第二節 覚悟

「軸をぶらすな若造!」

 源一郎が怒鳴り、葉蔵の繰り出す槍の穂先を大太刀の剣先で容易く逸らす。

 柄頭で頬桁を思い切り殴り飛ばされて、葉蔵は転がった。

 したたかに打ち付けた顎が、変な音を立てた。関節が外れる。だらしなく舌とよだれを垂らしたまま、けれど、立ち上がる。

 が、容易く足払いをかけられて、ひざまずいた。

「戦の最中に俯くとは、なんたる余裕か」

 追撃である。源一郎は一気呵成に大太刀を振り上げた。

 ずだん、と葉蔵の首が落ちる。


 ――二十二回目。

 今度の葉蔵はほとんど勘で、槍を捨てて、源一郎の胴に抱きつくような形で飛び込んだ。

「むっ!」


 刃圏はけんの内側に潜り込めば、あとはもう、ひたすらに殴り合い――

 いや。思い出せ、これまでの夢を。二十一回の、死を。

 武士の武器は刀、脇差し。それと。

 ――馬手差し。


 はっとして葉蔵は体をよじり、源一郎の上からどいた。

 侍大将・源一郎はすでに右手で、右腰に差している短刀――馬手差しを抜き、振り抜いていた。

 うかうかと殴ろうとしていたら、今頃、脇腹をぶっすりだ。


「さすがは半兵衛の子孫、勘がいい。だが、二十二回目でようやくか」

 面白そうに笑う源一郎。

「葉蔵っ」

 半兵衛だ。初代が、後ろで声を掛ける。

「草摺と草摺の間、それか、それを吊り下げるゆるぎ糸じゃ! 股ぐらよォ! そこを狙えい!」

「くく。そうだ葉蔵。戦に情もきれいごともいらぬ。足軽が侍を討ち取るならば、金玉を狙うのが一番よい」


 葉蔵はつま先で槍を蹴り上げて、拾い上げる。

 そして、順手に構えた。槍の構えなど知らない。知るものか。だが、刺し方はわかる。

「その顔でええ。殺す気で来いなぞとぬるいことは言わぬ。死ぬ気でやれなぞと、甘え腐ったことも言わぬ」


 源一郎が八相に構えた。本気である。

「殺してみよ。踏み越えてゆくのだ。――わしらの屍、超えてゆけ!」


 葉蔵が駆け出す。

 槍の穂先はすでに、寸分の狂いもない、芯の通った、まさに神速の突きである。

 すでにこの長篠合戦を、二十二回繰り返している。

 あるときは首をはねられ、あるときは馬に踏みしだかれ、あるときは味方の鉄砲で蜂の巣にされた。


 穂先が源一郎のゆるぎ糸を狙う。しかし当然、相手も攻撃を予測し、対策と次手を組み立てているだろう。

 撃墜が来る。大太刀をかすかに引き気味に構えており、鎬筋での直下打ち下ろしを以て、刺突を殺す気だ。

 葉蔵は槍の太刀打ちのあたりをさっと握り、鍔迫り合いに持ち込んだ。


 いつか見た夢の、焼き増しだ。


「わしは他者を思いやる心なぞ、武士にいらぬと、そう言った事がある。お前の先祖、半兵衛に」

「俺も、そう思った。愛を知らなきゃよかったと!」

「ああわしもだ。だが違った」


 血のような、真っ赤な具足。兜には、鬼の如き角をいただく。面頬も鬼を象る、恐ろしい面相。目は、紫紺に燃え盛っている。

 けれどその怨念の火は、ゆるく溶けて消える。

 あわらになるのは、帰り道を見失った犬のような目だ。


 源一郎。時代においていかれつつも、諦めず追いすがり、適応しようとした。

 彼の姿が着流しへ、新政府軍の頃の黒い隊服になる。


「たしかに武士に他人を思いやる心などいらぬ! だがな葉蔵」


 今度は、愛知県警第四課の詰め襟に。馬場源一郎改め、尾崎源一として生きていた頃の姿に。


「お前は武士ではない。残酷だが、それが事実。そしてわしは、骨の髄まで武士なのだ」


 再び、具足へ戻る。彼はやはり、時代には適応できなかったのだろう。

 最後まで、武士を捨てきれなかった。


 がりがりと鍔迫り合いは続く。

 樫の柄が悲鳴を上げている。


「俺はっ、負け犬だった。奪われて、取られて、逃げて、逃げ続けた。姫さんの旅すら、言い訳にして、投げ出そうと……」


 いくつもの思い出。三週間足らずの旅。夏と秋の、その狭間の。

 ほんのわずかな。

 ――恋路だった。


「俺は、心の狭い三河者。守れるもの、突き通せるものは、せいぜい……っ、一つや二つだ!」


 葉蔵は渾身の力を込めた。

 源一郎の大太刀を徐々に押し返していく。


「俺は、逃げない。もう、逃げるものか」

 意気軒昂、葉蔵は源一郎の大太刀を弾き返す。


「それでいい」源一郎は、面頬の下で微笑み、

 葉蔵の槍の先が、ゆるぎ糸を刺し貫き、するりと、驚くほど滑らかに源一郎の背中までを滑り抜ける。


「手間を、かける。……葉蔵、わしの、わしらの怨霊は、解き放っては、ならん――」


 葉蔵が槍を引き抜くと、源一郎がどさりと、前のめりに倒れ込んだ。

 あたりの長篠合戦の景色が溶け落ちて、白亜のふわりとした、「はざま」に迷い込む。


 そこにはもう、源一郎も、初代半兵衛もいない。

 けれどずっとずっと先にいる。

 姫様が。

 橘禰きつね姫が。


「狐の姫」


 葉蔵は声をかけた。


「葉蔵。私はひどい思い違いをしていました」


 彼女は言う。いや、葉蔵が、言葉を引き継ぐ形で、重ねた。


「源一郎の怨霊だけじゃない。きっと、半兵衛の、俺の親父の、ご先祖の。そして。橘禰きつねの、怨霊」

「牛場恭平の、牛場五郎左衛門の。きっと、私達を中心につながっていく、無呂無数の怨念です」


 橘禰は言う。慄然と。

「人と人のえにしは、切れるものではないのです。よくも、わるくも。連綿とつながっていくのです」


 葉蔵は、槍を握る手に力を込める。


「中秋の名月の夜、獣ノ杜ししのもり山頂にて待ちます。あなたに来てほしい。けれど――祟り神のわたしなど、みてほしくない」


 葉蔵は、橘禰きつね姫に言った。


「逃げませぬ。姫。俺は。あなたをお救いする」

「信じて、――信じてもよいのですか」

「鬼に横道なし。俺には、源一郎という鬼の血も、流れておりますれば。――頑迷固陋な、三河者です」


 姫は、目を伏せて、うなずいた。

 頬を、月がこぼすようなひかりの雫が落ちていく。


「お待ちしております、葉蔵」


 白亜が溶け落ちる。

 葉蔵の意識も、そこで、ぷつんと切れた。




 中秋の名月の日である。すなわち、最後の合戦の日だ。


 スダジイやらタブノキの生える夜の山。原始の山林が、そこだけ、残っている。

 なぜそこは開発の手を免れたのか、はっきりとはわかっていない。

 あるいは、玄妙な影を、為政者は恐れたのかもしれない。


 空には、満月へと育きっていない、けれども美しい金色の月が、立会人とばかりに浮かんでいる。


 済ませられる準備は、全て済ませた。


「いいだな、ここまでで」

 親友の祐介が肩を叩いて、言った。

「ああ。むしろ、悪ぃ」

「気にすんな。ほれ、槍」

 祐介が手渡してきたのは、一振りの笹穂の持槍である。間合い、一間半(二・七メートル)。

 当然だが、銃刀法違反。だがここには警官はいないし、通報するものも、いない。


 葉蔵は和装であった。

 髪は後ろで縛ってまとめ、鉢巻で汗を食い止めている。

 小袖に袴。足袋に草鞋。

 具足があればよかったが、流石に無理があった。現代人が用意できる正装は、これが精一杯である。


「葉蔵、忘れとる」

 美琴が、一枚の羽織を持っていた。

 それは、一ヶ月前、橘禰きつね姫と出会った時、彼女が着ていた羽織である。

 三つ巴の桑の葉に、それと交錯する三つ槍先の家紋。

 擦り切れている。修繕はされているが、およそ五百年を渡ってきた古物とおもえば、上等な一枚だ。

 葉蔵はそれを、二人のツレに着せてもらう。


「行ってくる」

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