ロリコンブーム前史
ロリコンブームはどのようにして起こったのか。諸説あるが、よく言われるのが、『ニンフェット 12歳の神話』(ノーベル書房)を始めとした芸術としての少女ヌードを前段とし、『LITTLE PRETENDERS 小さなおすまし屋さんたち』(ミリオン出版)を発火点にブームが幕を開けるといった史観だ。こうした見方は決して間違いではない。『LITTLE PRETENDERS』以前が、ブームとは呼べないマニアの世界であったことは確かだろう。しかし、そこへ至るまでの流れの中で、すっぽり抜け落ちている話がある。欧米から輸入されたロリータポルノの受容である。
欧米では、1970年代がロリータポルノの全盛期で、だいたい70年代の中頃までは、アメリカやヨーロッパの全域で当たり前に購入できた。日本のロリコンブームも、大元を辿ればこうしたロリータポルノの輸入から始まっており、ブームの仕掛人の中にも、購入体験を口にする者がいた。
──どーやって集めたんですか?
前中 ︎︎最初はポルノ専門店で買ってて、それは黒ベタの入ってるもので、まあそれもなかなかだったんですけど、だんだん本物が見たくなってデンマークに手紙出して、通信販売で買ったんです。
──やっぱりちゃんと送ってきますか?
前中 ︎︎ええ、送ってくるけどだいぶ税関で押さえられて、手もとに着くのは1/10位ですかね。お金を送って申し込むので、ずいぶんそんですけど、それでも着いた時はうれしいですねー。
前中行至とは、『PEPI』の制作頒布や『Hey!Buddy』(白夜書房)への参加などにより、ロリコンブームに深く関わった中崎至の変名だが、そんな彼のロリータ原体験の一つにも、デンマークから輸入した「本物」の存在があった。
とはいえ、こうした「本物」とは何を指し、どのようにしてやって来たのか。発端となったのは、後にワレメ規制史の幕開けを飾ることになる少女ヌード『モペット』シリーズで、これらの写真集が76年よりビニ本屋で売られ始め、業界がマニアからの需要に気づき始めたのが、『LITTLE PRETENDERS』で本格的に火がつくまでの、最初の地ならしとなった。
本邦においては、榎美沙子の中ピ連、『チビっ子猛語録』や『How To Sex - 性についての方法』のヒット、女性誌『微笑』の創刊、手塚治虫の『やけっぱちのマリア』、永井豪の『ハレンチ学園』、吾妻ひでおの『やけくそ天使』、大島渚の『愛のコリーダ』なんかに表れているように、70年代は「性の解放」の空気が強く、(建前にせよ)少女のヌード表現もそうした中で登場したと見られるが、77年、アメリカでいち早くロリータ表現に規制が入る。
この年にアメリカで制定された「性的搾取に関する法律(Protection of children against sexual exploitation)」は、「16歳以下の児童をわいせつな描写物などを制作する目的で使用することを禁ずる」もので、ロリータ表現の実質的な禁止を言い渡した。この件をきっかけに、ロリータポルノの中心は、ラディケーリ(急進左翼党)のバウンスガールド首相が69年、世界に先駆けてポルノグラフィーを解禁したポルノの本場・デンマークを始めとした欧州へと移る。代表的なのがデンマークのカラー・クライマックス社の『チルドレン・ラブ』とオランダの『ロリータ』だ。
コペンハーゲン中心部で中古書店を経営していた、ペーター・テアンダーとイェス・テアンダーのテアンダー兄弟。67年、ポルノ解禁以前より、彼らによって設立されたカラー・クライマックス社は、ロリータに限らず、当時なら特殊性癖と見なされるような、ハードコアポルノを大量に制作したデンマークポルノ産業界の最大手だ。ロリコン向けを目指したというより、数多ある売れる性的嗜好の一つとしてロリコンも扱っていたというのが実情だろう。
やがて、あらゆる嗜好に向けた新しいサブジャンルが次々と登場した。アナルセックス、サディズム、ボンデージ、高齢者の性、ティーンエイジャーの性などである。
テアンダー兄弟とレオ・マセンは、特にデンマーク独自のポルノ様式を確立した。モデルはごく普通の人々で、照明は非常に強く、すべてが明るく照らし出され、物語性はきわめて単純なものだった。業界自身はこのジャンルを「波打つ肉体(flæsk i bølgegang)」と呼んだ。
『Pornografiens historie i Danmark』より。筆者訳
71年に生まれ、78年の28号まで続いた、カラー・クライマックス社の『チルドレン・ラブ』は、デンマーク児童福祉法の裏をかいくぐり、インドや東南アジアの少女を始め、「※この少女はオランダで撮影したものです」との但し書きで、白い肌に碧眼金髪の美少女までもを登場させた。
80年7月1日の法改正により、デンマークでもロリータポルノの販売は困難になるのだが、その後もカラー・クライマックス社は、パイパンの成人女性をモデルに起用した『ティーンエイジ・セックス』なる擬似ロリ雑誌や非デンマーク人を起用した『ロリータ』などの映画シリーズを手がけた。その辺の事情については、レイ・ワイア/ティム・テイト『なぜ少女ばかりねらったのか』(草思社)で少し触れられているので、気になる方はそちらを参照されたい。
この雑誌のモデルは肛門性交や腟性交をされるか、いちばん多いのが、"男優"の精液を顔に浴びながら必死でオーガズムの表情を演じている。全員が、少なくともデンマークの承諾年齢以上にある。しかし、彼女たちは実際より、ずっと若く見せている。『ティーンエイジ・セックス』の編集方針が、思春期の少女から大人の女への変化を描き出すことにあるからだ。望ましいイメージを演出するためとはいえ、モデルの年齢をあらわにする陰毛をそることがあまりにも多い。
カラー・クライマックス社の『チルドレン・ラブ』と並んで、人気があったのがオランダの『ロリータ』シリーズだ。こちらは犯罪性の強いエグめの写真だけでなく、読者による投稿写真や情報交換のためのお便り広告によって誌面を成り立たせるなど、本邦における鬼畜系ロリコンの始まりである『PEPI』や『バディ』のプロトタイプ的な一面があった。
余談だが、『ロリータ』にはアグネス(本名アグネッサ)というオランダ国籍の少女モデルがいて、初登場は13歳6ヶ月の頃。そんな彼女が登場した4号は、世界中のロリコンが手放さないがために、一切市場流通しなくなるほど、カルト的な人気を博していた。『ロリータ』は、1980年に制作発行が全面的に禁止されるまで、50号近くが市場に流通したが、その中で彼女が登場した回数は極めて少ない。出版側は、他のシリーズに2~3枚彼女の写真を忍ばせることで売れ行きを伸ばす手法を取ったものの、『ロリータ』シリーズにおいて、彼女の姿が見られるのは、初登場の4号とその際の没フィルムを4枚ほど流用した17号ぐらいだ。アグネスの写真が極端に使われないのは、彼女を愛人同然に扱う発行人の事情が背景にあり、人気が出るや否や、本の売上よりも彼女への独占欲を優先したらしい。
この4号は今や世界中のロリコンの手に渡ってもはや入手不可能。
ポルノショップに無いだけではなく、版元にも、取次店にも、さらに倉庫にも"在庫"という形ですら存在しなくなってしまったのだ。
たとえ"発禁本"になったとしても、出版社の倉庫に眠っていることもあり得る。なんとか調べあげれば入手できることだってあるものだ。
いかにアグネスの人気が高かったか改めて驚かざるを得ない。
もはやどのような手段を取ろうともこのNo.4を手にすることはできない。
脱線が多くなったが、そろそろ話をまとめよう。アメリカでの禁止を背景に起きた、デンマークやオランダ、スウェーデンなど欧州のロリータポルノのブームを経て、それらの国々にも禁止の波が押し寄せた末に、皮肉にもポルノ禁止国の日本で、「ヘアはわいせつ」というヘンテコな基準の穴を突く形で、ロリコンブームが幕を開ける。そのきっかけとなったのが、みなさんご存知『LITTLE PRETENDERS』なのだが、それ以降の話はまたの機会に。
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