第四葉 時を寄る虚無僧松

第一節 環世界、〝環時間〟

 時代が違えば、そこに生きる人々の目に映る世界も違う。

 同じ世界でも、通すフィルター、レイヤーが――時代が違えば、それだけ環世界ウムベルトは変わり、多層化するだろう。

 見聞きする情報の色彩と音響、臭気、温度や湿度が諸々違うのだ。入ってきたそれらが、処理されはじき出される解も変わろう。

 人種性別年齢どころか、個人で、環世界は大きく異なる。


 そしてあまりにも環世界が異なるの他人というのは、だいぶ乱暴な表現になるが、

「違う世界で生きている、得体のしれない変人」

 つまりこういうことになる。


 これはいかにも閉鎖的な地方コミュニティの思想である。

 けれども、存外日本人には、とくに、田舎には未だこのような考えが多い。

 若い世代は「俺等はそんなことない」といいつつも、言動や行動の節々には、どうしても、そのような考えが滲んでいるものだ。


 それこそ、他人と比較するときに、劣っている誰かを身内の外とか、嫌っている誰かで代入しようとする素振りは、まさにそれである。

 身内以外ならば馬鹿にしてもいいという性根が透けているのは、現代社会のあちこちで、散見される。


 それはなにも、物理的な距離に限らない。

 時間的な距離にも現れる。


 昔は科学も未発達、人心も幼く、幼稚である。

 このように考える人間はうんと多い。

 一方で、昔は今よりあれこれ足りないものが多かった、不便だったのに、行動や思想は先進的だった。

 と、妙に持ち上げる懐古主義者もいる。


 いずれにしても、「無意識に嫌っている、ないし、忌避するもの」を、「己の価値観で語り、貶めている」ことに違いはない。

 なんせ、当時の人間にとっては、その時代が最先端なのだ。

 現代人が未来に思いを馳せることはあっても、未来へ時間跳躍するぞ、といって飛んでいくことなんてしない(できない)ように。

 むかしむかしの人々は、そこにある「最先端のもの」で、やりくりするか、手元の道具でどうにか生きていただけだ。


 そして、怨霊とか、妖怪とかは、すくなくともそれが盛んに語られていた時代においては「決して馬鹿に出来ない隣人」であり、「畏れ敬う化身」でもあったのである。

 ほんらい畏れられ、敬われるべきそれらが馬鹿にされていると知ったら、どう思うだろう?


 大地は、海は、川は?

 古物は?

 土地に眠る、無呂無数の血潮と御魂は?


 現代人が、昔の人を蔑み小馬鹿にすることがあるのなら。

 ――かつての人々が、現代人の営みを屁とも思わないなんてこともあるのではないだろうか。


 すくなくとも、すくなくとも。

 眠っていた遺骨を掘り起こし、後学のためと言い張り、好き勝手いじくっているのである。

 いにしえより蘇った者たちによって、現代人が同じ目にあっても、日本人の大好きな言葉で済まされはすまいか。

「お互い様ですよ」――と。


 環世界。それはどうじに環時間、環時代ともいえないだろうか。




 九月十二日、土曜日。葉蔵たちが街に戻って、宿探しをしている頃。


 夕暮れ時である。地元の中学生や高校生たちが部活動を終えて、三々五々散っている。

 葉蔵は通り過ぎていった、自分よりも背の高い高校球児を観て、なぜか微笑ましく思った。

 高校球児の隣には、髪を後ろにまとめている快活そうな女子高生がいる。早合点はできないが、決して険悪ではなさそうだ。


 その二人は、地元高校では有名カップルであった。

 彼らは葉蔵らと入れ替わる形で八ツ面山に入り、談笑しながら遊歩道を進んでいる。

 ジャージにスポーツバッグという出で立ち。丸刈りの頭が青々としていて、体躯も、なるほどがっしりとたくましい。

 女子高生の方もジャージで、何らかの運動部と思われる。方形のボールバッグを担いでいるので、バレーボール部員だろうか?


 微笑ましい光景である。夕暮れ、夏の終わり。

 しかし。この山の恐ろしさを、彼らは――うまく、理解できていないと見える。


 さて、なぜ雲母が過去の特産となったのかをご存知だろうか。

 産出量が減った、鉱脈が枯れた。

 古今東西の鉱物の栄枯盛衰はおおよそそのような末路が常であるが、雲母は少し、事情が異なっている。


 令和八年、三月から五月末まで行われた「石づくし 古書が語る石の世界」という企画展で販売されたバックナンバーブックに、このような資料が寄せられている。

雲母うんもついて』

 これによると、明治三十三年の落盤事故によって、雲母の採掘そのものが打ち切られたのである。

 つまり、「枯れた」のではなく、「作業の強制中断」であった。

 そして、昭和三年には約二十箇所の雲母抗が埋め立てられた。

 だが放置されていた坑道=竪穴もあり、その後小学生の転落事故が発生。

 昭和六年、地元の青年団によって数百箇所の雲母抗が埋められた。

 現在では一つだけ雲母抗が残っているが、これは市の指定史跡となっている。


「だで、ここらにゃ怨念が出るって、爺さんらがいっとるだよ」

「え〜嘘だら。いまどきそんなんありえんら」

 まあ、今どきの子供にとっては史跡云々はいいとして、そこにまつわる、奇妙な怨念話は通じるまい。


 たとえば八ツ面山には、なぞかけ松、あるいは虚無僧松という地元では有名な松がある。


「西尾八ツ面山~謎かけぇ~サノヨイトサノサノサノサノ松よ~」


 浜松普大寺の虚無僧が行き倒れた土地という説もあるが、聞いた話の中で、面白いものがあるのでそちらを紹介する。

 それは、逢引の末に、死にきれなかった武士の悲恋である。


 幕末、岡崎城下の武士・植村主税と、お夏という娘が恋に落ちた。けれど二人の父親同士は大変に仲が悪く、この実らぬ恋に、二人は菅生川に身を投げてしまった。

 しかし、非業と言うか、植村主税だけが生き残り、彼は虚無僧に姿を変えて西尾へやってきた。

 ある美しい松の下で休んでいるとき、川面に映った松の影が、恋しい夏の幻に見え、そこへ身を投げてしまったという。

 いらい、この松は虚無僧松と呼ばれるようになった。それがどういった経緯なのか、なぞかけ松へと名を変えた。


 二人はこの松の話を、同級生から聞かされたときに、あんまりいい思いはしなかった。

 それはそうである。これから仲を深めようという間柄なのに悲恋を聞かされるのは、ちょっと、いい気分ではない。

 その虚無僧松――の、三代目の松が見えてきたときだ。

 スダジイやらが群生する中にぽつねんと立つ節くれだった松があるのだが。

 そのあたりに石の灯篭らしき、苔むした古い石柱が立っている。

 松と石柱の間の境界に、なにか、揺れているのだ。


「なんだん、あれ」

 女子のほうが、なにやら気づいた。

「ん? なにが?」

「あれだって、ほら。疲れ目かなあ」

「スマホばっかいじっとるで」

「あんたに言われたくないよ……なんだら、あれ?」

 なんとなく気になり、彼女は写真を取った。

「ミスキーに上げんの?」

「ん〜、まあ、いつ撮ったとかはぼかすけどね」


 そう言って、気味が悪いこともあり、彼らはそそくさと退散した。

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