第三節 西尾岩瀬文庫

 それから寝拠多ねこたと別れた二人は、予約していたホテルにチェックインした。

 一泊、朝食のセルフサービスモーニング付きで八二五〇円で泊まれるビジネスホテル、HOTEL AZに予約を入れてあったのだ。大人二人、一部屋セミダブルベッド。

 バスタブもあったが、葉蔵はシャワーで済ませた。

 先にシャワーを浴びていた橘禰きつねは、寝間着のジャージ姿である。明日着ていく服はコインランドリーで洗濯を済ませてある。

「飯いこまい」葉蔵は言った。

「はい」橘禰きつねは静かに頷く。


 ラブロマンスを感じたい気持ちが、葉蔵の中で少し燃えた。

 けれど、橘禰きつねはそういう気があまりないのか、あるいは、女から求めるのははしたないと思っているのか、悲しそうな顔を時々する。

 望郷の――いや、郷を思うように。


 ジャージで出歩くことに、二人は抵抗はない。田舎で着飾っても、むしろ浮くだけだ。上着のジャケットを適当に引っ掛けるくらいである。

 外はもう暗い。九月とはいえ、夜はさすがに熱帯夜とは言い難く、湯冷めすることも考えれば、上に一枚袖を通すのは悪くない判断だった。

 目的地はホテルから海沿いを西へ言ったところにある、「あさごろも」という和風ステーキ店である。

 いかにもな田舎者である葉蔵の感覚では、正直一人二〇〇〇や三〇〇〇円を超えると贅沢という感じである。

 なので、ステーキ店というのは、彼にとっては盆か正月の祝い事のイメージだが、まあ、今日くらいはいいだろう。


「ごめんなさい、葉蔵……私、無一文なのに、いい思いばかりして……」

「気にしてねえって。んなこと。俺の方こそ、むさ苦しいばっかでわるい。気の利いたこととか言えんし、できんし」

「私を、」橘禰きつねは、もご、と口をこもらせて。「私たち妖怪を思ってくれるだけで、すごく、嬉しいです」

「うん……ほら、つくぞ」


 葉蔵たちはステーキ店に入って、すこし贅沢なディナーを楽しむのだった。




 葉蔵たちの推理は半分当たって、半分外れていた。

 一つ、当たっていたのは鬼武者こと馬場源一郎辰蔵は確かに西南の役で死んでいるということ。

 一つ、外れたのは源一郎が当時「尾崎源一」と名を変え、愛知県警第四課に努めていた、立派な警官であったということ。


 なぜ源一郎が警官をやっていたのかは不明だ。

 しかしこの源一、やや古めかしくはあるものの、大変規律的で、勇猛、粗暴さはあるが、筋を通すよい警官であったらしい。

 彼は剣撃大会上位入賞を繰り返し、その腕から、西南の役では西郷軍鎮圧のために抜刀隊に抜擢されている。


 おそらく日本で最後の、武士の、刀の戦であっただろう。

 その――〓、尾崎源一――馬場源一郎は死んだ。

 その死因は、――。



 九月十二日、土曜日。西尾岩瀬文庫は原則として年中無休であると言うが、暴風警報発令時やなんかは臨時休館らしい。また、第三木曜日は休館であるという。

 それから、資料整理などの時期は、一定のまとまった期間が休みとなるが、こういうのは、どこの美術館、資料館も同じだろうと思った。


 葉蔵たちはホテルを出ると、荷物を背負って、移動を開始した。橘禰きつねは朝から目を丸くテレビに釘付けであり、「今日はメリオット体操やらないんですね」という、大変ローカルなネタでがっかりしていた。


 JRで三河大塚から蒲郡駅へ。そこで名鉄西尾線吉良吉田行きに乗り換える。

 吉良吉田で西尾線弥富行きへ切り替えて、そうして西尾駅へ到着である。


 時間は九時半だった。

 西尾駅構内のコンビニで朝食を済ませ、歩いていく。

 徒歩で十分二十分だ。


「少し行くと、松鶴園しょうかくえんっていうお茶の店があってな」

「そうなんですか?」

「うん。去年、ふらっと来たことがあって。そんときはなんの展示会をしてたっけか。なんか、江戸の本の企画だったような」


 家に帰れば、バックナンバーが本棚に入れてあるのでわかる。

 ちなみに、蔦屋重三郎の企画展で、江戸の出版事情を古書から読み解くという面白い企画展がやっていたのだ。


 西尾岩瀬文庫は市の図書館の敷地内にある。

 とにかくここは、本の匂いと気配がする。図書館の正面には、八十台の駐車スペースが広々と有り、今日はそこそこ埋まっている。

 片田舎の静かな図書館という風情であった。


「すごくいいところですねえ」

「うん。グラウンドもあるら」

「ええ。楽しそう。あの、ボールを蹴るやつって、なんていうんでしたっけ」

「サッカー。球技は他にいっぱいあるで、こんど教えるよ」

「ありがとう」


 なんだかむず痒い。

 気恥ずかしいし。

 橘禰に惚れているのは事実だ。嘘じゃあない。心の底から好きだ。

 けど、なんか。

 この感覚は、思春期の中学生の恋慕のような。まだ、失恋なんてものは自分とは無縁だと思っていた頃の。青臭い。


(地に足つけりん。今は、恋うつつどころじゃねえ)

 葉蔵は鼻を鳴らし。背負っているリュックを背負い直して、眦をつよくする。

 そんな葉蔵を、橘禰きつねは「ふふ」と微笑みながら見つめる。

 敷地の少し奥まったところに、近代的な方形の建物がある。これが西尾岩瀬文庫である。

 扉が開く。正面には岩瀬弥助という、この西尾岩瀬文庫を開いた偉人の由来書きが出迎えてくれる。

 それから右手には物販、読書スペースがあった。飲食もできる休憩所で、抹茶を一服、楽しめる。

 

 二人は受付で来意を告げる。入館料は無料。

 言うまでもないが、敷地内禁煙。

 葉蔵は付き合い程度に吸うことはあっても、好んで喫煙はしないし、橘禰に至っては吸われる分には平気だが、自分からは吸わない。


 二階にあがると、常設展示コーナーには、江戸の出版事情が展示されていた。

 瓦版、活版印刷の由来や流通について。

 また、実際に古い書物を読むこともできる。現代人には馴染みのない巻物は、湿気も吸っているからか、ずしりと重たい。


 館内では当然静かにするので、自然、口数は減る。

 展示されている企画展――古書で見る西尾の戦(※註)。

 縄文〜弥生時代の鏃から、江戸時代に残された古書が知る戦の数々。

 葉蔵はそれらをつぶさに観察し、手帳に鉛筆でメモを記していく。

 どこかからシャッター音が聞こえてきて、ここは撮影許可が出ているんだっけ? と思った。だが、他人がやっているから自分もやろまい、とはならない。

 これを「犬のように律儀」ととるか、「老人に囲まれた若造の頑迷固陋」と取るかは、人それぞれであろう。


 そして、結局なんの手がかりも得られず、葉蔵たちはいちど、休憩所へ入ることになってしまうのだった。



 尾崎士郎賞という、西尾市の小中学生の作文集をまとめた冊子がある。

 何気なくページを捲っていた橘禰きつねは、思わず声に出しそうになって、慌てて引っ込めて、いそいそとその冊子の在庫があるかどうかを受付で確認していた。

 葉蔵は、戦の企画展はまだ続くだろうと思い、今回の冊子は買わずに、また、土産物はメモに使えるであろうブック型ふせんのセットを買った。妖怪と植物の図柄である。どちらも好きなので、実用性も込みで、いい土産であった。


 二人は抹茶を一服済ませると、西尾岩瀬文庫を出た。

 それから、くだんの松鶴園という抹茶の店に行き、窓際の席につく。

 昼食には早いので、二人は抹茶パフェをぱくつきながら休憩していた。


「空振りか……けど、寝拠多ねこたさん、なんか狙いがあって俺達をここへ寄越したと思うんだよなあ」

「それなんですけど葉蔵。この西尾の名産――いえ、名産だったもの、ってなにか知ってますか?」

てことは、……」葉蔵は、食べかけの抹茶パフェを見る。抹茶ではない。これは現在進行系の名産品だ。「なんだっけ……」

「吉良という地名の由来でもあります。ここで取れる、ある石です」

「……雲母きららか?」

「はい、それで、これを」


 橘禰きつねは、さっき買い求めた尾崎士郎賞のバックナンバーを見せる。

 ある小学生の作文で、タイトルは「やつおもてやまのおにさむらい」とある。


 ――鬼、侍。だと?


 要約するとこうだ。

 明治時代頃、ここに大柄な鬼のような警官がいたらしい。

 その鬼の警官は、ある冬に妻と娘を「わるいさむらい」に山へ連れ去られる。

 鬼の警官は、抜刀警官として帯刀が許されていたサーベルではなく、どこにあったのか、大太刀を背負って具足をまとい、山に向かった。

 そこで決闘をしたはいいものの、結局、「誰も帰ってこなかった」。


 そういうことであった。

 そして山というのが、タイトルにもある。

八ツ面山やつおもてやま」――雲母きらら石、すなわち雲母うんもの産出地である。


「まさか」

「源一郎は、どうやらここで」


 では、やつの死因も、ここでわかるかもしれない。

 葉蔵は、震える息を吐いて、妙に熱くなった体を冷やすように抹茶のパフェを食べた。



 結局八ツ面山につく頃には昼を過ぎてしまった。

 市内のどまんなかに、こうして突然山がぽつねんと立っていたりするのは、地方都市特有の面白みであろう。

 自然と都市が地続きと言うか、ミルフィーユのように、妙な断層を作っている。

 遊歩道を歩いていると、ふと、明治時代はいまから大体百五十年ほど前であることに気づいた。

 妖怪の感覚であれば「最近」でも、目まぐるしく変化する現代感覚で言えば、「はるか昔」である。

 はて、どのようにして死因を特定すべきか。


「そうだ、トヨタ系列って土日休みだら」

「えっと、はい。祐介さんはそう言ってましたね。……どうしたんですか?」

「助言を請う相手がいるのはいいことだとおもってな」


 葉蔵は八ツ面山の女山にある芝生広場の隅っこでスマホを取り出し、平田祐介に電話をかける。

 二コールで出た。

「おう、令和のトラブルメーカー」

「うるせえ令和のシャーロック・ホームズ。お前に頼みたいことがある」

 葉蔵は、高校来の悪友で、郷土史オタクの祐介に言う。

「八ツ面山についてなんだが」


 手早くことのあらましを説明した。

 この郷土史オタクだ、尾崎士郎賞のバックナンバーくらいもっているだろう。

「いいけんど。ほいじゃ、こんどお前のおごりで焼肉行こまい」

「どこの?」

「葵」

「くっ、安いチェーン店じゃあだめだか」

「たァけ、俺の原付きだめにしたの誰だったか言わなかんかゴラ」


 これを出されると気まずい。

「わるい、ちゃんとたらふくご馳走させていただきます」

「おう」


 葉蔵は頷いた。

 芝生広場で、葉蔵は橘禰きつねと座り、秋口の風を浴びていた。


「すみません、葉蔵」

 彼女は何を謝っているのだろう? 葉蔵は、伏し目がちな彼女の横顔をちらりと覗いた。

「私が、あなたの家に逃げ込まなければ……こんな――」

「そうは思わん」

 葉蔵は、全部を言われる前に、失礼だとわかっていたが言葉を重ねた。

「橘禰がおらんかったら、俺は、ほんとうの意味で在所を好きになることはできんかったと思う」


 まだ夏の残り香のするあたたかい風が吹いて、木々の、青葉を揺する。

「ありがとう。俺を、俺の背中を押してくれて」

 橘禰は葉蔵の朴訥な言葉に、思わず涙ぐんで、しかし俯くことはなく、顎を上に持ち上げた。

 それからわずかな鼻声で、


「あの日の半兵衛様と、まるで同じことを言っておりまする。お前様の御魂みたまは、幾年月を経てもなお変わらない」


 葉蔵は、そういうものだろうかと思った。

 どれほどそうしていただろう。

「腹の虫がうるせえし、ちょっと降りまい」

「はい」


 橘禰姫は、獣杜ししもり橘禰という一人の女声の声音で微笑んだ。

 葉蔵は、――。

 ここにいる彼女は、今の葉蔵を見ているのか、それともここにいる葉蔵を通して幾百年の彼方を見ているのか。

 遠い先祖に、少しだけ悋気を抱いた。



(※註:架空の企画展です。この時期の企画展の予告自体出ておらず、実際に今年のこの時期に行われるものかどうかなどは一切不明です)

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