第三節 宿敵、現る
慶長六年(一六〇一年)、徳川家康は東海道の集落に「伝馬朱印状」を下し、それらを宿に指定するとともに、街道の整備を始めた。
二川町旧東海道。
そこには、東海道五十三次、三十三番目の宿場である二川宿があった。
今でも、豊橋市二川宿本陣資料館として、貴重な文化資料を管理、保管、様々な企画展示を行っている。
その町並みもまた古く、風情のある体裁である。無論この二川宿はなんどかの大火で修繕されているので、「当時のそのまま」が残っているわけではないが。
その、修繕された。けれども風情の香る江戸の町並み。月明かり差すなか。
パッ、と赤い血が舞い、悲鳴が空を裂いた。
「ひっ、きひっ」
悲鳴を上げたのは、まだ若い男である。おそらくどこかで遊んでいたのだろう。
さっきまで赤ら顔でふらふらあるいて、陽気そうであった。
酔っ払っていたのだろう。しかし――二の腕を裂かれた痛みで、血の気が引いている。
「おなごのような悲鳴を上げおるわ。小うるさくてかなわん。どこぞの研師の主人のように勇ましく吠えんか」
刀を握るのは、一人の男。
「むう。なまっておる。虫一匹、仕損じるとは武士の恥よ。……間合いを見誤ったか。いかんいかん」
美丈夫である。
身長、一九〇センチは余裕で超えている。加えて横にも大きい。体重は百キロはこえよう。だが、肥っているというふうではない。
――岩の塊。
そうとしか言えない、凄まじい圧力を放っている。
格闘家とか、健康のための筋肉とか、そういう競うためとかお飾りとかではない。
そこに立っているのは江戸時代にいたような、「お行儀の良い、礼儀正しいお武士様」ではなかった。
暮らしのためならばお株すら二束三文で売る、生臭の武士ではない。
「殺すか、否か」ただそれだけの、「殺人のために刃と武技を、ひたすらに研ぎ続けた武士」がそこにいる。
さらに、髭をそって整えるのが当たり前の現代人を恐れさせるのは、その口周り。
白く
髪型もそうだ。総髪である。そもそも月代は、戦国時代に存在こそしていたが、義務でもなんでもなかった。
なので長く伸ばした髪を結い上げ髻を作るのも普通である。
その男は、まさにそれだ。
荒々しい、針金の如き白髪と白ひげ。黒ぐろと焼けた肌。
その頑健な体には袴の装いと、血のごとく真っ赤な羽織。
「ひぃぃいっ」
「おまんは腰抜けじゃ。日ノ本男児らしく、かかってこい!」
八相構え。本気で討つ気だ。
脳を断つ唐竹は、頭蓋で刃が滑り、仕損じることもある。ゆえに古流武術、戦国発祥の剣術の多くは、八相構えからの打ち下ろしが基本。
この八相からの袈裟打ちは、鎖骨さえ断ってしまえば、肺の腑と心の臓を断ち切り、一撃で、その者を終わらせる。
「往生せい」
武士が言った。
若者は恐れおののき、ぺたんと腰を落として、
そこへ。
バウンッ! と凄まじい、鉄の咆哮。ライトが闇を切り裂き、エンジンのいななきが夜天をぶっ叩く。
「おいっ!」
怒鳴ったのは原付に跨った葉蔵である。
「むっ!」
大男――鬼武者がこれに反応。
「オラァ、鉄砲玉よりでけえぞクソ鬼が!」
怒鳴りながら葉蔵は原付から飛び降りて地面を転がった。もうやけっぱちだ。
ずだんっ、と地面に打ち付けられるも、どうにか転がって勢いを殺す。
鬼武者は静かに、けれど構えは八相のまま。
「――――――――ッッッ!」
次の瞬間、爆発めいた裂帛の気合が、月を砕かんばかりに張り裂けた。
天雷の如き咆哮と、突っ込む原付。するどい銀光がひらめく。
一瞬。
鬼武者は、すでに刀を振り下ろしている。
背後で、原付きは真っ二つに割れて、炎上した。
「くっくっく、おまんが、桑守半兵衛の子孫だな?」
「原付を斬るやつが、あるかよ……くそっ」
葉蔵は口の中の砂利をべっと吐き出しながら、ぐわんぐわんゆれる視界の中、鬼を睨む。
炎を背負うその威容。まさしく、戦鬼である。
「ほうじゃ。俺が、十八代目、桑守半兵衛葉蔵だ」
「嘘ではないな。わかる。その思い切りの良さ、面構え。なるほど瓜二つよ。しかし。所詮は現代の童にすぎぬわ。わしを恐れなんだか」
「黙れ」
鬼武者は面白そうに首を回し、ごきりと鳴らす。
「わしは刀を持つ。おまんは丸腰だ。どうする?」
「本当に、丸腰だと思うか」
葉蔵は、懐から――ピストルを抜き出したではないか。一体どこで、そんなものを手に入れたのか。
「むっ!」
「今どきの鉄砲はな、おそろしいぞ」
「ほう……ようく狙えい。エンフィールドも斬った、コルトもな。あの時代がわしの輝かしい最後となった。さりとて今は、玉遊びばかりのつまらん時代よ」
す、と八相に構える鬼。
「日ノ本の武士に、斬れぬものなし!」
葉蔵は、本当に撃った。
パパパパッ、と。電動音。
吐き出されるのはただのバイオBB弾である。
「むおおお!」
が、これが意外にも脅かしにはなったらしい。
鬼も、まさか半兵衛の子孫ともあろう者がこんな猫騙しで抵抗してくるとは――そして、その玩具でここまで肝の座るハッタリをかますとは思わなかったらしい。
「がはははは! 気に入った、気に入ったぞ十八代目半兵衛!」
すでに葉蔵は走り出していた。
ここらは非常に入り組んでいる。逃げ切れなくとも、隠れられはするだろう。その隙に、警察が来る。これだけの騒ぎだ、もう近隣の警察署に通報が飛んでいるだろう。
そう踏んだ。そして、その隙に祐介が橘禰を、車で逃がす。
「わはは、気に入った! のう半兵衛! わしに仕えぬか」
返事をしたらだめだと、葉蔵は、二川宿の一角――JR線路の橋の下をこえたあたりの背高草に身を潜めて、思った。
「橘禰姫をよこせ。そうすれば、永劫、わしの直参として徴用しようぞ」
(あいつ、まだ戦国が続いてる気でいるのか?)
「わしはいずれ幾千万、幾十億もの怨霊を放つ! 殺し殺される、古き良き時代へ回帰させよう! はっはっは、いいぞお、腕一本、剣と槍! 酒も女も獲り放題! どうじゃ、半兵衛。いい時代ではないか。今の日ノ本の女子供はまるまる肥ってうまそうだわ」
――クソ野郎!
葉蔵は飛び出しかけた。だが、こらえろ、と理性が本能の肩に手をそっと置く。
「まァ、今日のところは退いてやる。おまんの武勇に免じてな。そも、わしは今を生きる半兵衛の肝っ玉を確かめられればそれでよかったでのう」
どういうつもりなのだ。いったい。
――武士という奴らは、人の命を、何だと思っとる。
「狐の姫によろしくな」
気配が去っていく。
葉蔵は、最後まで油断しなかった。
そうして、遠くからパトカーと救急車のサイレンが響き、葉蔵は――うんざりするほどの事情聴取につきあわされるハメになるのだった。
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