理科III類 不合格体験記
はじめに
以下の文章は、以前私が投稿した記事『不合格体験記 uts3』の再掲載です。
ありがたいことに多くの人から「もう一度読みたい」という声を多くいただいたため、改めて公開することにしました。完全に26年度の受験の熱は冷めたと思いますが、新浪の方や高三受験生、これから大学受験に向けて頑張る人の何かの役に立てば幸いです。ちょうどGWも始まって、これを読んでる方も少し気持ちが緩んでいるかもしれませんが、お互いに頑張りましょう。レイアウトが苦手なので文字ばっかりで読みにくいかもしれませんがご了承ください。
ご存じの方もいるかもしれませんが、本記事は過去にある疑念を向けられたことを受け、一時的に非公開としていました。(後に述べますが、高校を自主退学するに至った経緯にも類ずるような内容であったため、その件で冷静な判断を失ってしまった次第です。)
当時のデータはすでに消去してしまいましたが、できる限り当時の内容に近づけて再構成しています。
また、当時私を擁護してくださった方々には、この場を借りて改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。Xerで言えばマクローニンさんとか、mimiくんとか、探索くんとか、とあ予備くんとか、drとか、その節は本当ありがとう。
一方で、私の不適切な表現により疑念や不快感を抱かれた方がいらっしゃいましたら、お詫び申し上げます。🙇
それでは、通例通りまずは私の自己紹介を簡潔に。
出身県は福岡県
現在二浪の歳(19歳)
海外在住経験有
某私立中高一貫自主退学→高卒認定取得
26年度 慶應義塾大学 医学部 医学科 合格
2026年度 大学入学共通テスト 953/1000
2026年度 東大入試実践模試 理III内総合6位
SNS交信が苦手であまり情報発信の類は得意じゃなかったけど、自分みたいな人が増えて欲しくなかったことと、友人が心配してきてくれて、自分の今年の過程がみたいとのことで、Xを始めようと思った次第です。Xは全く触れないで生きてきたので昨年度も含め東大志望のコミュニティには存在していませんでしたが、東大志望の人達、改めましてこれからどうぞよろしくお願いします!!!!
以下当時の記憶を頼りに書いた文章
さて、後に掲示することでもあるし私のXのポストを見てくれれば殆ど分かることだと思うが、恐らくこのnoteを読んでくれている多くの人が共通で思うところとしては「なんでこいつ多浪してるんだ???」 的なところだと思う。
まず、ここ数年私の受験が奮っていない1番の理由として、私の精神面があまり優れていなかったということがある。訳あって高校を自主退学して、高卒認定を取得したのが17-18歳の高三の歳だった。
(一応、私が自主退学するに至った経緯を当時の学年団主任の話を借りて簡潔に述べると、「私の実績は在学当時からそれなりに高水準だったけど、それに嫉妬してしまった〇〇君が、私が一方的に悪くなる口実を作り上げて、それを流布させてしまった」というのもで、別にあとから考えると自主退学するほどの事ではなかったのだが、家族の名誉のためにも結果的に自主退学を余儀なくされてしまったという事があった。今回不正を疑われてデータを衝動的に削除してしまったのも当時の記憶が巡ってしまったからでした。普通に生きているだけなのにたまにこうして誰かの気に障ってしまう事が昔からあった。目立たないように生きているつもりだけど気づいたら目立っちゃってるのが良くないのかも。とりあえず気をつけて生きていきたい。)
それからというもの、高3時は精神的に参っていた為、その頃はペンを持つこともままならず、持ってもボーッとする事が殆どで、学業に身を置くことが出来なかった。結局私が勉強に身を入れて取り組めたのは11月初旬であったように記憶している。当時は頭にずっと白いモヤがかかっていてなにをしていても身体が浮いている感覚で生きている心地がしなかった。私は自主退学することとなった以前から東大理IIIを志望して学業に専念しており、そのための勉強もしてきたつもりだっが、学業に挑めなかった8ヶ月のブランクはあまりにも長いもので、受験する上での学力も穴だらけで、もちろん理IIIを受験するレベルには全く達しておらず色々な人との協議の末、25年度入試は国立前期として、東京科学大学 医学部医学科を受験することに決めた。その年の共通テストの得点は綿密な得点戦略を立て正しい努力を短い期間で積み重ねて来たお陰で最終的には911/1000で、何とか9割を取得することはできたつもりだった。後ほど分かる事なのだが、この時私は地理でマークミスをしており、8割前半の点数であった。また、科学医の二次試験では数学が解けずに頭が真っ白になってしまい、代ゼミ本部校に入った後、覚えているのは埼京線に乗って帰路に着いている自分の姿だった。気づいたら試験は終わっていた。なにがしたかったんだろうね。
そして25年度は結局国立前期には落ちてしまったのだ。以前のnoteではこの部分で『医科歯科5点差落ち』のような表現を用いていたが、それは高校時代から抱いていた理III受験の道を諦め、受験校を下げたのにも拘わらず、その大学にも落ちてしまった現実が許せなくて、友人にもおそらく僅差落ちだった事を伝えたいが為にその様な表現を日常から使っていたのである。(本来、科学大医学部はランク別での開示しか公開されない。その点については1部の方に誤解を産んでしまいすみませんでした。こういうプライドも受験にはいらないもの。私はやはり選ばれた人間ではなかったのかもしれない。)
その後、後期の大学には合格を何とかいただけたものの、やはり自分の夢を諦めることは出来なくて周りの人からメンタル面で心配されたがなんとか浪人を決意。当時住んでいた場所から離れ祖父母宅のある、とある都道府県に単身で移住することになり、そこの駿台に通うことになり、もちろん最初は慣れない環境で不安でいっぱいだった。
先程もお伝えした通り、私は約8ヶ月のブランクがあって、基礎力も正直完成されているとはいえないレベルだったので、入学した駿台では演習コースではなく基幹コース(?)の最上位より1つ位の低いクラスにクラス分けテストで得点調整をして入ることに成功。この奇行は自分がまだ基礎力が完成されていないだろうから謙虚に学習したいという理由もあったけど、1番は浪人期という日々が単調すぎる期間に何かしらの成功体験を積んでおきたいと思ったからである。
まず、当然4-5月は自分の勉強の基礎が穴だらけだった事を痛感していたので、どれだけ簡単な内容でもバカにすることなく学習に打ち込んだ。この期間に私がしていたこととしては…これについては別途個人的に聞かれれば答えたいと思う。というのも、いくら慶医に受かったと言っても、理IIIに受かっているわけではないし、実際に国立前期に2回も落ちているから、自分の学習法が正しいか否かの精査が1人では出来なかったからだ。この頃、ありがたいことに、色々な人が私に勉強法だったりを質問してくれるけど、本音を言うと自分が伝えた勉強法があっているかも分からないから少し不安です。ただ、とにかく夏まではひとつの問題に何時間も考えるという事をしていたように思う。中には数学の問題で3時間くらい考え抜いた問題もあった。(今では後々これが活きてくるように思う。)
またその期間は、私は自分のことを全く信用していないから、所属していた駿台の各科目の講師達ほぼ全員に自分の1年間の学習計画の構想を伝え、それに対するフィードバックを求めに行き1年間の大まかな学習計画を作るという事もしていた。現役で超僅差落ちした、しないに拘わらず一度は各科目の先生に助言を貰いに行くべきだと思う。(実際私も英語科の講師に何度も助言を貰いに言っているし、助言を貰いに行った駿台の学友は一部、本当に惜しかった友達を除いて、ほとんど全員受かったように感じている。)ちなみに個人的に勉強計画は、中期目標>長期目標>短期目標の順で立てると良いと思っている。(とりあえずまずは中期目標をしっかりと立てることをオススメしたい。その方がモチベが揺らがずに勉強に打ち込めるからである。)
参考までに基本的な一日のスケジュールは下記の通り
5:30起床 (身支度・計画立て)
5:30 公園で1時間程勉強
7:20 電車乗車
7:55 電車着(電車内では古文単語英単語数学)
8:05 駿台着
8:20 駿台開門(15分くらいは開凸仲間と勉強)
9:00~16:00 大体このくらいが授業
16:30~18:00 自習①
18:00~18:20 休憩(コンビニ→休憩室)
18:25~20:45 自習②
20:55 電車
21:45 最寄り着
21:50~22:00 風呂
22:00~23:00 自由時間
23:00~25:30 深夜数学部
好きなことにはとことん打ち込めるタイプだったので勉強自体を好きなことにして前期のうちはなるべく多くの時間を勉強に費やしていた。公園勉強は大体1時間位やったが、基本室内にいるのが好きなタイプなのでこの1時間で解く問題を決めてそれを解き終えたら家に戻って速攻で支度して駿台に行く生活を1年間続けた。これは雷獣の永遠からインスピレーションを受けて自主的に行っていた。ただ、私は所謂ショートスリーパーにあたるのかは分からないが昔からあまり睡眠時間を多く取らなくても生活出来るタイプだったので、普通の人よりも多くの時間を勉強に充てられていた事もある。(これは多くの人が身体を壊しちゃうだろうからオススメしません。)
6月
恐らく浪人期で6月もトッブレベルでキツイ時期なのではないかと思う。6月は駿台がある最寄り駅まで行きはしたけど一体何が辛いのかも分からないけど、何かが辛すぎて、改札を出ずに、駿台の授業を一日サボり、よく分からない在来線に乗り換えて隣県に海を見に行った事もあった。
徹底的に基礎学力の向上に励んだ駿台の前期期間では6月の駿台全国模試で何とか理III B判定まで回復。何とかブランク以前の感覚が戻ってきた感じもあったが、ここでは気を抜かずひたすら勉強。
7~8月
夏期の期間は恐らく多くの受験生(浪人生)にとって魔境になると思う。通期の授業も全くないし、講習を取らなければ約2ヶ月程は授業がない訳で、1番自己管理が難しい期間でもあると思う。この期間も私は気持ちに左右されずに日々のルーティンを淡々とこなし計画の完遂にあたっていたが、私がこの期間、もちろんメンタルを崩してしまう事もあったがそれでも諦めず勉学に励む事が出来た理由としては浪人期を通して一緒に勉強してくれた駿台の学友がいたからだったと思う。(特にいつも一緒にいてくれた某M・K高の7人)彼らの存在は受験期1年間を通して私の中では大きな心の支えとなってくれたので今一度(この投稿を読んでくれてるかは分からないが)彼らには感謝を述べたい。本当にありがとうございました。
また、この時期にわざわざ地元に帰省して友達と受けた東大実戦では東大理III B判定。(データの保管期間がすぎてしまい成績表が消えてしまった。参考にならずすみません。)
9月〜共通テストまで
後期が開講して、もちろん当初の想定通り所属していた駿台の1番上のクラスに入ることができた。(作戦成功)また、主に9月は夏頃に回収しきれなかったタスクの完遂を目指して日々の学習に取り組んだ。夏の計画は重すぎない方がいいと思います。またこの頃から徐々にではあるが過去問演習に入った。過去問演習についても受験生は覚えておいて欲しいのだが、自分の出る大学の過去問を自分で研究することは個人的に大事だと私は思っている。『過去問なんて二度と出ない問題なんだからやる意味ない!』みたいな意見を持っている人ももちろんいるとは思う。しかし個人的にはこの意見にはあんまり賛成できない。(もちろんこれは過去問だけではなくて新出の問題が出てきた時にも対応出来るように色々な問題の形式に慣れておけという事ではあると思うのだが。)
その後前期、夏期期間を経て段々とブランク前の学力に近づいてきた感覚が戻ってきて、10月にあった駿台全国模試では東大理III A判定を取得できた。私自身模試の成績にはほとんど踊らされず勉強に励みんだ。その結果、11月の第2回 東大実践模試ではこれまでの努力がようやく形になってきたのか、東大理III A判定∧全国6位 という実績をあげることができた。それが以下のものである。
それからというもの後期の授業にはより一層真剣に取り組み、駿台の先生達の知識を全てスポンジのように吸収するつもりで授業に望んだ。おそらく後期が11月頃まで。数学の問題も相当難しいのを扱ったりもしたがとにかく考えて自分で解答を作成する練習をひたすら自分なりに積んだ。それからこの時期から歩いてる間は英語・古文・漢文の音読も常に行うレベルで勉強を生活の1部にしていた。
また、私は共通テストの問題形式が得意なタイプではなく、本来普通の理III受験生が1ヶ月もかけないで対策するところを、私は約1ヶ月半もの時間を費やして共テの対策にあたった。というのも学力との間に明確な相関関係があるかどうか私には皆目分からないが、小学生の頃知能指数の測定をした際に、(主にIQは大きくわけて言語理解・知覚推理・ワーキングメモリ・処理速度という4つの分野に分かれているのだが)私は処理速度の数値が78であった。この数値は平均値よりも大きく下回っており、単純作業を如何に早く、正確に処理できるかという事が比較的苦手な部類であるから、(実際に2桁+2桁の足し算の計算も筆算しないとできない位には苦手である。引き算に至っては絶対に筆算しないとできないです。)共通テストを何とか攻略するために色々な作戦を立てていた。
そして共通テスト本番。ここはとにかく辛すぎてほとんど記憶が無いけど、今まで培ってきた自分の能力を使って、結果的に953/1000を取ることができてここまではひとまず順調。試験終わりに友達達と焼き鳥を食べに行った。美味しかった。
2次試験編
共通テスト終わりは次の日の朝駿台でのホームルームがあった後はいつも通りの勉強に戻り、慶應と東大2次の勉強に励んだ。この期間は同じ東大志望の友達と試験当日の時間に合わせてセット演習したり、とにかく試験当日フル回転で挑めるように頭と手を動かすのを続けるようにした。その頃からは自分の問題の解き方・試験中の振る舞い方は特に変えることなく自分が1番最大の得点を稼げるようにシュミレーションを続けて言った。この当日の時程に合わせて友人と演習をするのは凄く有益なので是非やってみて欲しい。
そして2次試験のために東京に向かったが、ここから私の愚行の数々が顕となっていく。私は2/24に東京に入ったが、東京に着いて「絶対東大受かるぞ!!!!」という気持ちで来年から住む予定だった街を闊歩しながら、少し浮かれてホテルにチェックインした。しかしここで問題が発生する。
なんと2/24~2/27でホテルを取らないと行けないのにも拘わらず3/24~3/26でホテルを予約してしまっていたのである。実にアホである。当然その時はもう空いてるホテルなんかどこにもなく、別の部屋も空いていないと言われ、なくなくドミトリーベッドが併設されているMOTELらしき宿に3日間泊まることになってしまった。(1泊3000円)もちろん勉強をしていたのだが、外国人しか居ない宿だった為、共用ラウンジで私が東大理系数学の演習をしていた時に隣では大スクリーンで外国人達がJAWSを観ていた。この件で私は少し動揺してしまった。
その日は結局いつも通り1時前後に就寝し、起きたのは6時。その日は土砂降りだったのでなるべく早めに入試の会場に向かった。
まず1科目の国語。私は理系でありながら文系科目の方が得意という理系には相応しくないパターンで、当然国語もなるべく難しい方が周りとの差がつきやすくて個人的には有利だった為、難化して欲しいと願っていたものの結果的にはそこまで難しくなく、周りの理III生の開示を見る限りほとんど差は着いていなかったかのように思う。(これは結構痛手)
そして2科目の数学。ここで全てが終わる。問題用紙を開いて私は普段ルーティンとして全ての問題に3~4分をかけて全体の問題の大まかな方針を立ててから解答作成をしていくタイプなのだが、大問2以外でこの時最後の問題まで大まかな解答方針が立つ問題がほとんどひとつもなく、ここで恐らく難化したんだろうと想起。この時落ち着けば良かった後になってからは思うけど、理IIIの会場でそんなメンタルを持ってる者なんて恐らく一人もいない。その後は取れる問題を死に物狂いで取りきったつもりだったが得意な立体図系の問題が1題もでず、完全に動揺しすぎてしまい、本来3完したはずが蓋を開けたら計算ミスに計算ミスが、相次いで1完という事態に陥ってしまった。
その後絶望した気持ちでホテルに戻り、友人からの慰めをうけ、2時間ほど外の景色をみて気持ちを落ち着かせいざ2/26へ。おそらくこの日も寝たのは2時前後だったように記憶している。ちなみにこの時東大理系数学に対する世論を取り入れたかったが為に人生で初めてXを入れる。そこでも何とかメンタルを回復したつもりだった。
三科目の理科では生物・化学共に苦手な科目ではなかったものの、生物は全て解こうとすると、どうしても私の能力では80分はかかってしまうため、普段から取り決めとして先に生物・化学の知識問題を全て解いてしまってから生物に関しては取り切れる問題を全てとって、化学に時間を少し多めに使い、9割前後の点数を取得することを目標にしていた。実際当日の出来も体感では悪くなく、この辺りで勝ちを確信した''つもり''だった。
最終科目の英語では、相当対策をしていたのでいつも通り上手く行き、ここに関しては特に述べることがないため割愛。
その後2/27に面接試験を経て一度駿台に戻り慶應の2次試験のための対策をして再び東京に戻りそこで26年度の受験の一切を終えたつもりだった。
自己採的には
国語 60
英語 110
数学 30
化学 56
生物 35
それに共テの104.8300が加わるから
私は絶対受かってると思っていた。
これ以降(3/2~)は駿台の友人と後期対策と称して色んな大学の数学の問題を解き漁ったり、大学に入ってから学ぶ予定だった第二外国語(英語、ドイツ語、中国語に関しては独学していて出来るので多分フランス語かな〜とい思いつつ)友達と語学書を買いに行ったり、高校時代に触れてこなかった物理の勉強をしたりして3/10までの日々を消化していった。
そして3/10。
その日は珍しく8:24に起きてしまった。そして10:00に親友と待ち合わせをし、2時間くらいご飯を食べたりして時間を潰した後、景色が一望できる展望台で合格発表を見ようという事でそこへ向かう。
そして12:00になり、周りの友達から私に東大の合格報告が相次ぐ、そうして私も自分の受験番号を確認する作業に入る。
(ここからはグロすぎるので割愛)
(ここが本質のような気もするけどそれは縮小でいつか言おうかな)
当然2日目程は全く立ち直れなくて、誰にも返信を返す気も起きなくて、そもそもなんで落ちたのかも分からなくて、絶対受かっていたと思っていたのに、何がダメだったのか、どこで間違っちゃったのかをずっと考えていた。
1部だけど、大切な友人から届いたメッセージ。他にも色々な人が慰めてくれて、あの当時本当に気鬱だった自分にとっては彼らからの言葉が支えになった。
P.S.
頑張るって決めた以上は、来年は自分の事を気にかけてくれる友人達にはこんな気持ちを抱かせないように精一杯頑張ります!!!!!
その後、自分の中でももう見切りをつけて、『何かが悪かったんだろうな』 『至らない点があって、努力が全然足りてなかったんだろうな』と自分の中で受験に落ちてしまった原因を何かしら理由をつけて落とし込んでいたつもりだった。そして4/1開示の日。「うーん、まぁ何が悪かったか分からないしな、一旦まぁ、見るか」と思って見た開示結果が以下のものである。
生物 9…?
化学20…?
この結果を見てまず最初に思考が停止してしまい、1時間位外にいたのに全く動けなくなってしまった。涙も何も出てこなかった。単にこの状況が理解ができなかった。後々に判明することだが、一日目の数学で動乱してしまった私はその後の理科英語でも普段しないような解き方で問題をとく時のルーティンを全部壊してふわふわとしながら問題を解いてしまい、結果として理科の解答用紙を間違えて解答してしまったのである。この凡ミスのせいで60/80が消失。実は過去にも共テ模試だったり記述模試で解答用紙を書き間違えたりマークミスをした事があったりして恐らくこれが原因だと思う。ははは、間抜けだね。
これらを踏まえて私の27年度の受験は大体4/10頃から本格的に始まった。(それまでは正直気持ちの切り替えが出来なかったりして、気鬱になって在来線に乗って知らない街に行って、一日中ボーッと過ごしてた事もあった)、各大学の入学式のストーリーがInstagramで流れて来たりした際にも、例えどれだけ昨年度切磋琢磨して高めあえた友人の入学式の姿を心から喜ぶことは当時の私には出来なかったし、それと同時に言語化出来ない引け目のようなものを感じてしまい、悔しかったし悲しかった。後から知った話だが、理IIIに行った友達も学内で私の事について他の理III生からなぜ私のことを知っていたのかは皆目検討がつかないが、「そういえば𓏸𓏸𓏸くんは居ないの?」みたいに尋ねられたらしく、当時の私は自分も予備校の先生・友人・駿台の同じ校舎だった学友達も含め誰一人として私のことを落ちない受験生として認識していたんだなと改めて思う。Xで知り合った現理IIIの人たちも凄く良くしてくれて、きっと1年間彼らのお陰でモチベを維持した状態でれ頑張れると思う。Xである先生に自分の事を直接褒めて貰った事も、大島先生から授業で私が書いた英作を私がいない授業で褒めてもらった事も、コバタカに直接褒めてもらったことも、その一つ一つの駿台での思い出が、受験期の辛かったけど有意義だった思い出が、今の自分の原動力に結びついてます。
やっぱり本当に邂逅にだけは恵まれてると思います。
皆さん本当にありがとう。
これからもメンタルがキツくなって勉強に向き合えない事ももしかしらあるかもしれないけど初心を忘れず、謙虚に頑張りたいと思います。昨年度と同じ予備校に通う事にしたけど、やはり私の心が狭いのか、自分より余裕が無いはずの多浪の受験生たちが休憩室で何時間もベラベラ談合会議をしている所を見ると言いようのない気持ちに押しつぶされそうになることも多々ありますが、そんな中でも自分のことを認めてくれる人は一定数いるし、自分より早く大学に行ってしまった友人達のことを考えて彼らに1歩でも早く追いつけるように頑張りたいと思う。
最後に。
先日気分転換も兼ねて恐らく10年ぶりくらいに知人の勧めで知能測定を受けてきた。その結果は10年前とほとんど変わっておらず、やはり処理速度の値は平均以下のままだった。しかし、担当の先生なら朗報を頂いた。私のような知能形態はギフテッドと知的障害を併せ持つ2Eと呼ばれるタイプのようで、このような人は特に学者や研究者に多いという。(実際、処理速度以外の数値はいずれも145程度である。)また、私は子供の頃から将来は学者になりたいと思っているし、やりたいことだってずっと前から決まってる。
なれたらいいな。きっとなれるかな。なりたいな。


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