第三葉 狐と二人、旅をする

第一節 寝拠干潟

 永禄七年。

 半兵衛は足軽雑兵の身分として、松平家康に奉公する道を選んだ。

 三河一向一揆において、彼は飯を食えない状況下、幼い弟と妹を失ったのである。

 無論一向一揆だけがその理由ではないが、しかし、若い半兵衛にとって戦のせいで弟妹が死んだと早合点するのは当然と言えた。

 だからこの事実に腹を立てた。己の無力と、戦と時代という化物に対して。

 家に引っ掛けてあった、粗悪な槍を担ぎ、打飼袋を背中に巻いて飛び出した。

 鼻息荒く、出世と言うか、まずは「やい糞平ゴラ!」と怒鳴りつけてやろうとすら思っていた。

 意気軒昂、十八歳の半兵衛は傍から見ても常軌を逸するほどに、怒髪が天を衝いていた。


 その道中は、当時まだ未開墾だった獣山ししやま――ふるく、獣ノ杜ししのもりとよばれている山林を通らねばならなかった。

 噂では妖怪変化が住まい、統べるというが。

(くだらん法螺だら。餓鬼ら脅かしつける嘘じゃ)

 半兵衛は、いまでいうイキリ小僧であったのだ。

 迷信深かった当時の日本人にしては、むしろ、異常者とすら言えるかもしれない。


 平気な面――を装っていたが、舐められまいと思ってのこと、実際はちゃんと怖かった――で山林の獣道を歩く。

 道端から狐が飛び出してきた。

「なんじゃおまん、ガリガリじゃねえか」

 その狐は、冬をどう越したのか不思議なほどに痩せていた。骨に皮が張り付くような体躯だ。

 あまりにも哀れである。


 半兵衛は、「くっそ〜。今回だけだぞ。いいな、今回だけじゃ」といって、打飼袋から一掴みの焼飯やきいいをくれた。

 焼いて焦がした玄米である。香ばしくてうまいが、実は腹持ちが良くない。

 狐はたまらずこれに食らいつき、バリバリむしゃむしゃと貪った。

 なんだか可愛く思えてきて、ほんとうならやるつもりのなかった、乾飯も少しやり、それから半兵衛は言った。

「ほいじゃの。おまん、人に騙されそうで危ねえわ」

 狐は自分が可愛い自覚でもあるのか、小首を傾げる。

「けんどよかった。おまんのお陰で背中おされた気分だわ。ほいじゃ、行って来るでのん」


 半兵衛はそれから松平の殿様がいる岡崎へ向かうのだが……。

 道中、それなりに禄を持つ侍の御家紋入りの短刀を盗賊から奪回せしめ、それが理由で雑兵らの中では一目置かれる――そのような、百姓にしてはいい踏み出しをきったのであった。


   ✧


 葉蔵は、実は趣味が極端に少ない。

 欲しいものといえば、本か、美味い飯。それくらいである。

 そういう欲のなさが、傍目にはつまらない男として見えているのかもしれないが……。

 しかし、年がら年中忙しい農家仕事をするうえでは良いことだろう。遊びにうつつを抜かさないから、終日働き手としてあれこれできる。

 東京にいた頃のバイト代も、生活費以外には殆ど使わなかった。三河に――在所の豊川に帰ってきてから二年、あくせく働いて、結局手元にはそれなりにまとまった金が貯まっていた。

 思えば実家は設けている方のハウス農家であった。地元に卸売するだけだが、得意先があったし、地域からの信頼も厚い。

 そして葉蔵はその家の嫡流であり、跡取りとして期待されていたから、盆と正月には、封筒にまとめてボーナスを支給されていた。


 祖父母は多分、自分が旅に出ても、きっと帰ってくると信じているのだろう。

 事実、葉蔵はことが済んだら、実家に帰って家督を継ぎ、静かに暮らすつもりでいる。

 そのためにも、おかしな因縁は、早々に断ち切る必要があった。


「なあ橘禰きつね、思ったんだが」

「はい?」


 九月十一日。二人は現在、蒲郡市は大塚町に来ていた。

 海沿いの国道沿いを歩きながら喋っている。丸山住宅があるまるい丘が、右手にあった。

 さっき、二人は玉川うどんで昼食を摂っていたところだ。

 さんかいという喫茶レストランがあったそうだが、今はもう、閉店していた。祖父母に連れられて、小学生くらいの頃、来たことがあったのだが。


 左手には海陽学校と、その先には、ラグーナテンボスが見える。埋め立てた土地に建てた、テーマパークであり、複合施設。

 言っちゃあ悪いが、地元民からすると、「張り切りすぎて失敗した地方テーマパーク」だと思っている。

 そして、葉蔵のような若い世代からすると、「ほーん。別に遊ぶなら名古屋があるでなあ」くらいにしか思わない。そもそも、もはや「親世代の庭」という認識である。

 実際、祖父も魚市にしか興味がなさげであり、付き合いの葉蔵に至っては「荷物持ち? いいよいいよ、ほいじゃ行こまい」くらいのノリである。もはや、スーパー感覚であった。


 その、地方のモニュメントを見ながら、葉蔵は言う。

「俺の刀って、結局半兵衛のもんだら」

「そうです」

「だよな。じゃあ。あの鬼武者は自分の刀をどこへやっただん」

「あ……」

「あいつ、夢の中じゃあ大太刀振り回しとったぞ」


 そうなのだ。自分の刀があるのに、わざわざ他人の刀を振り回す理由がはっきりしない。

 最初こそ、「己を殺せる妖力を持ちつつある刀の排除」を筋書きに入れていたが、どうも違っている気がする。

 そんな事を言ったら、怨霊を仕留められるほどに「血を吸いまくった刀」なんぞ現代日本には大量に残されており、あの鬼ならば、腕に物言わせて強奪するくらいはやりそうだ。


 そもそもが武士である。対面してわかったが、あれは、筋金入りだ。徹底的な武士である。

 その筋金入りが、己の愛刀以外を握るだろうか?


 葉蔵はそのへんがよくわからない。

 足軽雑兵は剥ぎ取った刀を我が物としたそうだ。しかし、鬼武者は仮にも侍大将として夢の中に出てきた。事実、そういった「武将格」の男であった。


「半兵衛様の刀でなくてはならない理由があったとしても、たしかに、まずは自分の刀を持ちますよね」

「うん。そんであいつ、エンフィールドもコルトも斬った、って。気になって調べたら、それ、どうも幕末に使われてた銃らしい」


 刀剣ワールドというサイトで調べた。インターネット上で見ることができる、刀剣博物館であると同時に、日本史についても詳しく解説しているサイトだ。


 幕末、そして明治初期は、武士最後の時代と言える。

 最近では、この時代を舞台にデスゲームを描いた今村翔吾氏の作品「イクサガミ」が一世を風靡しているが、まさに、そういう時代だったのだ。

 武士は刀を取り上げられ、百姓が堂々と苗字を持ち、ライフル銃によって戦の常識が塗り替えられていく。

 それまでを刀一本槍一本で時代を切り開き、生き抜いてきたあの鬼武者には、まさしく、切歯扼腕の時代であっただろう。


 だからこそだ。

 それほどの男が、己の魂と言える刀を失うだろうか? 捨てるだろうか?


 橘禰は、案外すぐに答えを出す。

「常識的に考えれば、やむを得ず手放した。つまり、戦いの中で傷つき、役目を終えた。けれど」

「うん。同じ事考えた」

 二人の声が重なる。

「「封印された」」


 ――これが、あの男が刀を失った理由として、最もしっくり来る。


「それも含めて、この土地の情報網、いま風に言うと、ネットワークに接触しましょう」

「ハッキングなんか、俺には無理だ」

「そんな悪さ、しませんよ。川路さんに叱られます」


 川路浩。豊橋警察署で世話になった刑事である。

 何かあれば、警察へ連絡しろ。川路を出せといえば、すぐに出る。そう言ってくれた、頼れる大人である。

 橘禰は彼と面識がある。とはいえ、二、三、事実確認程度に喋っただけらしいが。

 けれどその時の経験と、葉蔵の話から、誠実な男だというふうに理解しているようだった。


「ネット、って、電子的なもんじゃないだね」

「そうです。猫、です」

「はっ?」

「猫、もっといえば、野良猫です。彼らを束ねる棟梁に会います。十中八九、妖怪でしょう」

「猫又探しをするってことか?」

「はい、そのとおりです」


 それから橘禰がいうには、彼女がいた山が一部の者の間で「獣ノ杜ししのもり」と呼ばれていたように、この地の一部はかつて「干潟」であったという。

 今となっては沿岸部などほとんど埋立地だが、昔は塩田が多くあったそうだ。


 そしてその地を、妖怪やそれに馴染みのある旧家、その周辺の家々では寝拠干潟ねこひがたと読んでいたらしい。

 ねるところ、ところ構わず寝る。

 すなわち猫、のことである。

 平安の世には猫は禰古萬ねこまともいい、また、寝己とも考えたらしい。

 実際、猫はよく寝ている。

 そのような字を当てたくなる昔の人の気持ちは、なぜか、現代人にも、ぶんぶん首を縦に振れるほどの共感を誘った。


「私は山生まれ山育ちですが、ときどき、魚が献上されることがありました。そのときに、寝拠多ねこたという名の、寝拠干潟ねこひがたの棟梁の名を聞いたことがありました」


 二人は沿岸沿いを探そうということになった。

 どこをもって沿岸とするかは、JR本線より南、ということにしておいた。

 手分けするには、今の状況はまずい。


 あの鬼武者と出くわした場合、葉蔵だけならばまだいい。橘禰が逃げる時を稼げるかもしれない。

 だが逆に、彼女がさらわれたらその時点で終わりだ。

 葉蔵はあの男を武士だと心底理解し、納得もしたが、だからこそ危険である。

 気に入った女を手籠めにするくらい、ためらわないだろう。

 武士とはかくも美化されるが、現代人の感覚からすれば殺人を厭わぬ強姦魔、である。


 時代が違えば、価値観も違う。


 武士からすれば現代人は腑抜けの馬鹿面阿呆面。腕っぷしのないうらなりの青瓢箪。男も女も尻軽で、主君どころか、友や妻すら平然と裏切り捨てる牛馬の糞。


 このようなところか。


「つっても、今どき野良猫が出歩いてると普通に保健所送りだ。人間本位の世界になっとるでな」

「嫌ですねえ。っと、ごめんなさい。けど、妖怪には住みづらいです」


 葉蔵は、一瞬、こんなことを思ってしまった。

 妖怪にとって住みやすい土地が、いにしえの時代にあったなら。

 その「古き良き時代」に回帰せんとしている鬼武者にこそ、妖怪はなびかないだろうか? ――と。


 JR本線のすぐ南に、神社がある。

 理髪店とあさひ屋という地元商店のすぐとなり、松の木が植えられている神社だ。

 地元の人に聞いてみると、ここは素盞嗚神社らしい。二十年くらい前は子供らの遊び場でもあったらしく、葉蔵の親や、あるいは兄世代くらいの者は、ここでよく遊んでいたという。


 随分と雰囲気のある神社だった。木々が古く、長い間乱伐を受けていない。

 よもや御神域の木を伐る阿呆はいまい。しかし、境内はしんと静かで、そこだけ、昼間でも妙に薄暗い。

 けっして、樹冠が日差しを覆い隠しているだけが、その理由ではないように思う。


 神社に来た理由はお詣りと、そして猫探しのお願い、あとはちょっと境内を探させてくださいというお声がけである。

 妖怪が実在とわかった以上、それと切っても切れぬ神々をないがしろにするのは、流石に筋が通らない。


 今日は金曜日だから子供がいないのか、それとも休日でもこうなのか。

 葉蔵と橘禰は境内ではしずかに手を合わせることにした。先を見通し、猫を見つけられるようにという願い、御縁がありますようにと、五円玉を賽銭箱にすべらせる。


 目を閉じ、詣でる。

 そのとき、ふと、

(狐の窓、っていうのは。どうだら? さすがにまずいか?)

 というひらめきが浮かんだ。


 狐の窓とか、袖の窓、あるいは屈んで股ぐらごしに覗く、いわゆる「異界の窓」。

 参詣を終え、葉蔵は橘禰に聞いた。


「橘禰、狐の窓とかはご法度なのかん」

「いえ。そんなことはないです。状況が状況ですし。ただ、面白半分でやることは絶対に禁止です」

 橘禰きつねのこは固く鋭い。

「霊異を覗き見るなど、遊び半分ではやっちゃいけません。人間だって、他人からあれこれ覗かれたくはないはず」


 それはそうだ。電車で本を読んでいるときに、隣から鼻の下を伸ばして覗き込まれるだけでも腹が立つ。

 ましてそれが、個人的なこと――それこそ、仕事の大事な資料だ、ご不浄だ、風呂、ないし睦事を唐突にじろじろと覗かれたら? 真っ当な人間なら、たまったもんじゃないと思う。


「神様も、さすがにプライバシーは侵害されたくはないもんな」

「そうです。妖怪だってそうですよ」


 普通に考えればそうだ。そうに決まっている。


「なので、やる前には必ず、〝失礼いたします〟の気持ちを忘れないでください」

「……わかった。約束する」

「では、教えます。異界門ノ術は、いくつか種類がありますが、王道な〝狐門ノ術きつねもんのじゅつ〟をお教えいたします。あ、でも私を見ちゃだめですよ。本当の姿を見られるのは、妖怪にとって結構恥ずかしいので……えへへ」

「あ、ああ。わかった」


 こういう術、と聞くと、妖力だの霊力を想像するが、実際には何もいらないという。

 敷いて言えば、祭神へのお供えが、力となるらしい。僧侶で言えば、徳であろうか。

 葉蔵は良くも悪くも山育ちの田舎者。本人は「んなことねえら」と言っているが、だいぶ迷信深い方であった。

 それが、この時ばかりは力となっていた。


 当然、術の祭神は、獣ノ杜ししのもり総代――すなわち橘禰きつね姫である。


 やり方は普通の狐の窓である。明確な違いは、祭神の有無だ。


 葉蔵は教わったとおり、「失礼いたします」と小声で言ってから、両手で「窓」を作った。

狐門ノ術きつねもんのじゅつ――開門」

 けっして、光ったり、音がなったりしない。

 傍目には「あの若えのなにやっとるだ?」という、だいぶ変な絵面である。


「なんか、薄ぼんやりした、てんてんてん、って走る足跡っぽいのがある」

「そこまではっきり見えるんですね。妖怪としては嬉しいです」


 つまりそれだけ、妖怪や神をしっかり敬っている証拠なのだろう。

 妖術とは、特別な才能ではない。

 神々や妖怪変化を信じる力だ。その証拠として供物を捧げる。気持ちのこもった供物を。

 その代償に、ささやかな祝福を授けてくださるのだ。

 あとは、正しい手順を踏めば、だれでも妖術師、というわけである。


「あのてんてんてん、が足跡かな? 猫の」

「かもしれませんね。どこへ続いていますか?」

 橘禰も見えているのだろうが、葉蔵を尊重していた。

「境内をくるくる周って、そんで、川沿いか? これ。川沿いだわ。そっちに消えてる」

 おもわず橘禰きつねを窓に入れそうになる。彼女はよほど本当の姿を見られたくないようで、ささっと後ろに回った。

「なるほど。行ってみましょう。そこのあさひ屋さんで、お酒でも買ってから」


 狐門ノ術きつねもんのじゅつ――閉門。

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