「優しい人が好き」と言う人は多いのに、優しい人が選ばれない理由
「優しい人が好き」と、ほとんどの人が言う。婚活でも恋愛でも、相手に求める条件の上位に「優しい人」が入ってくる。
それなのに、現実で選ばれてる人を見ると、優しいだけの人じゃなかったりする。むしろ、結構雑なのに選ばれてる人もいる。付き合ったり結婚したりしてから、モラハラやDVに悩む人も多くいる。優しい人は優しいまま、選ばれずに残ってる。
この現象は長年の謎だった。でも、観察を重ねて気づいたことがある。
「優しい人が好き」は、嘘じゃない。ただ、翻訳を間違えてる。
本当に好きなのは、「優しい人」じゃなくて、「好きな人に優しくされること」だ。この差はとても大きい。
優しい人は、誰に対しても優しい。店員にも、同僚にも、後輩にも、友達の友達にも、酔っ払いにも、動物にも、宇宙人にも、平等に優しい。それは人格として素晴らしい。でも、受け取る側からすると、自分への優しさが特別に感じられない。みんなに優しい人の中の一人になってしまう。
好きな人に優しくされることの価値は、「自分だけ」の部分にある。普段は雑なのに、自分にだけ丁寧。他の人にはぶっきらぼうなのに、自分の前では柔らかい。このギャップに心を惹かれる。特別扱いはみんな大好きだ。
恋愛市場で評価されてるのは、優しさそのものじゃない。自分への優しさが特別かどうかだ。そして、自分にとって価値ある人に優しくされてるかどうかだ。だから平等に優しい人は、特別を提供できない。だから選ばれにくい。
それと優しい人は、自分を差し出しすぎる。相手のために時間を空け、意見を合わせ、怒らず、要求しない。全部渡す。全部渡された側は、短期的には楽だけど、長期的には「失う怖さ」を感じなくなる。
失う怖さがない相手のことを、人は真剣に好きになれない。
雑に扱ってもニコニコしてる人。断らない人。怒らない人。こういう相手は、大事にされない。残念だけど、これが現実だ。
優しさが報われる条件は、二つある。
一つ、全員に優しくしないこと。優しさを向ける相手を選ぶ。大事な人にだけ、濃い優しさを渡す。他の人には普通でいい。優しさは希少性で価値が決まる。
二つ、嫌なことに「嫌だ」と言うこと。優しさと無抵抗は別物だ。本物の優しさは、自分の境界線を持ってる。「これは嫌」と言える人の優しさだけが、受け取る側にとって「信頼できる優しさ」になる。
全方位の優しさは、本人が負担が大きくなっている一方で、そこまで評価されない。大事な人にだけ出す、境界線のある優しさ。これが恋愛に必要な優しさだ。
優しい人は、優しさが足りないんじゃない。優しさの出し方が少し不器用なだけだ。そして優しいことは絶対に悪いことじゃない、好きな人を幸せにする第一条件だと思う。
【note】
noteでは、Xでは書ききれない話を書いてます
メンバーシップでは、三茶・恵比寿で飲み会とぶっちゃけ話をします
【X】
正真正銘のリア垢です
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