第二葉 二川宿本陣資料館の戦い

第一節 刀狩り

 九月八日、時刻は正午を半分回っていた。

 駅からタクシーに乗る間、橘禰きつね姫は窓から見えるすべてを新鮮なものとして捉え、色々と見ていた。

「こんなにクルマが走ってますよ」と興奮気味だ。

 彼女にとっての車といえば、駕籠舁きとか、そういうものを連想するのだろうか。お姫様だから馬に乗る機会は、ひょっとしたら、相乗りという形ではあったのかもしれない。

 しかし、こんな鉄の塊が走る光景など、きっと、想像していなかっただろう。


 葉蔵とて恋愛経験はあるから、こういうときに、辛気臭い顔をしていると相手からいい印象を持たれないとわかっている。

「愛知はクルマどころだでのん」

「そうなんですか?」

「おおよ。トヨタっていやあ、世界のトヨタだで」

 橘禰は「すごい」と目を輝かせた。


 自分も大概馬鹿な男である。女の子にあれこれ請われると、必要以上にべらべら喋ってしまう。調子こいて失敗するという経験は、ガキの頃からの悪習慣だと学んでいないのかと、呆れた。

 けれど橘禰は、耳にする話全てに、大いに興味を持ってくれた。


「愛知県には研師はそう多くないでのん」

「そうなんですか? ちょっと前は、少し歩けば、っていうか、大抵の人は錆落としできましたけどね。変わりましたねえ」


 ちょっと前=五百年ほど前と考えると、少し面白くすらある。

「さすがにそれは誇張しとるらぁ」

「いいえ。お百姓様も、刀研ぎくらいできましたよ。葉蔵さん、例えばですけど、百姓一揆といって、どういう姿を想像されますか?」


 タクシーの運ちゃんは、四十半ばのおじさんである。

 歴史好きのアベック、くらいに思っているのだろう。興味なさげに、前だけ見て運転している。いや、運転手が後ろを振り向かれたって困るし、バックミラー越しにちらちら視線が合うのも嫌だが。


「ほやあ。桑とか鋤とか、薪とかもってる姿だよ」

「それは関白様が刀狩りを実施したあとなんです。戦国真っ只中だと、それこそ刀や槍くらいは持ってますからね」


 ぞっとした。それはつまり、一揆とは、あちこちの地方で、武装した百、ないし数百の軍団が挙兵するも同然である。

 豊臣秀吉は百姓上がりという説が有力だ。当然彼自身、武装した百姓の恐ろしさはいやというほど知っているだろう。

 だとしたら、刀狩りも、むしろ必然的に生まれた政策といえる。


「百姓は、百の姓(=農業だけではなく、多くの仕事を指す意味合いである)に能う仕事をしろ。かわりに、刀や槍は我ら武士の仕事とする」

 これが、概ね刀狩りの表向きの名目であろう。

 けれども、豊臣秀吉の腹を思えば、「せっかく天下を丸く収めんとするこの大事なときに、いらん馬鹿騒ぎなんぞされてたまるか!」というのも、あっただろう。


「まあ、そういうわけですから。お百姓様も錆落としはできたんです。現代ではいらぬ能力ですけれど」

 橘禰きつね姫の口調には、嘲りはなかった。

「良いものです。女も子供も皆笑っている」


 葉蔵は、戦国の恐ろしさを知らない。

 夢の中で、先祖の記憶が蘇る程度である。

 それでも、おおよそ「成り上がりだ」「ロマンだ」「腕っぷしがあれば気楽だ」などとは、思えない。

 明日は飯が食えない。いや、今日だって、せいぜい一食、打豆の汁煮がせいぜいか。

 そういう時代だ。今のように、「炭水化物取り過ぎたし、弁当のパスタなんかいらんわ」と捨てるなど、贅沢も贅沢な話である。


「ひ――獣杜ししもりさん」

橘禰きつね、と」

「……橘禰さん。その、〝奴〟は、何が目的ですか」


 し、と橘禰は葉蔵の唇に人差し指を当てる。

「それはあとにしましょう。それより、目的地ですよ」


 葉蔵は、やや不機嫌そうな運ちゃんに代金を払って、新田研屋前で降りた。

 店先は、警察がなにやら見聞作業をしている。

 すると、孫娘――電話口で、「新田美琴しんでんみこと」と名乗った、高校生ではなく大学一年生の女性がこちらにきた。


「桑守さん」

「どうも。……聞き込みですか」

「はい。それより」

「大丈夫です。なんとなく、察してます」


 美琴は深く頭を下げた。

「ごめんなさい、大切な、佩刀を」

「いえ。……怪我は? ご家族は?」

「平気です。犯人は、刀だけを狙ってたみたいで。他に何も盗まれてなかったので」


 なるほど。普通の強盗なら、根こそぎ、金目の物を荒らすだろう。

 話を聞くと、どうも刀は湿気を避けるべく、防湿・耐火金庫に入れてあったらしい。

 それ自体はいいのだが、異様なのは、その金庫ごと持っていかれたという点。

 金庫だけでも百八十キロ。しかもそれは、地面に鋲で打ち付けてあったそうだ。

 それが、「打ちっぱなしのコンクリ床から、力尽くで引っこ抜いたように」持ち去られていたという。


「人間業じゃないです。そんなの、大きい機械でもないと無理だって、警察の人も」

「でしょうね」葉蔵は、まさか怨霊がやったかもしれないとは言えない。なので、言葉を選んで、「犯人はどういう感じだったんですか?」と、質問した。


「背が高くて、大柄だったと。でも、お父さんもお祖父ちゃんも、暗がりだから顔立ちまでは。あっ、でも」

 美琴は、言った。

「和装だったみたいです。お父さんが咄嗟に、逃げていくひとをスマホのライトで照らして。ちょっと、ちょっとまっててね」


 彼女は何やら、ポケットからスマホを出す。

 橘禰きつね姫は確信しているようだが、言い出せはしないだろう。

 巻き込めば、今度は、命を狙われる可能性さえある。――橘禰を狙う怨霊はそういうたぐいなのだ。


「お父さんから転送してもらった写真。ほら、これ」

 画像には、大柄な後ろ姿が見える。

 フラッシュと闇夜のせいで、色彩がよくわからない。また手ブレもひどい。

「AI補正のカメラなのに、なんでか、うまく補正されないの」

「そうなんですか?」

 驚いた。令和八年現在、チャットGPTを含むAI技術の進歩は凄まじい。それこそ、そうしたチャットボットに取り込ませて、「解像度を上げて」というプロンプトを打てば綺麗にできそうなものだが。

 どうやらそれが、できない相手だそうだ。


「パッと見た感じ、白髪で……これは、家紋ですかね」

「どうでしょう? 私、歴史は詳しくなくて」

「うん、俺もだ」嘘をついておく。我関せずを通せば、彼女をこの事件から遠ざけられよう。

 本当は他人を騙すような真似などしたくないが、ときに、嘘も方便だ。


「この画像、送ってもらっていい? もちろん、ネットに出したりはしない」

「わかりました。でも、警察には内緒」

 どうやら、警察から再三流出させるなと言われたらしい。


 葉蔵は「若い男女が連絡先を交換しているふう」を装って、画像をもらっておいた。

 そうして、なにやらじろじろこっちを見る警察に、わざと聞こえるように、「まじか〜ほいじゃ飲み会でれんじゃん。先輩らには伝えとくわ」と言った。

 警察はあからさまに「近頃のガキは」という顔をする。


 葉蔵は思うこと、言いたいことがないわけではないがぐっとこらえ、

「じゃあ、俺達はいきます」

「はい。それで、そちらの方は?」


 橘禰は、楚々と、ゆるくお辞儀をする。

「葉蔵さんの、遠い親戚で。遊びに来ているんです」

「ああ、そういうこと。三河はいいとこだから、いっぱい楽しみんね」

「はい」


 さて、楽しんでいる暇はどれほどあろうか。

 ひとまず、葉蔵たちはそこを離れることにした。




 本長篠駅から三河一宮駅まではおよそ四十分ほど。一宮駅で降りたら、あとは徒歩である。

 目的地は豊川にある砥鹿神社、その里宮である。

 歩きながら、言葉を紡いだ。

 豊川の街は平日でも人通りがある。車通りはうんざりするほど。休みどきと比べると、うんと静かではあるが。

「橘禰さんは、」

「敬称は不要です、葉蔵さん」

「じゃあ、俺もさんはいらん。……橘禰の時代には、砥鹿神社はあっただか」

「ふふ……ええ。ありました。私が生まれるうんと昔から、里宮はありましたよ」


 砥鹿神社とは大己貴命オオナムチノミコト、オオクニヌシを祀る神社である。

 天界の総代を天照大神とするならば、地上界の総代は大己貴命ともいえるほどの存在だ。

 歴史をかじっていると、いやでも民俗学や神話学も絡んでくるので、葉蔵も少し知っていた。

 ――大変な、苦労人の神様。

 として。


「今となっては交通安全祈願、っていうだけど。……わるい、なまじ東京に馴染もうとしてたから、標準語と三河弁がごっちゃになるんだ、俺」

「平気です」


 気を取り直して、葉蔵は続けた。

「たすかるわ。んで、――交通安全、てのはきっと、旅の安全祈願から転化したもんじゃねえかって思ってさ。ほいで。色々する前に、ちゃんとお詣りしとこうって思った」

「それがいいです。きっと。神様にすがる必要がないほどの平和は、私は尊いと思いますが。ときどき……寂しいです。忘れられてしまうのは」


 葉蔵は、なにか言葉を探そうとして、うまいことを言えない自分を恨んだ。

「俺は忘れんよ。死ぬまで。――死んでも、きっと」

「ふふ」


 二人は砥鹿神社の境内へ。鳥居の前で一礼し、脇道を進む。

 器の大きな神様とはいえ、空いているときに参道ど真ん中を歩くのはどうだろう? という良心がさすがにあった。

 手水で禊ぎ清める。たどたどしい葉蔵。その隣では、服装こそ今どきの二十歳前後の女性らしい落ち着いた雰囲気の橘禰が、迷いない動作でそれを行う。

 変なところで時代の隔たりを感じた。


 お賽銭をおさめて、それから二拝二拍手一拝。

 葉蔵は、それまで過ごした時間への感謝と、旅の安全を祈願する。

 どれほどそうしていたか。

 遠くで、まだ鳴いている蝉の声が返ってくる。


「ほいじゃ、行こまい」

 葉蔵は言った。

 橘禰は静かに頷く。


 すべきことは多い。整理することもある。

 けれども葉蔵とて、孤軍奮闘というわけではないのだ。


「俺にツテがある」

「ツテですか?」

「うん。豊橋に昔馴染みがいる。そいつ、郷土史とかそれに関連したオカルトにえらい強くて。力になってもらおうと思っとる」

「おかると?」

「あ、ええと、お化けとか怪談とかだよ」

「なるほど。では、いき――いこまい、ましょう!」


 葉蔵は、家族以外を相手に、久々に心から笑って歩き出した。

 さあ、

 ――三河行脚だ。

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