【何をするか(言うか)ではなく、誰がするか(言うか)】
週末、爆破予告により、東大の五月祭が中止に追い込まれる事態となりました。
日本は、「私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」という考えから程遠い国となってしまいました。
このような暴力的な抗議をするのはほとんど左派であり、言論封殺されるのは保守の側です。「何が差別であるか」も明確に示さず、「差別的な発言を繰り返した」という理由で暴挙に出る、いつものやり口です。マスコミも同調し、場合によっては、爆破予告した方より企画した側が悪いと言わんばかりの報道。
これが逆であったら、爆破予告をした方を徹底追及するでしょう。
mainichi.jp/articles/20260
時を同じくして、川口市議がクルド人が起こした交通事故で亡くなった方を貶めて、ご遺族が激怒されるという心の痛む件がありました。ネットでは問題視されていましたが、オールドメディアはほとんど取り上げません。
これがもし、自民党、参政党、日本保守党等の保守派の市議だったら。
地方議員であってもテレビで連日取り上げて、大騒ぎすることと思われます。
同じことをやっても「誰がやるか」によって、報道の扱われ方が変わります。
辺野古の事故もそうですが、イデオロギーの違いによって、取り上げるかどうか、追及するかどうかに明確な違いがある。本来公正公平でなければならない私達の知る権利が侵されているのです。
そろそろ政治がこの事態にしっかりコミットすべきではないでしょうか。