人が間違うとき――思い込みが判断を狂わせるメカニズム
先日、東京科学大学の女子枠入試をめぐる記事を書いた。内容を一行で要約すると「不公正な制度があるとわかったなら、その大学を避けて別のルートを選べばいい」という話だ。
記事にはコメントが殺到した。その数と質を眺めているうちに、これは人間の認識がどのように誤るかという問いへの、リアルタイムの実証実験になっていると気づいた。
今回はそのデータを使いながら、思い込みが判断を狂わせるメカニズムを整理したい。
コメントの分布
まず数字を見る。届いたコメントを記事の内容への言及度という観点で分類すると、おおよそこうなった。
記事の内容に言及したコメントは全体の約2割。「イェーリングの権利のための闘争」を引いて制度変更の歴史的意義を論じたコメント、医学部の女性差別との比較、オープンキャンパスと実態の乖離への指摘など、論として成立していた。
記事に書いていないことへの批判が約5割。「差別を受け入れろという意見」「体制の言うことを聞け」「差別主義者の言説そのもの」など、記事のどこにも書いていない主張への反論が多数を占めた。
属性攻撃が約3割。「こんな人が大学教員」「詳しくないのに口出しするな」「理工系じゃなくて教育学の人です」(実際には博士(理学))など、内容ではなく発言者への攻撃。
そして興味深いのはいいねの分布だ。
「泣き寝入りしろという有難い記事」40いいね。「差別主義者の言説そのもの」18いいね。「黒人奴隷制度を解説する白人農園主」35いいね。
一方、論として最も丁寧なやり取りが展開されたコメントは9いいねだった。
感情的なラベルほど拡散し、論として成立しているものほど読まれない。質と拡散力が反比例している。
観察されたバイアスの類型
確証バイアス
人は自分がすでに持っている結論を支持する情報だけを集め、矛盾する情報を無視する。
記事は冒頭で「差別はあった。それは事実として受け止めてよい」と明記している。それでも「差別を容認している」と読まれた。怒りの状態では、自分の結論を支持する部分だけが処理される。
フレーミング効果
同じ内容でも、どう提示されるかによって受け取り方が変わる。
「不公正な制度がある場所を避けて別のルートを選べ」という文章が、「泣き寝入りしろ」「差別を受け入れろ」と読まれた。枠組みが先に決まっていると、内容がその枠組みに引き寄せられて解釈される。
二項対立思考
「戦う」か「従う」かの二択に還元する思考パターン。第三の選択肢が視野に入らない。
「避ける」という合理的選択が、「戦わないなら従っている」と処理された。結果として「差別主義者の言説そのもの」というラベルが貼られた。
属性バイアス
発言の内容ではなく、発言者の属性で評価を決める。
「理工系じゃなくて教育学の人です」というコメントがあった。実際には博士(理学)だ。プロフィールを確認すれば30秒でわかることを確認せずに断定した。しかもそのコメントに複数のいいねがついた。誤情報が検証なく拡散する構造がそのまま出ている。
また「東京育ちで恵まれた環境の人間が説教している」という批判もあった。実際の経歴は神奈川大学、北陸先端科学技術大学院大学、千葉大学で、愛媛在住15年だ。「恵まれた環境」という前提が、調べれば即座に崩れる。
エコーチャンバー
同じ意見を持つ人たちが集まり、互いの意見を反響させ合うことで確信が強化される。
注目すべきは、テロ組織の名を挙げて「やりきった」と肯定したコメントがあったにもかかわらず、誰もそこに反応しなかったことだ。エコーチャンバーの中では過激な表現ほど素通りされる。共鳴できるかどうかだけが判断基準になっているからだ。
感情的推論
強く感じることが事実だという錯覚。
「時間がもったいない?それを言う資格があるのは同じ高校3年生の男子だけでしょう」というコメントがあった。資格の根拠が感情と属性だけで、論理的な根拠がない。感情の強度が証拠の代わりになっている。
最も興味深い観察
今回のコメント群を通じて、記事の核心的な問いである「なぜ東京科学大学でなければならないのか」に、一人も答えなかった。
これは偶然ではないと思う。その問いに答えようとすると、自分が偏差値バイアスの中にいることを認めることになる。だから無意識に回避される。
代わりに何が起きたかというと、記事を「差別容認」というラベルで処理して、そのラベルへの怒りをぶつけるという回路が作動した。問いに向き合う代わりに、ラベルと戦った。
このバイアスは誰にでもある
ここで正直に書かなければならない。
今回紹介したバイアスは、コメントを書いた人たちだけの問題ではない。私自身も含めて、人間であれば誰でも持っているものだ。
私がコメントを分析しているこの行為自体、自分の論が正しいという確証バイアスの影響を受けている可能性がある。自分に都合のよいコメントは記憶に残りやすく、自分の論の問題点を指摘したコメントは処理しにくい。
バイアスは「あの人が持っているもの」ではなく「人間が持っているもの」だ。
間違わないために何を注意すべきか
完全にバイアスをなくすことはできない。ただ影響を小さくすることはできる。
一次情報に当たる。 噂や要約ではなく、原文を読む。プロフィールを確認する。公的データを自分で調べる。今回のコメントの多くは、記事を読まずに反応していた。一次情報に当たるだけで、多くの誤読は防げる。
反論を探す。 自分の結論を支持する情報だけでなく、それを否定する情報を意識的に探す。「自分が間違っているとしたら、どんな証拠があるか」を問い続ける習慣が確証バイアスを弱める。
感情と事実を分ける。 「強くそう感じる」ことと「それが事実である」ことは別だ。感情が強いときほど、一歩引いて証拠を確認する。
第三の選択肢を探す。 二択に見えるとき、実は第三の選択肢がある場合が多い。「戦う」か「従う」か以外に「避ける」がある。
コストを考える。 コメントを打つ、いいねを押す、訴訟に参加する。それぞれのコストと得られるものを冷静に計算する。感情に駆られた行動はコストの計算を省略させる。なお、いいねによる名誉毀損が認められた判例がTwitterで存在する。noteはTwitterより個人特定が容易な環境だ。
自分で書く。 他人の記事にコメントするより、自分の論を記事にする方がはるかに建設的だ。論があるなら世に問えばいい。AIが補助してくれる時代に、記事を書くコストは劇的に下がっている。それをしないまま感情を消費するのは、本当に傷ついている受験生への敬意を欠く。
最後に
今回のコメント欄は、意図せずバイアスの実証実験場になった。感情的なラベルが拡散し、論として成立するやり取りは読まれない。属性で判断し、一次情報を確認しない。第三の選択肢が見えない。
ただこれは特別な現象ではない。同じことは毎日、あらゆる場所で起きている。
そして最後にもう一度だけ問いたい。
なぜ東京科学大学でなければならなかったのか。
公開されている各大学の卒業後の進路を見てほしい。一例を挙げるなら、社長が最も多いのは日本大学だ。その上で、この問いに答えられる人が、コメント欄に一人でも現れることを、まだ待っている。
大橋淳史|愛媛大学
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いつもより,少しだけ科学について考えて『白衣=科学』のステレオタイプを変えましょう。科学はあなたの身近にありますよ。
本サイトは,愛媛大学教育学部理科教育専攻の大橋淳史が運営者として,科学教育などについての話題を提供します。博士(理学)/准教授/科学教育

むしろあの反応を望まれて記事をお書きになったのかと思ってました。 「正しい反論」とは大学院レベルの高度な知的活動であり、大半の人間には難しいものです。
「一例を挙げるなら、社長が最も多いのは日本大学だ」 嘘つきは数字を使う、とはよく申します。 日本大学を否定したいわけではありませんが日本で一番卒業生の多いマンモス大学。2位の早稲田大学の2倍近い卒業生がいます。人数が多ければ社長になる人も多いわけです。 もちろん大規模な大学ならで…
「なぜ東京科学大学でなければならなかったのか」という問いの答えを持っているのは、実際の受験生達です。 コメント欄から見つかると思っている方がおかしいです。 もちろん偏差値もあるでしょうし、教員の質、研究テーマ、設備、進路など様々な要素があるでしょう。 それぞれグラデーションがあり…
初めに。このnoteの内在的価値は皆無と言って良いです。 1行で要約すると、「前に投稿した炎上中の記事に、感情を優先して噛みついてきた人々への陳腐な反駁だけ」です。 コメントの一部に見られる誹謗中傷をバイアスによるものと断定し、それらのバイアスを既存の言葉で並び立てることになんの価値…