第一葉 錆びた古刀

第一節 桑守葉蔵という若者

 お前のその名前、爺かよ。

 おーい、なまってんぞ、ヨーゾーじーちゃん。

 やめなって、よってたかって。ほっときゃいいでしょ。あほくさい。


 そんな、目糞野郎鼻糞野郎の声が、今も時々鼓膜の奥で響いている。

 桑守葉蔵は、二十歳になってすぐ、大学をやめた。なんという大学で、どういうふうに、何を学ぼうとしていたのかを思い出すと頭痛がする。

 実際には、通い始めて半年で東京の毒気にうんざりして、日雇いのバイトを転々として、だましだまし単位を取っていいただけである。

 いや。ほんとうは大学自体、行きたかったわけではない。したいこともないから、だらだらと、惰性だけで東京まで行って、無様に生きていただけだ。


 田舎者というだけで馬鹿にされる時代なんか終わったろ、そう思っていたが、じっさいは、違った。

 吐き気がした。考えるだに、またも吐き気がする。

 結局逃げ帰ってきて、二年ほど。

 二十二歳の己は、農家の跡取りとして、ハウス栽培をしている。イチゴを冬に出荷するため、年がら年中。

 出荷といっても、地元の農協とか、道の駅とか、あとはお得意様とかのローカルな感じであった。決して、日本を代表! とはいえないような地方農家である。


 田舎の農業だから楽ということはない。いろいろ、面倒なしがらみはある。けれども、今はそれが、他者との温度に感じられて、心地よかった。

 インターネットの回線越しではない、そういう、温かいものが。たぶん、土臭い暮らしが己には似合っていたのだろう。


 そういうわけで、葉蔵は、いつまでも布団で丸くなってもいられない。

 決して、前向きな理由だけで起きるわけではない。とにかく暑いし、寝苦しい。エアコンはタイマーで切っている。電気代の節約、それから、腹を壊してしまうのを避けるためだ。


「遠路はるばる、東京くんだりまでいって、豊川まで大返しだ。秀吉もびっくりだぜ」

 江戸大返しとでも言おうか。思わず、皮肉っぽく片笑んだ。

 布団を物干し竿にひっかける。寝汗でびっしょりだ。このまま畳んだら、カビが生える。


 居間には、祖父母が居た。

「おお、葉蔵。おまん、唐揚げすきじゃねかったかん」

「うん。そりゃあ。けど、わざわざ朝から作ったの?」

「ほやあ、孫のことだで。大事な跡取りだしのん。機嫌くらい取らなァ。じゃ、いただきます」

 葉蔵も手を合わせる。「いただきます」


 祖父の名も葉蔵で、父も葉蔵。桑守家は、代々長男には葉蔵と名付ける。

 それは、ご先祖――桑守半兵衛葉蔵にちなむ。

 先祖はもともとこの界隈、桑守四軒坂通りの百姓であったが、出世を重ねて最後には徳川家康公の馬廻役にまで大出世した、戦国サクセスストーリーの手本のような人物である。

 最期は関ヶ原で果てたとのこと。

 葉蔵は、この自慢話の類を、実は信じていない。


 というのも、証拠がない。

 なにかの絵巻とか、当時の具足が残っていればいいが、なにもない。

 ただ曖昧に、「この土地が証拠」といわれているが、ぴんとこない。

 それに、馬廻役のいち侍なんか、いちいち日本史で習ったりしないし、地方紙にも乗っているところをみない。

 そういう、地味な武士は、うんざりするほどいることだろう。ひょっとしたら、隣近所も馬廻役とか納戸役とか、徒士頭とかかもしれない。


(そらァ、名のある武将ならまだしもな)

 と、葉蔵は思ってしまう。

 よしんば半兵衛某が先祖だとしても、この家は、分家も分家だろうと思っていた。

 それこそ、長篠の戦の鳥居強右衛門のごとく有名ならば、別かもしれないが。


「葉ちゃん、箸、とまっとる」

「わり、ばあちゃん。今日、定植だっけ」

「ほうじゃ。いそぎん」

「うん」


 葉蔵は唐揚げと味噌汁をおかずに、飯をかきこんだ。

 祖父母のごはんは、固く、塩っ辛い。

 だけど、不思議と嫌いではなかった。自分が、生来の田舎者だからだろうか。




 本圃に定植する作業は、ようは、苗を土に植えかえる作業である。

 この時期を見誤ると、大事な収穫時期がずれて、収入が大きく減ったりする。それは、田舎農家の命取りだ。

 お金が入らないのはもちろん、得意先との信用がくずれるのがとてもまずい。

 いくら上手に美味しいいちごを育てても、それを買ってくれる企業が居なければ、収入はゼロなのだ。

 どんな商売もそうだが、けっきょく、信用第一である。


 葉蔵は小学生の頃からこの仕事を手伝っていた。夏休みになればハウスで、冬はパック詰め、箱詰めを手伝ったりして、子供がもらうにしては多すぎるお小遣いをもらっていた。

 労働の報酬としては当然の額だったと、いまならわかる。

 祖父母は、幼い葉蔵をあなどらず、ひとりの労働者としてちゃんと見ていたのだ。


 なので、――東京から逃げ帰ってきた己を優しく受け入れてくれた祖父母の期待だけは、裏切れないと思って、真夏だろうが、働いていた。

 それに、単純作業はいい。それだけを考えて、丹念にやればよいのだ。くだらない悩みも、そのときばかりは、忘れられる。


 昼休憩には葉蔵が適当に焼き飯を作って食べた。祖父は「味がせんぞ」といってソースぶっかけていた。相変わらずだな、くらいにしか思わない。どうせ止めたってやるのだ。

 おやつの時間になると、近所のハウスでトマトを育てている家から、差し入れに、アイスクリームをもらった。

 ちょっとした小休憩である。

 それから仕事を進めた。都会的に言えば「ゆるい」とか「怠けてんじゃねえ」みたいな空気であるが、決して楽ではない。


 朝は一番鶏が鳴く頃には起きて、さっと飯食って仕事。優雅にスムージーだ、カフェだ、朝マックだの言ってる暇なんかない。田舎の山奥にカフェもマックもない。スムージーとは要するに、野菜の汁だら。そういう土地である。

 暗くなったら切り上げる。そして、家族が風呂に入る間、交代でハウスの温度や湿度を調整する。

 いちおう、コンピュータ制御だが、絶対とは言い切れない。

 なので、祖父なんかはたびたび起きて、機械をチェックする。最近では、葉蔵がこの仕事を変わっていた。

 さすがに年寄りの骨身に冷水どころか、氷水をぶっかけるような仕事はさせられない。


 そうこうして、八月も中頃が終わる。

 今度は夜にハウスを冷やしたり、日照時間を制御する処理を行う必要がある。

 こういうのを全部機械でできればよいのだが、ここがいかにも難しいところ。

 設備の搬入やらの初期コスト、メンテナンス費用などがネックであった。

 大きなハウス栽培ならまだしも、ちいさな田舎農家であるから、無茶はできない。


 しかし葉蔵は、この生活を始めて二年ほども経つのだが。

 決して、嫌だ、とは思わなかった。


 休みは基本ない。

 農家という仕事に休みがあったら、今頃、日本中でおまんま食い上げである。令和の米騒動どころじゃあない。

 が、交代で休日をもらうことはできる。

 今日は、葉蔵が休みの番だった。多分、八月で最初で最後の休みだろう。去年もそうだった。忙しい時期は、月に一日休みがあるかどうかだ。


「祖父ちゃん、あの蔵ってなに? 入っちゃかんの?」

「いかんこたあねえらァ。ばあさん、あれ、ほうじゃ、あれとってくれ」


 あれ、で何かが通じるあたり、長年の連れ添いだなと感じる。

 祖母はピンポイントで葉蔵が気にしてた蔵の鍵を持ってくる。

「祖父ちゃんさ、なんで〝あれ〟で伝わるの」

「ほやあおまん、……なんでだら? わからん」


 祖父は日に焼けた黒い顔を掻きながら、鍵を渡してきた。

「なんもありゃあせんら? まあ、掃除するっちゅうなら、とめやせんわ」

「あっ、掃除? 押し付ける気かん、祖父ちゃん?」

「がはは、ほいじゃたのまァ」


 押し付けられた! と思った。

 けど、まあ。ひょっとしたらなにかおもしろいものがあるかもしれない。

 それこそ、ご先祖が本当にお侍だったなら、大判小判が出てくるかもしれないと思ったのだ。


(ん? 戦国時代って、どういう金なんだっけ? 嘉永通宝だっけ? 大判なんかあったのか?)


 まず、大判小判は天正十六年(西暦一五八八年)に豊臣秀吉が最初に作った、という説が有名である。

 桑守半兵衛が関ヶ原まで生き延びていたとしたら、十分、その大判をどこかのタイミングで褒美としてもらい、子孫へ残し、受け継がせた可能性も――ゼロ、とは言い切れないだろう。

 余談だが、半兵衛は東軍。つまり、家康公の軍勢としてこれに参加していると伝わっていた。


 ちなみに戦国期の銭は嘉永通宝ではなく、永楽通宝である。

 明で鋳造されたもので、永楽銭ともいった。京銭けいせんとならび、戦国期に流通した銭だ。


(まあいいら。けど、まさか、バケモン封印してるみてえなことねえよな)

 さすがに、おかしな漫画の読みすぎだと、呆れた。

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