「ずるい人は得をする」のか? 決してごまかせない宇宙の帳簿『三時業』の教え 逃れられない因果とは
「正直者が馬鹿を見る」という言葉に心が折れそうになる夜。ずる賢く立ち回る人が得をして、優しい人が損をする現実に直面したとき、私たちがどう心を保てばいいのか。
道元禅師の『正法眼蔵 三時業(さんじごう)』の教えは逃げ得を許さない。宇宙の、厳格で、そして限りなく優しい「因果の法則」についてのコンテンツです。
やりたい放題で「逃げ切った」ように見える人たち
世の中を見渡すと、理不尽な光景に出くわすことがあります。
他人を平気で傷つけ、嘘をつき、自分の利益だけを追求する人が、なぜか社会的に成功し、周囲からチヤホヤされている。一方で、いつも他者を優先し、ルールを守って真面目に生きている人が、割を食って隅で小さくなっている。
「どうして、あんなひどいことをした人が罰を受けず、のうのうと笑っているのだろう」
そんな理不尽さに、やり場のない怒りや虚しさを覚えたことはないでしょうか。
世の中には、仏教や哲学を少しかじって、「『本来空(くう)』というくらいだから、善悪なんて人間の思い込みだ。因果応報なんて存在しない」と都合よく誤解し、自分の悪行を正当化して安心してしまう人がいます。
これまで散々人を踏み台にし、時には法スレスレの悪事を働いても、「若気の至りだ」、「やった者勝ちだ」と開き直り、実際になんのお咎めも受けていないように見える人たち。
彼らは本当に、何の罰も受けずに「逃げ切る」ことができるのでしょうか。
正直に、不器用に生きている私たちは、ただ損な役回りを引き受けるしかないのでしょうか。
答えは、明確に「否」です。宇宙の帳簿は、私たちが想像するよりもはるかに長く、そして恐ろしいほど正確に計算を続けているのです。
怯え始めた玲央 キヌさんの宣告は後味の悪い、いつまでも追い続けてくる夢
紗良(さら)さんは、いつも自分より他者を優先してしまう、控えめで不器用な性格でした。
会議でも言いたいことを飲み込み、他人のミスの尻拭いばかり。そんな自分の性格を「損ばかりしている」と歯痒く思っていました。
一方、同期の玲王(れお)は真逆でした。
歯に衣着せぬ発言で場を仕切り、面倒な仕事は巧みに他人に押し付ける。にもかかわらず、その堂々とした振る舞いは「度量がある」、「頼りになる」と上司から高く評価されていました。
「そんなことで気にすんな、紗良。世の中、強く言ったもん勝ちだからさ」
玲王はよく笑ってそう言いました。彼は過去に、他人を陥れて蹴落としたり、少々あくどい方法で成績を上げたりした武勇伝を悪びれもせずに語り、「それでも俺は今まで、何のお咎めも受けていない。罪悪感なんて、弱い奴の言い訳だ」と豪語していました。
紗良は、そんな玲王を心の底で軽蔑しながらも、どこかで「彼のように思い通りに生きられたら」と羨んでもいました。
しかしある日を境に、玲王の様子が劇的に変わりました。
出社してきた玲王は、顔面を蒼白にし、少しの物音にもビクビクと肩を震わせるようになったのです。
昼休み、人の少ないカフェスペースで、玲王は突然、紗良に向かって震える声で告白を始めました。
「俺……昔、学生時代に後輩を追い込んで、人生を台無しにしたことがあるんだ。前の部署でも、取引先を騙して……」
聞いてもいない過去の悪事の数々を、すがるような目で暴露する玲央。
「どうしたの、急に。誰かに脅されているの?」
「違うんだ……昨日、夢か現実か分からないが、不思議な老婆に出会ったんだ。『キヌ』と名乗ったその人は、俺に『業(ごう)の帳簿を見たことがあるか』と聞いた。俺は見てしまったんだ……自分がこれから受け取らなければならない、逃げ場のない真っ黒な山の正体を」
すっかり怯えきった玲王の姿に、紗良は言葉を失いました。あの自信満々だった男の面影は、見る影もありません。
その日の帰り道。紗良が駅のホームで玲王の異変について考え込んでいると、ふと隣に、見知らぬおばあさんが立っていました。
「あの若者はね、ようやく自分の『支払い』の時期が来たことに気づいたんですよ」
紗良が驚いて振り向くと、おばあさん――キヌさんは、穏やかな目で宙を見つめながら言いました。
「今まで罰を受けなかったのは、許されたからではありません。ただ、精算の時期が少しずれていたという、それだけのこと。彼がこれから受ける業に対しては、もうなすすべがありません。自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかないのですから」
キヌさんは、紗良の目を優しく見つめ直しました。
「だからお嬢さん。あなたは、あの若者を羨む必要なんて、これっぽっちもなかったのですよ。あなたのその控えめで優しい生き方は、誰にも見られていなくても、ちゃんと美しい光として積まれているのですから」
『正法眼蔵 三時業』 因果の精算は、必ず行われる
悪事を働いてものうのうと生きている人を見て、「神も仏もないのか」と絶望する私たちへ。鎌倉時代の道元禅師は、『正法眼蔵』の「三時業(さんじごう)」という巻で、極めて明確な答えを出しています。
仏教を少し学んだ人が「本来、すべては空(実体がない)なのだから、善も悪もない。因果応報なんて嘘だ」と勘違いすることを、仏教では「撥無因果(はつむいんが=因果の法則を否定すること)」と呼び、最も恐ろしい大罪として戒めています。
道元禅師は、私たちが作った業(カルマ=行い)が結果として現れる時期には、3つのタイムラグ(三時)があると説きました。
順現業(じゅんげんごう):行いが、今の人生のうちに結果として現れるもの。
順生業(じゅんしょうごう):行いが、次の人生(来世)で結果として現れるもの。
順後業(じゅんごごう):行いが、そのさらに後の人生で、いつか必ず結果として現れるもの。
つまり、他人にひどいことをして今現在「お咎めなし」で済んでいる人は、決して逃げ切ったわけではありません。「順生業」や「順後業」として、未来のどこかにその負債が先送りされているだけなのです。
宇宙の帳簿には時効がありません。キヌさんが言ったように、「許されたのではなく、支払いの時期がずれているだけ」なのです。
だからこそ、理不尽に傷つけられ、それでも誠実に生きようとしているあなたは、狡猾に立ち回る人を羨んだり、「自分もずるく生きよう」と心を濁らせたりする必要は全くありません。
相手に復讐を願わなくても、因果の法則が必ず、寸分の狂いもなく精算を行ってくれます。(玲央のように、ある日突然その恐ろしさに気づき、自らの恐怖に押しつぶされることもまた、業の報いの一つです)。
言いたいことが言えず、他者を優先してしまうあなたのその優しさは、決して「弱さ」ではありません。それは、あなた自身の未来を温かく照らす、美しく清らかな「善き業」として、宇宙の帳簿にしっかりと刻み込まれています。
誰も見ていなくても、仏様と、宇宙の法則だけは、あなたの美しい生き方をすべて知っています。
あなたご自身の優しさに誇りを持ち、安心して、これからもあなたらしい誠実な道を歩んでいってくださいね。
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そこそこ生きてきたものですから!なかなかの出来事や人達に出会ってきました。 理不尽な扱いを受けたり、軽んじられたり。 その度に気が付かないふりをしたり、自分の気持ちを呑み込んだりして、やり過ごしてきたように思います。 「今度こそ言い返そう!」と思っても、つい空気を読んでしま…