第三節 長篠の研師
「いってぇ〜」
葉蔵は脇腹をさすりながら、熱帯夜の中起きた。
機械の調子を見るため、夜中にいそいそと起き出し、寝間着のジャージのまま祖父の下駄を拝借してビニールハウスの様子を見に行った。
そういえば。
変な夢を見た。
自分は槍持ちの武士になって、敵と戦っていた。カタバミの葉をかたどった旗指物が遠くに見えていた気がする。えんじ色の旗だった。
(あれは、剣片喰だ。ほいじゃ、相手は……宇喜多方?)
ということは西軍? ではあれが、関ヶ原なのか?
(戦って、あんなに怖えんだな)
だが夢の中の自分は、血に酔っ払う戦狂いであったと思う。武功を上げ、一族郎党のため、主君のためと、まさに「血と戦に狂って」いた。
機械の調子は悪くなかった。しっかりと、温度と湿度を管理してくれている。
「たのむぞ」
葉蔵は、機械に言葉が通じるかどうか知らないが、日本には万物に神が宿るという考えがあるというのを、祖父母からいやというほど聞かされてきた。
なので、自然、葉蔵は物を大事にする理由付けに、このアニミズムを引っ張り出すことがあった。
それが、おそらく刀へのおそれでもあるのだろう。
自分は、やはり迷信深いのだろうか。
けれども、山という奇妙な土地に囲まれていると、そうなる。
いまだに、わけのわからない現象やら、変な話は、あちこちでされる。遠野物語めいた怪談やらが、こういう田舎では、本当に多い。
むろん噂ゆえ、多少の尾ひれはついているだろうが。
(そういや、ここらの山、むかしは
その名残で、ここらの山のことを、老人世代なんかは
(昔語りじゃ、狐の姫様が城を構えてただかって。さすがに、嘘だろうけど)
それにしてもと、葉蔵は左の脇腹のあたりを撫でる。
「いてぇ」
夢の中で、ここに、衝撃が走った。
その時の自分は武士だったので、すぐに「玉がめり込んだ」と判断した。
そのあとどうしたのかは――覚えていない。
痛え、と思ったら、目が覚めていた。
当世具足を、鉄砲が貫通できるのか? これについては、ぜひ、資料館なんかで当時の甲冑を見てほしい。複製されたものではなく、実際のものを。
刀傷、矢傷は無論、ときどき「破裂したようにえぐれたあと」がある。これが、鉄砲傷だ。
実際に、後述する長篠設楽原歴史資料館に所蔵されている具足の一つに、鉄砲に腹部を撃たれたものが展示されている。
その「破裂したようなあと」は、想像を絶する。
葉蔵は、もう一度脇腹をなでた。
「あとでちっと、見てみるか」
もしこれで傷があったらどうするか。こんな怪異が頻発したら、怖くてやってられないが。
――ぼけ。やっぱ俺ァ迷信深ぇじゃねえか。
実際には、ムカデかなんかに噛まれでもしたのだろうと、ドライに考える自分もいた。
「ン?」
葉蔵は、ふと闇の中にきらっと月明かりを跳ね飛ばすものを見つけた。
それは、髪である。
黒と赤っぽい橙色の中間くらいだろうか? こういうのを、赤銅色とでもいうんだろうか? 暗いせいで、正確に、何色かはわからない。
「ひと?」
人、である。
上等な着物を着て、素足。うつ伏せだ。
「しっ、死体……?」
恐る恐る寄る。まさか熊に襲われただか? そう思いながら。
背中が上下しており、どうやら、息はしているらしい。
藍染の着物と黒地に金で桑の葉の飾りをなした羽織。
桑の葉は三つ巴に配されている、それとうしろで交差するように、するどい穂先の槍が三つ。これは。
「うちの家紋だ」
江戸時代頃、家の標識として一般にも家紋が普及した。天皇家の菊と、徳川将軍家の葵以外ならば規制は緩かったので、日本には現在も、五千から一万の家紋がある。
なので葉蔵は、桑守の家紋などその有象無象の一つなどと思っていたが。
(うちの家紋は、やっぱれっきとしたもんだか? や、ならなんでこの人がうちの家紋を?)
みれば、羽織は女の身丈には合っていない。着ているというより、着られているというふうだ。
「くわ、もり……さま」
声は女のものだった。
(…………)
葉蔵は迷わず、いったん、女を担いだ。
救急車を呼ぶわけには行かない。なぜか、そう直感したのだ。
それは、山の共同体的な考えなのか、なにかの――奇妙な気配を気取ったのかもしれないが。よく、自分でも理解できない。
「くわもり、さま」
女は、うわ言のように繰り返した。
「ほうじゃ、俺は桑守じゃ」
葉蔵の口を、なにか、随分と古い抑揚の言葉がついてでた。
「くわもりさま」
女は、やはりそれを繰り返すのみである。
今日は暇をもらって、刀のサビ落としをする。
八月の下旬である。
蝉の声はまだ賑やかだ。ここらは野鳥も多い。鳥害は畑仕事の天敵であるが、逆に言えば、彼らがせっついてくるということは収穫時期として適している、そういう意味合いに取る農家も多い。
正直葉蔵も、気象庁が梅雨明けを発表したらというより、蝉が鳴いたら夏、という感覚で二十二年生きてきた。
そういう頑固さは、三河者めいている。
着替えて準備を整えると、葉蔵は祖父母に声をかけて家を出た。
近所のおばちゃんが運転する軽トラに載せてもらって、町まで降りると、歩いて東上駅までむかう。
「葉ちゃん、奥三河の方にのん、わしの妹が嫁に行った家があってだね。そこが、研ぎ屋でね。刀、研いでもらったらどうだん」
現在、葉蔵はJR飯田線に乗って、豊川市東上駅から、
長篠といえば、思い浮かぶのは古戦場である。かの有名な長篠合戦の舞台だ。
「ほやあ、素人がやるよかいいだろうね」
「だら。わしがよく言っとくで、顔出したらどうだろ?」
「いいけど、けど、その人は?」
「おまん惚れただか。まあいいけんど、看病はするよ。こういうワケアリさんね、昔は多かっただわ」
「ふうん。ほいじゃ頼む」
そういうわけで、葉蔵は箱と登録証、そして由緒書をしかと収めたケースを背負っていた。
駅員から「それは?」と問われたので、素直に「形見です。錆刀。研いで貰いに行きます」といったら、怪訝な顔で検められた。
すこし時間を要したが、研屋「新田研屋」と連絡が取れると、通された。
葉蔵はまだ車の免許を持っていないのだ。取らねばと思うのだが、忙しくて、まとまった時間を取れないでいる。
こういう田舎は、車があったほうが絶対楽だとわかっているが。
電車から見える景色は緑、町、緑、町を交錯していた。
総じてコンクリの灰色が目立つが、けっして、自然が駆逐されているわけではない。奇妙にも、文明と自然の断層が折り重なっている。
本長篠駅で降り、葉蔵はタクシーに乗った。
「めずらしいのん。若い子が研屋なんて」
「そうですか?」
「おう。最近じゃあ、包丁も何も、悪くなったら買い替えだら。なんだっけ、ほら、あれ。え、えす? なんたらっての」
「エスディージーズ、ってやつですか」
「ほうじゃほうじゃ。んなもんよ、昔はみんなできとっただわ」
葉蔵はこういうとき、話を聞くのが得意だし、好きな方だった。
老人と侮るなかれ、知っている知識は驚くほど役に立つ。それに、人付き合いの方法も、実地で身につく。うわべのティーチングでは手に入らない、熱と
「わるいのう、話に付き合わせて」
「いや、楽しかったです」
すると運ちゃんはメーターを見て、
「初乗りだら、千円でいい」
「ほんとうに?」
「おお。ご先祖様に、酒でもそなえりん」
葉蔵は感謝して、千円を渡すと、タクシーを降りた。
最後まで見送る。
時間は、もう午前十一時時を回っている。遅れる旨を伝えたが、予定より一時間も押していた。
新田研屋は老舗といった雰囲気である。
二階建ての長方形の建物で、多分、二階が住居だろう。
一階の店先に入ると、孫かバイトか、若い娘がいる。
「いらっしゃいませ。ゆっくり見ていってください」
研屋といっても、研ぎだけでは食っていけない。なので、包丁やら刃物の卸売も兼ねているらしい。
中にはコスプレ用の、模造刀もある。
が、それを見ている場合ではない。
「すみません、予約を入れていた桑守です。刀剣を研いでもらいたくて」
「刀剣、ですか」
「はい」言ってから、葉蔵は背負っていたケースを前に回し、丁寧に台に置く。「蔵から出てきたものです。錆びてるのか、鞘からも抜けないんです」
そう、白鞘からすら抜けない理由がもうひとつ。それは、錆びたせいで鯉口も切れないのである。
下手なことをすれば、刀剣を痛めかねない。
「わかりました。少々お待ちください」
娘が奥に消える。すると、「おじいちゃん、桑守さん! 刀研ぎだって!」と聞こえた。
(お孫さんかな)
あの娘は自分より歳下だろう。下手したら、まだ高校生だ。
「おお、桑守の。どうだん、暑かねえかん」
出てきたのは、日に焼けた縦にも横にもでかい男である。
「平気です。すみません、一時間も遅れて」
「べつにええわ。刀持ってくるって聞いた時点で、まあ、足止めされるとは思っとったで」
と言われた。ひょっとしたら、過去にそういう経験があるかもしれない。
「鞘からも抜けんって? よっぽど錆とるだな?」
「はい」
「ほいじゃあ赤錆まみれだら。ほうじゃな、二週間はかかろ。今が。八月の二十七日か。九月十日、木曜。この日には仕上げる」
「わかりました。代金は前払いで?」
「ほうじゃの。ってもな、親戚筋だで。それに、義姉さんにも世話になっとるで」
「いえ、その祖母から、しゃんと払えと言われたんです」
研師は「ほうか」と言って、頷いた。
それからそろばんを持ってきて弾く。
「うちは錆の具合と錆落としの程度で値を決めとるだわ。鞘から抜けん状態、かつ、綺麗さっぱりにしてほしいってなるとな、だいたいこういう計算になる」
さっと領収書に走らせた値段を見て、葉蔵は驚いたが、黙っていた。
それくらいの値段になると祖母から言われていた。なので葉蔵は貯金をおろし、しっかりと封筒にまとめていた。
「では、これでお願いします」
「ん。ぴかぴかにしてやるで、まあ待っときん」
孫娘が「じゃあ、数えさせていただきます」といって、札を数えてそろばんを弾き、釣りを銭置きにおいた。
「おじいちゃん、張り切ってるんです。あれでも。いつも鹿爪らしい顔ですけどね」
「そうなんですか?」
「だって、刀を研げる機会なんか、めったにないですから」
まあ、そうだろう。今は戦国時代じゃあないのだ。
「ごめんなさい、では、九月の十日、また昼過ぎにいらしてください」
「わかりました。頼みます」
葉蔵は、深く頭を下げた。
(せっかくだで、古戦場見に行こまい)
そう考えて、
(じゃあ、飯もその近場で食やあいいか)
と決定した。
新城の東東郷駅近場の飯処といえば、道の駅もっくるである。
そのまま歩いていける距離に、設楽原歴史資料館があり、その屋上から古戦場を一望できる。
葉蔵は小学生の頃に、行ったことがある。直近では、今年の五月に長篠合戦のぼりまつりを見ている。なのでルートも地形もよく知っていた。
そうと決まれば、さっそく、葉蔵は来た道を戻っていった。
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