金本知憲から通算2092個目の三振を奪い、現役生活に別れを告げた。 巨人在籍4年間で、通算85試合に投げ、8勝13敗4セーブ。広島時代の実績を考えれば、FA移籍は失敗だったと思われても仕方がない数字が並んでいる。だが、リリーフ転向を受け入れ、“メークドラマ”の胴上げ投手になり、自分の得意じゃない球種も恐れず投げ込む、川口のピッチングスタイルに影響を受けたと公言する木田優夫のような若手投手もいた。そして、現役引退後はドラフト同期の原辰徳監督のもとで、長く投手コーチを務めることになるのだ。憧れの長嶋茂雄に導かれるように巨人入りした川口和久は、「巨人の川口」として自らの役割をまっとうしたと言えるだろう。 文=中溝康隆 写真=BBM
週刊ベースボール