第二節 親友

 夕方。ハシボソガラスが鳴き交わしながら空を渡っていく。


 その日のうちに、葉蔵と橘禰きつねは豊橋市二川町、旧東海道沿いの民家にたどり着いていた。

 非常に閑静なとおりである。ときおり原付や人通りがあるものの、田舎の細い路地という風情だ。


 立ち並ぶ家々。

 そのうちの一軒家。表札には「平田」とある。

「ひらた、様」

「高校で付き合いがあったツレだ。いるかな、あいつ」


 事前に平田家に連絡はした。家族は葉蔵を覚えていた。「おお、いちご屋の」と、ちょっとズレた覚えられ方ではあったが、険悪な風ではなかった。

 実際、葉蔵と平田――平田祐介ひらたゆうすけの仲は良い。口喧嘩は何度かあるが、謝って仲直りしているし。

 葉蔵は高校時代、歴史研究同好会に入っていた。月に一度、校内新聞を発行し、掲示板に貼る程度の活動だったが、我が青春の一ページとして、今も、青々と鮮烈な光を放っている。


 チャイムを鳴らすと、まだ四十半ばくらいのおばさんが出てきた。

「どうも、桑守です」

獣杜ししもりです」

「あらあら葉ちゃん、あんた、まさか祝言をあげたんじゃないだろうねえ。隅に置けんねえ」

 祝言? と思ったが、たしかに二十歳も過ぎた頃合いの男女が、旧友を訪ねに来る理由としては妥当かもしれない。


「あ、いや……」変に誤解させてしまっただろうか。だが、陽も暮れていく軒先で右往左往しても仕方ない。「いやあまあ。それで、祐介っていまいます?」

「あの子なら、まだ仕事かね? トヨタ系列で働いとるだよ。アイシンの」

「すげえじゃねえっすか。あいつ安泰じゃん」

 素が出てしまった。

「あいや、すみません」

 となりでは橘禰が「あい、しん?」と首を傾げている。


「もう暗くなるら。入っとりん。ほら、お嬢さんも、遠慮せんでいいから」

「すみません、奥方様」

「まあ、奥方様なんて。うちの殿様はたしかに恰幅が良いけどね」


 葉蔵は笑いながら、「お邪魔します」といって、家に上がった。

 靴を揃えておく。誰だって、家に上がってきた他人が靴を脱ぎ散らかすのは、見ていていい気分ではない。


 リビングには、殿様――祐介の父が椅子に座って、「おお、葉ちゃん」と朗らかに笑いかけてきた。

 歳は正確には覚えていないが、たしか、四十後半か、五十路くらいか。

 土建屋の監督をやっている、筋骨たくましいおじさんだ。


「明日ァ雨でのん。現場は、雨降るとまァ回らん。若い連中は休みだなんだと言っとるけんど、たまったもんじゃねえや」


 待っている間、葉蔵たちは客としての振る舞いに徹した。

 そして、さりげなく、例の新田研屋の話を聞いてみると、世間一般には「作業中の刀剣が盗まれた」ということと、「大きな荷物を持った、大柄な男」の目撃情報を、警察は集めているらしい。

 この程度は、葉蔵たちだって知っている。スマホのない時代から来たわけではない。あ、いや、橘禰きつねはそうかも知れないが。

 が、彼らが知りたいのは、世間の温度感である。。

「したらよう、犯人は、まさか剥き身の刀ぶん回しながら逃げるわけねえら」と、旦那さん。

 奥さんは、「まあそうだら。あれじゃんね、ほら、竹刀袋みたいなのに入れるら」と。


 まあ、その作業中の刀剣が「天下五剣!」とかならばとんでもない大騒ぎであろうが、名も伝わらぬような一侍の無銘である。「へえ、今どき刀研ぎなんかするんだ」くらいの認識が、そういうことらしい。

『刀剣に憧れのあるバカが、盗みに入った』くらいの認識。これが、世間から見た、葉蔵たちにとっての一大事である。


「けんど葉ちゃん、どうやってそんな美人を見つけただん」

「いえ、親戚ですよ、親戚。遠い親戚で。三河旅行に来てて、俺が案内を」

「ほ〜。うちの嫁さんの若えころそっくりだら」

「私は今でも美女だわ」


 橘禰が、「とっても。特に私、奥方様の美肌の秘訣が気になります」とそれとなく場をつなぐ返しをしていた。

「あはは、若いうちなんかね、無理してあーだこーだやると、かえって年食ってから悲惨になるら」と奥さんは笑った。

 それから、「けんどね、野菜と魚がやっぱいいら。海どころだでね、ここら」と、鍋をかき混ぜながら言う。


 葉蔵はおじさんのグラスにビールを酌しつつ、待った。

 年寄に囲まれてきた生活が長く、葉蔵は、おじさんおばさん世代をもてなしたり、持ち上げたり、それとなく取り入るのが上手い。

 へんに拗ねてひねくれたって、損を見るだけだ。なら、多少下手に出ても、可愛がられる方がいい。


 午後八時頃、玄関が開いた。

「葉蔵が来とるら? 待ちくたびれて帰ったか?」

 聞き馴染みのある声だった。高校時代は高くもなく低くもない声だったのだが。記憶にあるそれよりも、すこし低い声になっている。


 リビングの戸を開けて入ってきたのは、作業着を着た青年だ。


「葉蔵、生きとったかワレェ!」

「おめえも。はは、なにしとった?」

「見りゃわかんだら。郷土資料の整理その他諸々よ」


 相変わらずだ。今の状況だと、こんなに心強い味方もいない。


「祐介、さっさと風呂入りん。あんたが帰るまでご飯待っとっただよ」

「先食やあいいのに。ほいじゃ入ってくるわ」


 そうして祐介のカラスの行水を待ち、そして葉蔵と橘禰も相伴に預かることになった。

 野菜たっぷりの豚汁に、サバの味噌煮、白飯と漬物。

 平田家の夫婦は「若い息子らが増えた」と笑いながら、温かく迎えてくれた。

 ありがたかった。


 そうしてお開きになると、時間は十時半。

 階段を上がって二階へ。

 祐介が部屋のドアを開けた。三人はそこへ入る。

 彼の部屋は、物置部屋とつなげてある作りで、広い。

 片方は寝室で、仕切りを――壁を――取っ払ってつなげてあるもう半分は、資料部屋となっている。


 その資料部屋、史実の資料の写しから、怪しげな民俗資料、個人的な所感を書き連ねた切れっ端。

 はてには、小さな地方新聞の切り抜きまである。


「相変わらずだな。探偵のアジトって感じだわ」

「平田様は、なぜ郷土史を?」

「面白いから。そんだけ。で? おまえらさ」


 祐介は、電気をつけてどっかと座布団に座った。

「どこまでいったん?」

「はっ、いや、待て俺達は、」

「えっとですね、今日は砥鹿神社に行きましたよ」


 男二人、思わず黙ってしまった。

 今のは、「男女の関係がどこまで進展したのか」という問いなのだが。

 祐介が小突いてきた。小声で、

「おい、いまどきこんな純粋な子、どうやって見つけただん。俺とお前の仲だら、おしえりん」

「それも込みで、今から話すさ」


 葉蔵と橘禰は、親友・平田祐介には包み隠さず話した。

 それが、助力を請う――巻き込むうえでの礼儀だと思ったからだ。



「戦の夢に、鉄砲傷の痣と、怨霊武士。ほんで狐の妖怪変化……」

「びっくらこいたら」

「当たり前じゃ。くそっ、お前だけ良い思いしやがってよ。けど、面白いわ。いや、ほんっとまじで。俺等歴史の生き証人と、いま、ここにおるだぞ」

 たしかにそういう見方もできる。

 橘禰はおよそ五百歳。すなわち、戦国時代から江戸時代、明治――そして令和現在まで、リアルタイムで知っているのである。


「んで、俺に何を聞きたい?」


 祐介は立ち上がって、資料室の方へ。

 ひとつ、彼には妙なこだわりがある。

 それは、歴史資料を紐解く際に、電子ネットワークのたぐいは一切使わないということだ。

 いわく、「どこの馬の骨かもわからんウスノロの、訳知り顔の歴史観なんぞ反吐が出る」であった。

 言っては悪いが、こういうところも、まあ……三河的である。

 権威ある相手の、しっかりと裏付けのある資料を紐解くことに意味と価値がある。祐介はそう考えているらしい。


「昨夜な、本長篠駅近くの研屋で強盗があったら」

「ああ。お前が刀預けとったっていう。……あ、そういうことか」

「そうです。葉蔵の大事な佩刀が盗まれたんです」


 祐介は今朝の新聞、それから夕刊を持ってきた。

 そこの報道記事を丁寧にハサミで切り抜く。ちなみに、全く同じ新聞が、さらに二枚もあった。


「大柄な男、大荷物」と祐介は言う。「こいつが新田研屋にて刀剣を盗み遁走せり、と」


 このときに邪魔すると、祐介は、親友相手でも烈火のごとく怒る。黙っているのが吉だ。


「葉蔵の刀。仕上がりは十日だけど、盗みは七日頃? 八日未明? 事件からおよそ、二十四時間経過としてだ」


 しばらくの黙考。


「葉蔵、鬼に念仏が効くっちゅう確証は?」

「ない。俺の意見は全部状況証拠だ」

「橘禰さんよ、どうだん?」

「高僧の念仏なら効きます。ただ、呼びつけて退治というのはあまりのも非現実的です」


 何やら書き込み、祐介は重ねて問うた。「警察がその大柄な男を囲んで、よしんば、発砲をする。勝ち目は?」

「現代の鉄砲については詳しくないですけど……そうですね、あの、さっき、映画で見た鉄砲。なんでしたっけ」


 リビングで食事をしている最中、平田家のテレビでは、アクション映画が流れていた。

「だいたいひっくるめて……ライフル、としよう。あの、ばーって連射するやつだろ」

「そうです。よしんばあれを、鉄砲衆総勢百人組に装備して囲んで浴びせても、倒せません。怨霊とはそういうものです」


 祐介は天を仰いだ。

「中隊規模でM4ライフルを掃射して、そんで倒せんとか、怨霊武者ってのは現代でも十分バケモンだな」


 ということは、葉蔵の先祖・半兵衛は、一人でそのバケモノと切り結んでいたことになる。


「念仏は効き目があるが、それこそ、比叡山とかの高僧クラスでないとだめ、と?」祐介は念を押した。

「そうなります。それも、数十人単位を必要とします」

「そんなコネも礼金も、俺にはない」葉蔵は世知辛くも正直に言った。


 一方で、国家権力をどうにか頼ろうという筋も、だめだ。

 これもコネ云々がそうだし、よしんば怨霊武士の鬼――面倒なので、鬼武者で統一するとして――が事件を起こし、騒ぎになったとして。

 それこそ自衛隊が駆けつけても、倒せるかどうかはわからない。

 武装したヘリコプターとか、大砲を積んだ装甲車両くらいはいるのかもしれないと、素人意見ではあるが、そう思った。


「現実的なのは、鬼が恐れた挙げ句盗み去った刀か」祐介はそういった。「けど、それこそ自分に災いをもたらすとして。それを盗んだら、普通捨てるか壊すかするら」


 祐介が何気なくそういった。


「東海市になら溶鉱炉があるってきいたことがある」葉蔵は言った。「くそ、随分な遠出――」

「待ってください」橘禰が声を挿した。「あの刀は、無数の怨念を吸い続けたものです。みだりに壊す恐ろしさは、他ならない鬼が知っているはずです」


 であれば――?


「そんな、まさか」橘禰は、現代人では到底及びもつかぬ、おそろしい可能性に行き着き、青ざめた。


「どうした、言ってみりん」葉蔵は、彼女の震える肩を撫でてやる。

「怨念を手懐ける簡単な方法は、血を吸わせること。――誰だって、食事を与えてくれる人に恩義を感じるものです」

「あ、アホ抜かせ。今の時代に、辻斬りなんか……」祐介は否定しようとしたが、けれども忌々しいことに、葉蔵が嘘を吐く人間ではないことを知っていた。当然、葉蔵が信頼する女性も、嘘をつかないと、祐介は察している。


 方便としての嘘はたしかにつくが、すくなくとも、友にはつまらない嘘などつかない。


「誰に、どう警告をすれば良い……」葉蔵は、必死に考えた。考えて、その時である。

 外から、甲高い悲鳴が上がった。

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