「愛しているのに、羨ましい」という地獄。 ——脚本家の僕が、ある女性ディレクターの涙を10年間忘れられなかった理由
もう10年以上前の話だ。
当時、僕の知人にテレビ局に務める
女性ディレクターがいた。
彼女の夫も同じ社員ディレクターで、
二人は同じ職場で出会い、結婚した。
結婚前は二人とも同じように制作現場で
仕事をしていた。
妊娠を機に、彼女は現場を離れた。
産休を経て復帰しても、
以前のようには働けなかった。
保育園に預けた子供のお迎えがある。
だから時間の読めない仕事は難しい。
やがて彼女は、制作の現場から
時間に融通の利く部署へ異動した。
夫は結婚前と変わらず番組制作を続けた。
大きな仕事を任されるようになり、
順調にキャリアを積んでいった。
夫は帰宅すると仕事の話を
嬉しそうにしてくれる。
話を聞きながら彼女も一緒に喜んだ。
でも心の中に、自分でも正体のわからない
モヤモヤが少しずつ広がっていく。
言語化するのが難しかった。
言語化するのが怖かった。
だからそのままにしていた。
夫の担当している番組が社内で評判になると
周囲から頻繁に言われるようになった。
「旦那さん、めっちゃ仕事できるね」
「自慢の旦那さんでしょ」
「そんな人と結婚できて良かったね」
「献身的な妻のおかげだね」
彼女はその言葉を聞いた時、やっと気づいた。
私は夫が羨ましいんだ、と。
モヤモヤの正体は嫉妬だった。
愛する夫への嫉妬。
ある夜、夫に
「来週海外ロケがあるから荷物用意して」
と、サラッと言われた。
いつものように夫の着替えを揃えていたら
急に涙が溢れ出した。
なんで私はこんなことをしているんだろう、と。
私だって本当はもっと仕事がしたかった。
海外ロケだって行きたかった。
そのために頑張ってテレビ局に入った。
夫も私が仕事が好きなことは知っている。
結婚前は俺も家事は手伝うから
仕事は今まで通り続けて欲しいと
言っていた。
なのに、結婚して子供ができたら
家事や育児を優先するのが
当たり前のように思っている。
涙の原因は夫だけではない。
世間の人たちは、
妻が夫の出世を喜ぶのは当然だと
思っている。
嫉妬なんかしたら「おかしい」という
目で見られる。
一度実家の母に遠回しに言ったことがある。
母は理由も聞かずにただ一言、
「そんなこと思ったらバチが当たる」
だから誰にも相談できなくてしんどい。
彼女は鼻を啜りながら笑顔で
そう話してくれた。
その時の僕は彼女に適切なアドバイスが
できなかった。
全部わかったフリをして慰めたり、
一緒に怒るのも逆に傷つけるかと思い、
ただ黙って聞くだけだった。
でも、彼女から聞いた話はそれからも
頭から消えなかった。
いつか作品の中で描きたいと
思い続けてきた。
あれから10年。
今年5月15日、僕が脚本を書いた映画
『チェイサーゲームW 水魚の交わり』が
公開される。
同棲して7年目を迎える30代レズビアンカップルの倦怠期の危機を描いた作品だ。
女性同士であっても役割分担は違う。
外に働きに出て会社で責任ある仕事に就くのは
林冬雨(はやし ふゆ)。
片や仕事を辞めて家事と育児を担うのは
春本樹(はるもと いつき)。
僕はあの日、話を聞かせてくれた彼女と
樹を同じ境遇に置いた。
樹は元々パートナーの冬雨と同じ会社で
働いていた。
周囲からの信頼も厚く仕事の出来る女性だった。
でも家庭を築くために仕事を辞めて
家事と育児に専念する道を選んだ。
パートナーの冬雨は仕事でキャリアを
積み上げていく。
でも、樹は何も変わらない。
家事や育児を頑張っても誰からも賞賛されない。
当たり前のこととして済まされる。
映画の中にこんなシーンがある。
冬雨が樹にセックスを求めてきた夜、
樹は「疲れてるから」と拒否する。
一度だけでなく何度も冬雨の求めに
冷たく背を向けるのだ。
「私だって毎日仕事で疲れてる。
でもスキンシップも大事でしょ!」
と憤る冬雨。
そんな愛するパートナーの言葉に、
樹はそれまでずっと一人で抱えてきた
黒い感情を吐き出す。
「好きな仕事がやれてキャリアアップしていく冬雨が羨ましくてモヤモヤするの。そんなこと思っちゃダメってわかってるけど、昼間ひとりで家にいると、私なんでここにいるんだろうって惨めな気持ちになって、冬雨が憎らしくなる。だから求められても、そんな気持ちになれなくて。でも、私だって本当はしたいんだよ」
このセリフを書いた時、
あの夜に彼女が鼻を啜りながら
話してくれた顔が浮かんだ。
僕も鼻を啜りながら書いた。
レズビアンカップルとかは関係ない。
男女の夫婦でも、
同性カップルでも、
愛するパートナーへの嫉妬を抱えながら
そのことを誰にも言えずにいる人は大勢いる。
そして、そんな感情を持つ自分は
「おかしい」と
自分を責めている人も。
そういう人に届いてほしくて、
この映画の脚本を書いた。
僕が一番描きたかったのはこれなのだ。
でも、脚本を書き終えても、
彼女の心の痛みを
「全部わかった」なんて言えない。
そんなのはおこがましい。
それでも、彼女が鼻を啜りながら
僕に預けてくれたその痛みを、
作品にして放つことはできる。
その先に、
「これは私の物語だ」と
救われる誰かがいると信じて。
#夫婦 #カップル #育児 #夫婦関係 #パートナーシップ #脚本 #映画
#チェイサーゲームW水魚の交わり


コメント