第二節 痛み
御一新の後の世は、激動であった。
それまでの文化がいっせいに変わったのである。
馬場源一郎は新政府軍――薩長土肥のうち薩摩に己を売り込み、示現流を学びながら、江戸、そして京都で暗躍。
ついには戊辰の戦にも参加し、いっそ、そこで華々しく己を散らすつもりであった。
しかし、それは叶わなかった。
無様に生き延びた自分は、腹を切って死のうと思った。
それが、生き延びた――死にきれなかった武士としての最期としてふさわしいと思ったのだ。
己は鬼である。しかし当時はまだ生者であった。幾百年生きた鬼も、腹を切れば死ぬのかと思うと、面白くすらあった。
脇差しを握り、正々堂々、腹を裂こうとしたが、それを止めたのが「みなと」という娘であった。
「お侍様」
「……侍ではない」
「でも、ご立派な大太刀がございます」
「わしが死に果てたら、墓標にせい」
この娘、なかなかに強情と見え、
「あのう」
「何ださっきから。ええいうっとうしい小娘が!」
「ご、ごめんなさい。庭にですね、恐ろしいイノシシが出るのです。退治してもらえませんか? 私たちでは、手も足もでないのです」
何だその頼みはと突っぱねることもできた。
だが、これは最期に善行をせよという、武神武御雷様からのご下知にも思えた。
源一郎は興を削がれたこともあって、黙って大太刀を担いで歩く。
娘は不安なのか、矢継ぎ早に質問をしてきた。
「生国は?」
「三河」
「どこにお仕えしていたのですか?」
「己の剣が主、切っ先が示すものが敵だ」
「好き嫌いは?」
「腹が満ちれば良い。おい、なんだ、さっきから。わしを何だと思っておるか」
娘は、きょとんとした顔である。
ふしぎだ。まるで、こちらを恐れていない。
源一郎は、幼い頃から鬼の子、悪鬼、などと蔑まれてきた。
体が大きく、顔は強面、特別癇癪持ちではないが、剣を振らせれば豪傑無双。
気づけば己はほんとうに、妖異威容なる鬼となっていた。
戦で上げた武功は数しれず。侍大将として長篠で戦い、その後、宿敵半兵衛――すなわち、葉蔵の先祖を生涯の宿敵とした。
徳川の直参である半兵衛を討つべく、徳川の敵へ己を売り込み、斬って、斬って、斬りまくった。
しかしその半兵衛はもういない。
あいつは、関ヶ原で雑兵足軽の鉄砲に倒れた。
「なぜでしょう」みなとは続ける。「いまにも、折れてしまいそう」
「…………。剥き身の刀身は。簡単に馬鹿になる。日本刀は武士の御魂の生き写し。わしらとて、心無い非道無道の外道ではないのだ」
なぜそんなことを語ったのか、自分でもわからない。
己以上に、非道、無道、外道の似合う鬼畜生はいないだろうと思ったのに。
そうして娘の家に二日ほど逗留し、現れたイノシシを、大太刀で両断。
これで終わったと思ったら、娘の父親が帰ってきていたらしい。
そしてその父親は、当時西尾県と呼ばれていたここの役人であった。
まだ戦の残滓のある時代だ。仇討ちが禁止になるのはこの少しあと、明治六年のことである。さらに、廃刀令はのちの明治九年のことであった。
県の役人を狙う暗殺は非常に多い。
ゆえに役人であったみなとの父は、源一郎を護衛にしたいと言ったのだ。
まったくおかしな話である。
散々人を斬りまくってきた自分が、今度は、人を守れだと?
しかし、暗殺の凶手の中には遣い手もいよう。ひょっとしたら、武士の最期にふさわしい相手もいるかも知れない。
そう思って、源一郎は首を縦に振った。彼はこのとき、みなとを娶り、尾崎源一と名を改めた。
おもえば、このみなとを突っぱねなかったのは。
かつて惚れた、狐の姫に、その面立ちが似ていたからやもしれぬ。
✧
Misskey.ioというサービスがある。純粋な国内産の貴重なSNS、正しくは分散型ミニブログである。
葉蔵はこのサイトにアカウントを持っており、時々、いちごの宣伝をしたり、地域の発信をしたり、あとは面白い投稿を見たりしていた。
といっても彼はあんまりスマホをいじる習慣がない。
小さい頃からハウス農家の手伝いばかりしていたので、そういうネットで遊ぶ習慣が身につかなかったのが理由だ。
隙間時間に五分ほど、タイムラインを見るくらいの利用である。
葉蔵と橘禰はホテル西尾のツインルームを取って、休息していた。
ネット回線が使えるのはありがたかった。しかも無料だ。
ioを見ていると、橘禰が「いまの投稿遡れますか?」と言った。ほとんど耳元で、温かい息とともに声が踊るので、思わず、変な声が出そうになった。
努めて冷静に、「お、おお」と言ってスクロール。
「その、バレーボールのアイコンの方です」
「あ」
葉蔵は、投稿にセンシティブの折りたたみが掛かったその投稿を見た。見出しには「ホラー注意 八ツ面山で変なの揺れとるけどなんこれ??」とある。
リアクションにはおばけのカスタム絵文字やら、おかしみを持たせるためか「キジか?」というもの、「こわい」というものがちらほらついている。
その投稿を開くと、こうあった。
「ちょい前に撮影したやつ。ここらにある虚無僧松のとこで、変なのがゆらゆらしとった。なんだら?」とある。
画像を表示する。
そこにはたしかに、黒っぽいもやのようなものが揺れていた。
葉蔵は、他人の生活を覗いているみたいでちょっと嫌な気持ちだったが、四の五の言っていられない。
「わかった。けど、断り入れよう」
ダイレクトで、「すみません、こちらのホラー投稿のお写真を保存してもよろしいですか? それから、画像について、解像度を上げる処理などは試されましたか?」と送る。
少しして、「構いませんよ。けど、悪用はしないでくださいね。解像度処理なんですが、AIに頼んで補正と影について聞いてみたんですが、プロンプトを打つと長考の末に、急にアプリが落ちます」ときた。
葉蔵は、二の腕に粟立ちを感じた。
「ありがとうございます。いらない世話かもですが、なにか変なことが続くようでしたら、警察とか、神社やお寺にご相談されたほうがいいかもしれません」と感謝の旨を送り、画像を保存。
「AI補正が効かない……これさ、この前の新田研屋で、源一郎を撮影したときと同じだよな」
「はい。逃走する源一郎は、AI補正カメラでもぼやけて、補正不能だったと」
葉蔵は明日、もういちど八ツ面山に行こうと決めた。
さすがに、こんな暗い中行くのはホラーすぎるし、普通に危ない。
あくる十三日の日曜日。
ホテル西尾の無料モーニングで食事を済ませ、外へ出た。
天気は曇天である。どんよりと重たい雲からは雨の臭がする。強いて言えば、湿度をはらんだ空気のせいで、土やらコンクリが、つよく、下から上がってくるような臭気がするのだ。
あるいはここらは海が近く、磯の香りの具合からも、やはり雨の気配は感覚でわかる。
これは一雨来る。
二人はコンビニで傘を買い求めた。
午前十時頃に八ツ面山に入ると、くだんの虚無僧松、またの名をなぞかけ松のところへ来た。
日曜日の午前十時である。葉蔵は人通りが少ないのが気になって、天気予報を見ると、そろそろ軽く一雨来る傘マークが出ていた。
さすがに雨の日に山には来ねえか、と思った。
しかし、だとしてもいやに人が少ないではないか。
そのとき。
スマホの電源が、急に落ちる。
「えっ、あ」
「どうしました?」
「いや、スマホがつかねえ」
葉蔵はスマホの画面に、ぽたっと雨粒が落ちたことに気づくと、「うわ、やばい」と思ってポケットに突っ込み、傘を差した。
そのとき、すっかり忘れていた左脇腹のあざ――関ヶ原の夢を見たときいらいできた、鉄砲傷の如きあざが。
「あぐ――っ、あ」
ずく、と痛んだ。
「葉蔵?」
「な、なんでもない。横っ腹が痛え。運動不足じゃねえら、俺……なん、で――」
ぐらり、と視界がかしいだ。
そうして、額が、地面とぶつかる。
視界に火花が散って、とおく、
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