些細なことで始まった小学校でのいじめ…母に「甘えるな」と言われ絶望した日のこと
母の呪縛3 前編
若林 奈緒音
2021年もいじめをきっかけに悲しい事件が頻発した。しかしとても残虐な行為も、きっかけはただ些細なことだったりもする。そういうとき、重要なのは家族や先生など、信じて支えてくれる人の存在だ。
若林奈緒音さん(40代・仮名)は、幼少期から母親の呪縛にずっと苦しんできた。30代でした結婚によって、ようやく「自分は自分のままでいいのだ」と思え、かつての自分の体験を口にすることができるようになったという。虐待やいじめの背景を知り、自分事として多くの人に考えてもらいたい、そして自分のように苦しむ子が少しでもいなくなってほしい――そんな思いで綴る連載「母の呪縛」第3回は、小学校でいじめられたときのことをお伝えする。
からかうきっかけは些細なこと
子供にとって、同級生や友だちをからかうきっかけは些細なことであることが多い。私にはその「きっかけ」があり過ぎた。まず、幼稚園の時から、周りより頭一つ抜けて背が高かった。それだけでも、小学生にとっては、いじめや、からかわれる材料になる。でかい、のっぽ、でくの坊、巨人と言われた。前が見えないと鉛筆で背中をつんつんされ、わざと聞こえるように「誰かさんがデカいから、前見えませーん」と言われた。それが嫌で背中を丸く猫背にした。家でもその癖が出ると、母や祖母からは姿勢が悪いと叩かれた。
中学生で手術するまで、生まれつき斜視でもあった。人に気付かれるほど極端ではなかったが、気がゆるむと左目はスッとずれていた。それを目ざとく見つけた子は、わざと、これできるか?と寄り目をして見せてきた。
左上に小さな八重歯もあった。抜くまでは、気持ち悪がられ、ドラキュラ、吸血鬼、悪魔の歯などとで呼ばれた。わざわざ歯をむき出しにして見せてきたり、上歯茎に箸を一本挿して「若林の歯!」とからかわれた。当時の歯の矯正は、銀色の金具がガッツリ見えるように付いていて、上下をゴムのようなもので引っ張るものしかなかった。学校では1,2人しかしていなかったし、とても高額でもあった。こういうことがまたからかわれる要素になる。だから矯正だけは絶対に嫌だったのだ。それでも私は、八重歯が汚い、血を吸うんだろうと言われたくなくて、とにかく一日に何度も何度も歯磨きをして、歯のチェックにしょっちゅう行かせてもらった。祖父は「小さい八重歯も愛嬌があって可愛い」と言ってくれたが、祖母が母に、「生むのが下手やな」と言ったこともあった。
いじめを知った母の驚きの言葉
そんな中で、母の思いでバレーボールチームに入れられた。少し離れた地区のチームに、同学年の目立つグループ全員が所属していた。そのグループは学校の中でも固まっていたし、チームも強かった。私のチームとは雲泥の差だったが、背が高いと言うだけで有利だった。試合は負けても、何点かは決まることがあった。試合中にやむなく相手の子の顔や体に私のアタックが当たってしまうこともあった。さらに私を殴る母の様子も頻繁にみられていた。そのため「暴力女の子供」「頭叩かれ過ぎてアホ」とバカにされた。
次の日学校で無視されたり、靴を隠されることもあった。授業のグループ分けでは、ハブられてしまうことも多々あった。最初の頃は言い返したこともあった。その様子を見て、また真似してからかわれることが分かってからは、無駄だと悟って何も聞こえないふりをした。あちらも無視するようになった。仲良くしてくれるお友達もいたし、かばってくれるような子もいたけれど、いじめっこ集団の子達に「その子と仲良くするとアホになるよ。暴力がうつる」と言われたり、無言の圧力もあり、彼女たちが来たらスッと話すのをやめて離れていき、だんだん私は孤立していった。
母に、バレーチームの相手がいじめてくることを訴えたこともある。しかし、母はあの子たちは頑張っているし上手だと、バレーボールの面だけで判断しほめたたえた。当然、親の前ではみんな良い子だった。
そのうち、学校に行っても保健室で過ごすようになった。漠然といなくなりたい、楽になりたい。死ぬと言うことはどういうことなんだろうと保健の先生に相談した。あの時、その先生だけが気付いてくれて味方だった。何度も箱庭を一緒に作った。そこから私がどれだけ寂しくて辛い、苦しんでいて、愛情を欲しているのかを読み取ってくれた。同時に字や絵を描くことを薦めて褒めてくれたり、得意なことを探してくれた。今思えば、殴られたり灸の痕で気づいたかもしれない。
しかし、学期末の通知表に保健室で過ごしていることが書かれた。それは母には逆効果だった。「気持ちの問題。やられたらやり返しなさい。強くなりなさい。負けるのが嫌なら勝ちなさい。○○ちゃんも、△△ちゃんも頑張っている。恥ずかしい。お母さんが小さい時は学校に行きたくてもいけなかった。行けるだけで有り難く思わないといけないのに、甘えるんじゃないの。情けない」と言われ続けた。それからは保健室にも行き辛くなり、家でも学校でも益々孤立した。
自分の中に籠ることでしか安心できない
当時は毎日毎日何かにびくびくし、あなたは役立たずのようなことを言われ続けた。役に立ちたい、必要とされたいと強く思い、家のお手伝いを頑張った。嫌々していると思われたら叱られる。言われる前に進んでするようにした。それでも、食器洗い中に、うっかり母の大切なお皿やグラスを落として割ろうものなら、母の気が済むまで叩かれた。最後はいつも土下座で泣きながら謝った。何時間も正座させられることもあった。あの足がしびれる感覚は二度と経験したくはない。どれだけ手伝い、良いことをしても、一度失敗しただけで全てがなかったことになる。許されない。そのせいか、細かいことにまで自分に厳しい性格になっていった。
小学校高学年の頃には常に自分の部屋に籠っていたかった。お小遣いを使って「明星」やファッション誌を購入した。親から与えられた漫画には興味が沸かなかった。ファンタジーすぎて感情移入ができず面白さが分からなかった。ファッション誌のキラキラした世界や写真を眺める方が楽しかった。毎月買うとお小遣いが無くなってしまうので、一冊を3ヵ月くらい大事にしていた。特に気に入ったものは切り抜いてファイリングし、自分だけの雑誌をつくった。母に見つかったときは、まだ早い、ませていると叱られ一度捨てられたが、ごみ箱から取り出して大切に作りなおした。
◇いじめられても、母親からは手を差し伸べてもらえずにいた奈緒音さん。だれも救ってくれないという思いは、自分が孤独だという思いを強めてしまう。ただ、奈緒音さんにはその後数日だけ、母親の愛情を確認できる時があったという。後編「斜視の手術で目に包帯…母に殴られ続けていた私が唯一感じた「母の優しさ」」で詳しくお伝えする。
SHARE
Facebook
X
URLコピー
AUTHOR
- この著者の記事一覧
若林 奈緒音