第二節 古刀、何を語る

 夜半。

 狐が一匹、山を駆けている。

 追いすがるモノがいるのだ。

 それは人の目にも、電子機械の目にも映らない。光の波長ではなく、霊異の波長でのみ視認・知覚できるモノ、

 ――怨霊。

 である。


「姫、何かあれば、わしの、桑守の家をお尋ねなされませ。わしの子が、きっと、お力添えいたしまする」

 その言葉を覚えている。いまもまだ。

 あの、剛烈な槍武者の名は知らない。聞く前に、死んでしまった。桑守という名字だけが頼りだ。


 同じ苗字のものが居たら? 間違ったら?

 いや。わかる、わかるはずだ。

 あれからもう、幾百幾千の夜を超えたかわからぬ。


 いまごろ、もう、助けてくれるかどうかも。

(桑守様)

 狐の姫は、駆けた。疾く、疾く――。


   ✧


 蔵の中は、散らかり放題散らかっている。

「げぇっ、これを掃除すんのか。かぁ〜、休みが飛ぶ」

 げんなりしつつ、根が真面目なのか、葉蔵は一旦家に戻ると、手ぬぐいを頭に巻いた。それから、マスクをして、軍手と掃除道具をしっかり装備する。

「先祖が見たら笑うらこれ。刀じゃなくて、雑巾とハタキ棒だ」

 武士の末裔が、いまや、ただの雑用掃除係である。


 一旦、バケツやらをおいて、ハタキを腰にねじ込む。

 窓を開け、蔵の戸を開け放って、あとはひたすらホコリを払う。じゃまな、危なそうな農具は雪崩が起きぬよう丁寧にどかしていく。

 葛籠とかねえかん。きらっと光るもんとか。ひょっとしたら、歴史がひっくり返る一次資料が出てくるとか。


 が、そんなこともなく。

 結局、熟れた柿のような夕日が照らしている空をハシブトガラスが飛んで行く頃。


「くそー、なんもねえじゃんか」

 きれいになった蔵で、葉蔵はばたんと寝転んだ。

 てっきり、美女の化物とか、そういうのが出てきてエッチな本みたいな展開になるんじゃないかとか、期待したのに。


「ん」

 葉蔵は、棚の下の隙間に、なにか挟まっているのに気づいた。

 それは、なにかの箱である。

「なんだありゃ」

 棚の下の奥。手が届かない。ハタキ棒を伸ばして、つっかけて、つついて押し出したりして、どうにか手繰り寄せる。


「……? なんて書いてんだ?」

 ぱっぱと木箱を払う。そのおもてには、「桑守家之宝」とある。

「たから……?」

 なんだろうか。ずしりと重い。


「開けやあわかる」

 蓋を締めている朱色の紐を解く。そして、あけてみた。

 中には、敷き詰められた綿屑の中に、白鞘の刀が眠っているではないか。

「はっ……? いや、いやいや」

 まさか、ほんとうに、うちは侍の家系なのか?


「ないない。ないって。どうせこれ、レプリカだろ」

 しかし、この丁寧な納めよう。おもてに書かれた家宝の字。

 中には、折りたたまれた書状があり、そこには――。


『銃砲刀類登録証

 長さ 二尺二寸五分

 反り 〇尺一分六厘

 銘文 無銘

 文化財保護委員会

 昭和二七年四月一八日』


「登録証? まさか、じゃあ、ほんもの?」

 別の紙が入っている、こちらは恐ろしく古い。

 そして字も、達筆というか、読みづらい。

 つらつらと書いてあるが、ただひとつ、そこだけは読めた。

『桑守半兵衛葉蔵佩刀、五十貫之奪回也』

 つまり、誰かに取られた先祖の刀を、五十貫(文)で買い戻した、そういうことだろうか?


「……祖父ちゃん、やばいっ! お宝があるだけど!」

 葉蔵は、喜びよりも、恐怖が勝ってしまった。

 二十二とはいえ、まさか、このような驚きを叩きつけられればそうなる。

 なんせ、嘘だ伝説だと跳ね除けていたものが、嘘偽らざる、実物として「あった」のだから。

「おいどうしただ?」

「刀があった!」

「刀ァ?」


 祖父は、信じていないらしい。

 だがしかし、いざ「おまん、馬鹿言っとらんで……」と呆れる祖父を九喇嘛で連れて行くと、同じように叫んだ。

「おわっ、なんじゃこらあ!」


 まさに、桑守家、この三世代で一番の、大騒ぎであった。


 さて、その夜である。

「どうする祖父ちゃん、刀だ。これ、寄贈したほうがいいんかな」

「うーん。ほうじゃのう。わしはなぁ。正直まだ、ピンとこねえんだ。いや、親父から〝蔵には錆びたもんがあるで、入ったら指落ちるぞ〟って脅されてただけで、まさかそんな大層なもんが入っとるたァな」

 祖父はそこまで言うと、焼酎をぐいと呷る。

 葉蔵も、水割りを飲んでいた。

 祖母は「刀ではしゃぐなんて、おまんら、子供とおなじだら。これだで男はよう」と呆れ返っていた。


「ばあさん、言ってもこりゃあ、一大事だでのん。けんどまあ、跡取りは、この若葉蔵よ」

 祖父の、がっしりした手が葉蔵の肩を叩く。

「おまんはどうしてえだ」

「俺ァ。……晒しモンにしたくねえ。東京出て、んで、痛えほどわかった。見せモンになるなァ、つれえ」

 葉蔵の三河訛りは、祖父のうつりである。

 幼い頃から祖父母の家で過ごすことが多く、自然、そうなった。


 三河の者でも、これくらいの若い世代は、もうほとんど三河弁を忘れてしまっている。なので年寄世代の三河弁を理解できないということが多い。

 じっさい、葉蔵でも、ときどきこってこての三河弁には首を傾げることがあるのだ。

 インターネットや全国ネット放送の影響で、標準語が浸透したのが理由だろうと、葉蔵は思っていた。

 他の地域でも同じ事が起きているなら、己の持論は、結構正しいかもしれない。


 その三河弁を、自分は恥ずかしいとは思わなかった。しかし、東京に出て晒し者扱いされ、在所を恨んで、憎み、嫌った。

 だが帰ってきて二年、痛感した。

 やはり自分は、骨身まで三河者だ。狭量で頑迷固陋がんめいころう。認めざるを得ない。未だに、都会者を憎むのがその証左だ。

 犬のような忠義心を持つが、いっぽうで、身内以外を傷つけても何も思わず、己の小さな庭以外は消えてなくなっても良いと、そう思うフシさえある。


 じっさい、三河武士はこのようなものが多かったらしい。

『我れらが殿(徳川家康)以外、みな死に晒せ』と、本気で思う者が多かったそうだ。

 さすがに葉蔵はそこまで極端ではないが、一個の喩えとしては、たしかに的を射ている。


「晒し者はつれえわな。ほやほうだ」

 祖父は頷いた。

「ほいじゃあ、おまんの部屋に飾っときん」

「いいの?」

「おお。そのかわりに、大事にしりんよ」


 葉蔵は、深く頷いた。




 刀は、まだ鞘から抜いていない。抜くのが怖い。

 人の血がついていたらどうしよう? という不安も、あるにはある。実際には鑑定時に拭われているだろうが。けれど、吸い続けてきた怨念はあろう。

 葉蔵は別段迷信深いわけではない。が、家は檀家に入っている。真言宗である。

(ん……)

 浄土真宗でないことを、ふと思った。


(一向一揆って、たしか、浄土真宗だよな。それでうちは真言宗なのか?)

 徳川家康を苦しめた三河一向一揆。いや、これに苦しんだのは、全国の戦国武将たちだ。家康だけではない。なんとなれば織田信長をして、なんども煮え湯を飲まされたほどである。


(刀の手入れって、やっぱ、そういう職人に頼むのがいいのかな)

 などと、益体もないことを考えているうちに、眠ってしまった。


 眠っている間の感覚は、どういうふうに表現するのが適当なのだろう。

 本当に何も感じていない、わけではない。それはわかる。眠っている最中の、休息感。安息感は格別だ。夢を見ようがみまいが。

 最近は、仕事が忙しいせいか、夢さえ見ずにぐっすりという日が多い。


 が。

 その日は、夢を見た。


 薄曇り。舞い上がる硝煙のツンとしたにおい。血、糞尿、わけのわからぬ汁の、饐えた悪臭――。


「しゃァらあ!」

 どすの利いた怒号である。一間半の持槍を相手の草摺を提げるゆるぎ糸の間隙を縫い、下腹を串刺しにした。

 この時代、騎馬兵は槍衾の格好の餌食である。馬の胸を狙い、長柄槍を構えた足軽らにやられるのがオチだ。

 石突きを地面に固定、切っ先を斜め前へ向けて、膝立ちの足軽がこれを支える。この横列隊が槍衾であり、騎馬兵への最強の迎撃策であった。


 ゆえに、騎馬を許された武士も、実際には、徒士と混じって戦っていた。

 このとき荒ぶり、返り血で真っ赤に染まる豪壮なる槍武者こそ、桑守半兵衛であった。


 馬廻役は、ほんらい本陣で総大将を守護する選りすぐりの武士である。

 しかし状況を見て、彼らは決戦兵力として出陣、あるいは、他の備などへの伝令にも走る。


 関ヶ原の戦は、現在の説では、ほんの数時間で終わったとみなされている。

 徳川方の調略、豊臣方の士気の著しい低さなど、多くの要因があるのだが――。

 これを語りだすと長くなるので、あえて省く。

 重要なのは。


 桑守半兵衛、この男の戦いぶりだ。

 彼はこのとき五十六歳。時代背景を考えれば長寿も長寿。

 長年の戦ぐらし。鬼気迫るその顔立ちは、決して美男ではない。だが、鬼のごとく恐ろしい面相は、いっそ、それ自体が武器であるかのようだ。

 むろん、馬廻りともなれば顔を面頬などで覆っているのだが。


 とにかく。

 この戦の鬼、半兵衛の最期はあっけなかった。

 戦国時代最強の武器である、鉄砲。これにやられた。名のある武士と組み合ったのではない。どこぞの鉄砲足軽の射撃である。

 このとき腹に三匁玉を食らった。十一グラムほどの鉛玉である。

 具足がバァンと爆裂する音、鎧が割れて、玉と具足の破片がぐしゃぐしゃに腹をかき回した。

 のたうち苦しむ半兵衛は、知っていた。遠からず死ぬことも、それまで、地獄の苦しみであることも。

 たまらず、自ら馬手差しで喉をかききり自害した。


 あまりにもあっけなく、武勇もない。

 これが、百姓上がりの先祖・桑守半兵衛葉蔵、その最期であった。

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