最終節 狐の姫

「わしの、刀だっ――皆を、よみ、がえらせる。……いもう、とも。おとうとも――あにいもっ――おとうも、おかあも」

「みんな、死んだ。お前もだ、桑守半兵衛!」


 葉蔵は脇腹の痛みを堪える。

 偶然なのか、やつが蹴った部分は、半兵衛の死因である銃創――それが浮かび上がった痣である。


「わしは、しんで、おらぬ――ここに、ひめ、さまと」

「終わったんだよ、もう。戦は、終わったんだ」


 がくり、と半兵衛がその場にうずくまる。

「ばかな」


 葉蔵も、立っているのも限界だった。

 だが、刀までたどり着いた。

 それを掴む。


「終わりだ、半兵衛。お前たちの戦は。武士の時代は」


 葉蔵は刀を引き抜く。

 そして、おもいきり、石畳に打ち付けた。


「よせっ!」

 二度目。中程が、歪む。

「やめろ! それは、武士わしらの御魂だぞ!」


 悲痛な叫びだった。だが。

「やめてくれ――……」


 三度目。とうとう、刀がばきり、と折れる。


「げぼっ、ごほっ」

 怨霊が、どすぐろい血を吐いた。

「くされ、げどう、めが――」

 そのような呪詛を吐き捨てて、五百年余りを三河で惑い続けた怨霊が、ついに塵となって消え果てた。


 今際の際に飛び出した言葉は。

 己を破ったものへの祝福ではない。

 ただただ、怨嗟。


 葉蔵は薄ら寒いものを感じた。

 たしかに己は三河武士の末裔だ。

 けれど。

 到底、やつらの命を軽んじる生き方は、己とは――守り手である葉蔵とは相容れない。


 葉蔵は折れた刀を右手に、脇腹を押さえて、進む。

 ――あとは、あの祠だ。


 祠を、どうにかする。

 だが、ガワだけ壊していいものなのだろうか。

 あれにも、しかと、弱点があるのではないだろうか。


「くそっ、いつまで握っとるだ。こんな刀なんか、いらんら」

 葉蔵は、未練がましく握っていた無銘を放り捨てる。


 自分は知っているはずだ。

 この世ならざる、霊異の土地を覗き見る、その方法を。


 葉蔵は両手で狐の影絵を作り、結んで、そして開く。


狐門ノ術きつねもんのじゅつ――開門」


   ✧


 そこは、物静かな境内であった。

 夕暮れ時。逢魔が時。

 夏の終わりの、秋がけむる紅葉の。


 美しい女性がいる。きつね色の髪が、やわらかく。秋色に照らされている。

 空は晴れているのに、小雨がぱらつく。

 白無垢に、狐の面。


「葉蔵様」

「……様は、いらん。橘禰。おわったぞ。全部」


 こく、と橘禰は頷いた。

「面は、取れんか」

「はい。見れば、幻滅いたします」


 もし。彼女の面を剥いで、そこに恐ろしげな面相があれば。

 祟り神の、恐ろしい顔があれば。

 己はきっと衝撃を受け、動揺するだろう。それを知った橘禰の心の傷は、きっと、塞がることのない――。


「だでなんだん」

 葉蔵は橘禰に詰め寄り、面を剥いだ。

「惚れた女の顔くらい、見ておきたい」

「…………っ」


 そこには、泣きじゃくる橘禰きつねの顔がある。

「女の、泣き顔をみるなんて、無体な男です」

「顔くらい、見せりん。惚れた女の顔だ。死ぬまで――死んだって、忘れるもんか」


 葉蔵はただ橘禰きつねを抱きしめた。

 そうしてお互い、声を放って泣く。

 泣いて、泣いて、泣いた。一生分は、きっと。


「葉蔵」

「うん」

「私を覚えていてください。そして、いつかこの旅が、あなたのなかに深く染み込んだら」


 橘禰は、にっこりと微笑む。

「新たな恋路へ、旅立つのです。踏みとどまってはなりません。歩みを止めたとき、人は死んでしまいます。それでは、怨霊と同じです」

「うん。……」


 きつねが、……。――きつねが。その手で。葉蔵の顔を包み込む。


「――生きなさい。強く、懸命に」


 葉蔵は、もう泣いていない。


「きつね」

「はい」

「いまもここにおるかん」

「はい」


 葉蔵は、もういちど、問う。

「まだ、おるかん」

「しつこいですよ、葉蔵」


 震える声で、もう一度。

「橘禰」

 声は帰ってこない。


 夜の廃れた神社。

 虫が鳴くそこで、一人の男が、短い恋の終わりを噛み締めていた。


 一匹のきつねが、その男の側で、小さく鳴いていた。

 秋晴れの払暁に、小雨がぱらついている。



   三河霊異記 ― 狐の姫 ―

     了

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三河霊異記 天 ― 狐の姫 ― 三河蕾花(筆刀斎) @Funny-Fice

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