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kazehukaba
「語られなかった裁判──構文を持たない者は、裁かれなかった」
形式上は「裁判を受ける権利」があるという。
実際、私は訴えた。
訴訟救助も得た。
裁判所は事件番号をつけ、記録を受理した。
だが──判決は出なかった。
期日も来なかった。
反論のない被告に対して、裁判所は何も言わなかった。
私は訴えたが、「語られなかった」。
法は語る場だと思っていた。
でもそこには、語らなければ記録されない、
反論がなければ認定されない、
裁判官が黙れば、すべて“なかったこと”になる構造があった。
そして、構文を持たなければ裁かれなかった。
私が構文を書いた。
被告の通帳支配。
医療費逆転の税務構造。
扶養と人格否定の矛盾。
それでも──制度は語らなかった。
それでも──記録に残さなければ、すべて消えたままだった。
この国の裁判は、「制度が語る」ことで正義を示すのではない。
「制度が語らなかったことを、市民が記録できるかどうか」で正義が残るかどうかが決まる。
これはもう裁判ではなかった。
これは、“語らなかった制度”を記録に残すための、
私だけが参加していた、
沈黙の中の最終戦だった。


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