憧憬(2026東大不合格体験記)
東大ってアイドル。夢を見せてくれる。見せてくれるだけ。
軽く自己紹介をさせてください。
宮城県生まれ19歳(1浪)、性別は男。県内の公立中高一貫校を卒業し、現役時は共テ842点、東大理Ⅱに40点差で不合格。浪人し、駿台仙台校に通うも、前期いっぱいで退学。そして、1浪東大理Ⅱ不合格。
学年が変わると必ず自己紹介カードなるものを書かされる。将来の夢、特技、自分の長所。幼い頃、どうにもこういった質問に答えるのが苦手であった。だって、将来の夢も特技も自分の長所も無限にあって欲しかったから。書けば決まってしまう気がするから。でも、意外と自分の将来が決まるのは早かった。
中学受験は親のエゴだとよく言われる。これは半分正しく半分正しくない。正しいのはもちろん、大抵の場合、中学受験に躍起になるのは親だからだ。正しくないのは、当人自体の成長の方向が定められるために、当人もまた親の考えに一致するケースが非常に多いからだ。「中受して良かった」なんてのはただのポジトー(ポジショントーク:結果論からの語り)でしかない。経済資本と芸術センスの相関関係のようなややこしい話を一旦脇に置けば、中学受験を経た人間のアイデンティティは「勉強が得意」に集約される。
私もその犠牲者のひとりだ。幼い頃、野球が好きで、ピアノが弾け、勉強ができる…見所の多い人間だったと思う。それがどうだ、気づいた時には、俺に〝勝負〟をさせてくれるのは「勉強」のみだった。私は、親にムチ打たれイヤイヤやった、不幸の諸悪の根源である「勉強」に醜く縋ることしかできなかった。私には、これより他には何もないのだ。
さあ、不細工で運動音痴で楽器のひとつも弾けなくなった私に救いは?
東大は、私の目に十分すぎるほど魅力的に映った。このカード1枚で全てをひっくり返せると思わせるに足る。
この文章は、自分の存在証明を懸けて、醜くもがいて、そして失敗した、そんな体験記です。
予備校に行こう!
東大に落ちた。後期に出願していた一橋は足を切られた。早稲田は補欠のまま繰り上がらなかった。理科大の入学金の締切はとうに過ぎていた。両親に頭を下げた。浪人生活が始まる。
私は駿台御茶の水校(駿茶)に行きたかった。駿茶は東大専門校舎であり、東大志望浪人生の総本山と言って差し支えないだろう。ここで両親との交渉(≒大喧嘩)が始まった。当然のことだ。私が住んでいるのは仙台、御茶の水とは東京の地名だ。田舎者の私でもそのくらい知っている。すなわち、駿茶に通うには、単純な浪人費用に加えて私の一人暮らしの費用が必要になるのだ。〝交渉〟の末、出世払いを条件に何とか許諾を得たが、最終的に「このような事は(妹の名前)にはさせてやれない」と両親が話すのを聞き、断念した。
さて、私は〝交渉〟が上手い。駿台仙台校(駿仙)への入学がいとも容易く決まった。
駿台仙台校
ここで私が1年通う…はずだった駿台仙台校(駿仙)について軽く紹介しておこう。
駿仙には駿茶のような演習クラス(いわゆるSW,SX,SY,SZ)は存在せず、理系はSA,SB,SCの3クラス、文系はLAの1クラスが存在する。私は前期をSAクラスで過ごした。SAは85人程からなる最上位のクラスではあるが、東大理系志望は10人程度しか存在せず、メイン層は東北大志望である。このため、対面での東大対策の授業は存在しない。〇〇大学対策の授業が存在するのは東北大のみである。通期授業に限らず、夏期講習においても同様である。
講師は有名講師からローカル講師まで、年齢層も幅広く居り、どの先生も個性豊かで授業に飽きることは無い。しかしながら、一般に「有名講師」と呼ばれる先生が、関東校舎にのみ出校しているケースが多いのもまた事実である。それでも、EXコース限定ではあるが、特別授業なるものが存在し、竹岡先生や大島先生といった駿台の看板講師の授業を1度でも受けられる機会が設けられていたのは刺激になった。
高校4年生
あっという間に4/16が訪れた。予備校開校の日だ。
駿仙にはナンバースクール(=宮城県の進学校の総称)出身の人間に限らず、東北各地の進学校の人間が通ってくる。新たな環境に少々胸を弾ませて居たが、周囲と会話するような機会は特に無かった。大分勘違いしていた。浪人は辛く厳しい道のりであるべきだ。
それでも、私の出身校もナンバースクールの一角であるため、駿仙には同校出身の友人が多く存在し、休み時間は彼らと駄弁り、昼は外食し、気が向けば授業後は自習室に籠る、みたいなダラけた生活を続けた。高校の時と何も変わらない。違うのは授業を真面目に聞いたか否かくらいのものか?
駿台はとにかく多くの模試を受けさせられる。開校前に前期のクラス分け用のプレースメントテスト。加えて、4月に進研模試、5月に共テ模試、駿台全国模試。これらの模試は後期のクラス分けに使用されるとの事だったが、駿仙はクラスで講師が大きく変わるみたいなことは無く、駿茶のような激しいクラス争いは無かった。何より、東大志望にとって駿仙SAのボーダーなど瑣末なことである。
また、駿台の基本的なスタンスとして、せっかく1年浪人するのだから基礎からしっかり積み直して学力を正しい方向に再構築しようと、それはそれは基礎を重視したカリキュラムが用意されている。授業内でもこのことは幾度となく強調され、物理の映像授業を担当されていた森下先生は「夏までは物理S以外の教材を使うな」とまで仰っていたほどだ。
これは何も自学をするなという意味では無いのだが、4月5月は気持ちも上に向かず、授業だけを受動的に淡々とこなす日々を過ごした。
予備校を辞めよう!
5月末の駿台全国模試で東大C判定、6月東大本レでB判定。期待外れな結果であった。模試が悪かった、はい終わりでは仕方が無いので、原因を考察して何かを変えなければならない。これは結局、私の悪い癖ということになる。原因を考察して環境を変える、というのは見方を変えれば他責でしかない。ローマは一日にして成らず。もう少し置かれた環境に妥協して、余計なことを気にせず、がむしゃらに努力する…みたいな姿勢が強ければ今頃は東大生だったのかなあ。
「駿仙を退学する」という案が浮かんだ。
突拍子も無いように聞こえるが、実はこの案は初めから頭の中にあった。というのも、親との交渉の中で私があっさり引き下がったのは、後期から駿茶に行くプランを用意していたからだ。駿仙SAの担任にこのプランを伝えると、後期からでは駿茶のSCクラス(最下位クラス)にしか行けないという。これは誤算であり、私のリサーチ不足だった。模試の点数的には、恐らく駿茶でもSAに入るに十分な点数であったため、当然その点数を参照してもらえるものだと思っていた。
わざわざ大金を払って最下位クラスというのは癪だったので、結局私には「駿仙を退学し宅浪する」か「駿仙に残る」か2つの選択肢しかなかった。正直、私は駿台に辟易していた。これ以上駿仙のネガキャンをしては趣旨が変わってしまうので留めておくが、節々に地方差別、資本主義の行き過ぎた合理化を感じ、また浪人界隈で駿茶の話は多く聞いていたので、その格差に落胆した。私は前者を選択することに、ほとんど迷いは無かった。
親には一応反対されたが、お金が浮くのは嬉しいのか、簡単に説得出来た。
夏
言わば〝駿茶コンプ〟であっさりと予備校を辞めた。一応前期終了まで籍は置いたが、授業はほとんど出席しなかった。宅浪のスタートである。
宅浪は精神的にキツいとよく言われるが、自分はあまりそのキツさを感じなかった。何せ自分で選択した道だ。宅浪のデメリットは生活習慣だが、宅浪のメリットは生活習慣である。人より優れていることは何だろう?と考えた時、真っ先に思いついたのは睡眠時間を削ることだった。昔小遣い稼ぎにゲームをやっていたので、昼夜逆転、睡眠不足には耐性があった。具体的には30時間につき6時間だけ寝るみたいな生活を続けた。人に勧められるかはともかく、これは一定の成果をあげたと言えるだろう。私の中では〝1日〟が30時間になったが、現実世界では24時間おきに〝1日〟が過ぎる。そのためあっという間に日付が過ぎ、気付けば夏模試の時期だった。
結果から言うと、オープンがB、実戦がCだった。浪人生として物足りないのは百も承知だが、ひとまず6月から大きく判定を落とすこともなく、少し安心してしまったのが本音だった。
化学が物理の時間を圧迫した結果の点数であることを踏まえれば、特段得意教科は存在せず、数学の上振れ下振れで判定が変わる、そんな状態である。
何に力を入れるべきか悩ましいが、とりあえず英語を鍛えることにした。
宅浪は素晴らしい!
宅浪は素晴らしい。なぜ素晴らしいか。この辛い浪人期間が嘘のように早く過ぎるのだ。振り返ってみても、9月から11月何をしていたのかさっぱり覚えていない。
夏模試が返ってきてからは、1日のスケジュールを30分単位でコントロールして、ロボットのように規則正しい生活をしていた。
何が楽しくて生きていたんだろう???でも結局、浪人生のメンタルが不安定になる理由なんて学業不振でしか無いのだから(というかそれ以外の理由は許されない‼️)、ひたすら勉強をしていれば、メンタルも上を向くというものである。
秋
メンタルが上を向いても、成績が上を向いてくれなければ意味が無い。夏模試から早3ヶ月。受験の天王山とも呼べる秋模試がやってきた。
と意気込んでいたのだが、ロボットになりきり過ぎて、東大オープンの申し込みをすっかり失念し、気づいた時には仙台会場が埋まっていた😨
仕方なく隣県の福島会場を抑えたが、当日思いきり体調を崩し、壊滅した(最低判定のD判定)。体調管理は大事だと認識する勉強代(模試代9500円、往復新幹線代7000円)ということになった。。。
さて、まともな体調で受けた実戦とプレはそれぞれC、B判定であった。
秋実戦の数学は異様なほど難しかった。今思うと完全に伏線だったね。
秋プレは国語が悪かったのが勿体なかったが、結局最も良い模試なので最後まで大切に抱えてた。
よく巷では、浪人生は現役生の追い上げに呑まれ受験が近づくほど成績を落とす、なんて言説が囁かれるが、これはその通りで、夏にA判を取っていた人間でも、秋になるとC判、B判といくつか判定を落としていた。私は、結局A判を拝むことは叶わなかったものの、浪人開始時の判定を維持し続けることが出来たので、ある程度耐えたかなという印象を受けた。
冬
予備校の模試の返却は遅い。↑の模試を受け取ったのは12月の半ばであった。共通テストまで残り約1ヶ月。
東大は2次の比率が80%であるが、昨年から足切りが厳格化されたことに伴い、共テを軽視する訳にもいかなくなってしまった。しかしながら逆転合格を狙うためには、足切りは怖いが2次を優先するほか無い。12月の駿台共テ模試で∑878だったこともあり、思い切って共テにかけるのは直前1週間のみと決めた。
それまではひたすら2時間半測ってセット演をする日々を過ごした。iPhoneのメモ帳には東大数学45年分の解法メモを作り、心の支えとした。少し似たこととして、予備校に居た頃はiPadでノートを取っていたが、宅浪になってからはルーズリーフで勉強した。積み重ねてきたルーズリーフの束が直前期の自信となった。
共通テスト
直前の模試で調子に乗り、共テは1週間と豪語した大馬鹿者のせいで、当日前夜まで徹夜する羽目になった。結局最後まで日本史が詰めきれられず(2年連続)、お世話になった高校の日本史の先生に心の中ですみませんと呟いた。
当日のことはあまり印象に残ってないが、高校同期と毎休み時間話せたことで大分リラックスして受けられた。1科目終わっては中庭らしき所に集まり、互いに難化を確認し合うのが精神安定剤だった。個人的には難化しつつも耐えたかな〜という感触で、自己採点は
国語162
英R 100
英L 85
数①89
数②94
物理81
化学97
日探79
情報78
∑865(東大換算871)
であり、難化も考えれば足切りには問題無い点数で一応安心した。共テ利用で早稲田に出願していたため、900↑を狙っていたが、少し届かなさそうだ。まあ良い。不合格を見るのは癪だが一般で受かればそれで良いと切り替えた。
共テの自己採も踏まえて、出願校は
前期:東大理Ⅱ
後期:一橋SDS
私立一般:慶應理工学門E、慶應経済A、早稲田創造理工経シス
私立共テ利用:早稲田政経、早稲田社学、理科大
に決まった。
勝利の方程式
共テが終わり、残すは2次試験のみだ。空虚なinputの時間も終わり、あとは1年間の成果を発揮するだけだ。模試の判定は決して芳しいものでは無いが、あれから時間も経ち、共テも耐え、東大に受かるシナリオを用意することができた。
まず、数学は得意ではあるが、難化に耐えられるほどでは無い。実際、駿台の作る実戦模試は本試に比べて難しすぎて、夏秋ともに偏差値50を割っていた。自分は、いわゆる「易問完答型」だ。すなわち、数学には易化してもらわないと困る。数学の易化はかなり期待できて、なぜなら、前年(2025年)は数学が難化したからだ。
次に、理科は化学は得意だが物理は分野によって実力に偏りがあった。このため、物理の出題テーマを確認し、何分残すか考えながら、化学→物理の順で解くことにした。基本的には90分-60分のように、化学に多く時間を割いた。
最後に、英語は苦手であったが、リスニングだけは繰り返し演習を積むことで24/30付近で安定するようになった。精緻な和訳は得意でないので、時間制限の厳しい東大英語ではあるが、なるべく空欄を作らないように時間配分を心がけた。
東大はよく低得点勝負と呼ばれる。55%(242/440)あればまず落ちることは無い。しかし、凡人に取れる問題というのはごくごく限られたものであり、いかに自分が取れる問題をミスなく取りきるかが肝要だ。気持ち的には共テに近い。寸分のミスも許されない。だからこそ得意教科が鍵を握る。基本的には、夏オープンや秋プレのように、自分の得意教科でしっかりと得点出来れば十分に勝機があると考えていた。
2次試験目標点数:国語35数学70物理30化学40英語65∑240
東京
あまり大声で言えないが、本来は現役生のみが対象の駿台実戦テストを2月頭に駿茶で受けた。憧れた駿茶に1度も行かずに浪人生活が終わるのは嫌だというだけの理由だ。
駿茶は扉がオレンジだったり青だったり、駿仙と比べると色調豊かで明るいなあと思った。これを駿茶に1年通ったFFに言うと、病院みたいな無機質さがあって嫌だと否定的に返された。なるほど私にとっては念願の駿茶だが、彼にとっては飽きるほど見た光景なのだろう。
さて、テストは二の次だったのだが、意外と上手くいった。
国語21(13/2/6)
数学86(20/20/4/20/17/5)
物理31(8/16/7)
化学16(10/6/0)
英語74(0-6/16-2/6-10-10/2-11/11)
∑228
物理を先に解くことを試したせいで化学が崩れているのと、国語の壊滅に目を瞑れば、∑250↑も狙えそうな手応えだった。特に英語は初めて時間内に解き終えることができ、成長を感じた。
浪人生は東大ばかり追いかけている訳にもいかない。現実に目をやると私大入試が目前に迫っていた。
5日で3学部受けるというタイトなスケジュールだったが、試験の出来はどれもまずまずで、試験中は昨年のことを思い出しながら、あれから随分と出来ることが増えたなあ、と思いながら受けることができた。
慶應も早稲田もキャンパスがとても綺麗で、ここでキャンパスライフを送るのも悪くない気がした。邪念でしかないので直ちに振り払ったが。
正直試験のことはあまり覚えていない。印象に残っているのは慶應の激キモチャイムと早稲田の受付の女の子がとても可愛かったことくらいか?
実質東京一人旅であるから、とても楽しかった。
2次試験
前日に東京入りした。行きの新幹線で慶應理工の合格を確認し、明日への弾みとした。昨年も受けたから下見は不要だと、浪人生の格の違いを見せつけた。
朝の目覚めは良かった。東京は雨、花粉が飛ばなくて都合が良い。昨年は雲ひとつ無い晴天であったから、天気と同じく合否もひっくり返ってくれ、なんて思いながら電車を乗り継いでいると、東大の最寄り駅、本郷三丁目に着いた。駅のホーム、改札、登る階段。昨年の記憶がフラッシュバックして、一気に身体が強ばった。それまで全く夢見心地であったが、この2日で全てが決まることをようやく理解したようだった。
悪天候の影響で電車が遅延したため、国語の開始時間が30分遅れると直前に告げられた。全く勘弁してくれ。もうここまで来たら八百万の神を味方につけようと君が代を心の中で歌ってたね。気づいたら寝てて、時計に目をやると9:58であった。始まる……
国語
私は漢字を先に解く。ヘンボウ……棒某坊防房暴帽望膨亡謀……。結局書けなかった。確か変傍とか書いたかな。大いに動揺し、漢字だけで10分も時間を使ってしまった。
現代文は精神分析とオープンダイアローグの話で、まず2単語とも知らないし、心理的なことは苦手であるため非常に読みづらかった。文章って人に伝えるために書くものじゃないの❓
古文は亡くなった愛人の一回忌?のような話だった。正直時間に追われてテキトーに読んでしまった。
漢文は白居易の漢詩で、漢詩だからただでさえ読みづらいのに、石が龍になるだのなんだの、これも全く頭に入ってこなかった。
結局漢字も1つ落とし、現代文古文漢文全てビミョーで、国語は相当手応えが悪かった。昨年47点に驕って勉強しなかったせいだ、と自分を責めたが後の祭りだ。
メンタルの弱さで落ちては勿体ない。本当は1日目が終わってから見ようと思ったが、昼休みに慶應経済の合否を見て、合格を確認した。国語の不出来を取り返そう。さあ、これで数学全完と行くぞ‼️
数学
私は最初に6問全てを見渡す。最初の15分で難化だと思った。1年勉強してきたのだ、難易の判別くらいつく。昨年と全く同じ感情に襲われた。恐怖?無力さ?脱力感?何とも言い表せないが、萎えてしまった。易化を願っていた私にとって、これこそが最も恐れていた事態であり、一気に不合格が近づいたように感じた。ただでさえここ10年で最難と言われた昨年からさらに難化することなど、誰が予想出来ようか。
パッと見で取れるのは1(1)、2(1)、6(1)くらいのものだった。頭は冷静で、既に何完出来るかの勝負ではない、如何に部分点を取るかだと切り替えていた。
3が通過領域の問題で、これは東大受験生にとって既に体系化された分野であり、このセットの最易問だと思った。(1)はパラメータを導入してやや強引に解いた(結局除外点を見落としていた)が、(2)は空間内の通過領域で、過去に類題を見たことは無かった。恐らく存在条件を整理すれば同様の手順で答えが出るのだろうとは思ったが、そこまで俯瞰的に整理できる余裕はなかった。(30分)
次に簡単に見えた4に取り掛かる。しかし焦っていたため、取るパラメータを吟味せずに突っ走ってしまい、膨大な計算量になってしまった。これでは埒が明かない。(45分)
1(1)は計算するだけであったので、一旦ここでペースを取り戻そうと思った。(1)は難なく解けたが、(2)は何から手をつけて良いのか分からない。(1)の誘導の使い方が一向に思いつかなかった。諦めるしかない。(70分)
次に確率の2に取り掛かる。出題のされ方的に漸化式を疑ったが、上手く立ちそうにない。数え上げは不可能では無さそうだが、面倒だ。一旦飛ばす。(85分)
5に取り掛かる。複素数平面はあまり得意な分野ではない。試験時間も既に折り返しを経過し、焦っていた。仕方ない。cosθ+isinθと置こう。しかし簡単なはずの三角関数の処理すらこなせなかった。これ以上立ち往生してはいられない。(95分)
6は非典型の整数で、どう考えても地雷臭しかしなかった。(1)は力技で数え上げても解けるが、素因数分解してmod3を利用すれば幾分見やすくなった。ここから(2)の発想の一端を掴んだが、とてもじゃないが日本語に起こせそうにはない。(105分)
2に戻る。もう一度見ても漸化式は立ちそうにないので数え上げを試みる。存外、不可能な処理量では無さそうだ。端点に気をつけて、n=2を代入して………合っている。何とか1完。(125分)
残りの25分はとにかく書こうと試みた。1(2)で使えそうな不等式、3(2)で逆像法?存在条件?らしきもの、4(2)でSの一般式、6(2)で1の累乗は1にしかならないが、-1の累乗は1になる場合と-1になる場合がある旨……。(150分)
終わってしまった。
解答用紙が回収された後の待機時間、すすり泣く女の人の泣き声が聞こえた。いつもなら何泣いてんねん、と思うところ、私も憔悴しきってすっかり同情してしまった。
結局、初日の体感としては国語が40は絶対無い、数学は40前後(6/20/6/2/2/6)?という感触だった。数学で唯一完答した問題は、高1でも出来そうな愚直な数え上げだった。俺の数学に充てた勉強時間を返してくれ。スマホにまとめた東大数学の解法メモは何の役にも立たなかった。
東大受験は母親に付き添ってもらっていたため、風呂場でひとり泣いた。ああ、確か去年もこうだったなと思い出した。数学6問見渡した時のあの感情は去年と全く同じはずだったのに、1年もあったのに、何も用意してなかった。楽天的に考えていた私が全て悪い。全完するぞ‼️なんて言っていたのはたった数時間前のことだ。
睡眠には影響しなかった。疲れ切っていたのが良かったのだろうか。
不思議なことに睡眠を挟むと切り替えられるものだ。まだ240点分もある。理科と英語は浪人して急激に伸びた。正真正銘、今日で全てが決まると自分を奮い立たせた。
理科
物理をパラパラとめくる。第1問は慣性力?円運動?モーメント?何だかよく分からないが難しそうだ。第2問は回転する導体棒。典型of典型。第3問はレンズ。この1年で触れた記憶が無い。仕方ないほぼ捨てよう。物理は50分もあれば分かるところは埋められそうだ。
化学から解き始める。いきなり東工大か?と見間違うような、新傾向の全て選べ系の正誤問題が出題されている。やや動揺しつつも、理論、無機の計算問題は快調で、得意分野でリードを奪えている気がした。有機は今年も単純な構造決定では無かった。内心少し残念ながらも、無難に化学を終えた。100分くらい使った。
物理は大問1がパッと見た通り難しく、状況設定が上手く掴めず、最初の2~3問を解いただけで終わった。対照的に大問2は非常に簡単で、15分程度で完答した(最後の1問だけ計算ミスしていたが)。想定外に大問3に25分余ったため、その場で写像公式を編み出しながらレンズの部分を突破したが、後半の光路差の近似が上手くできず、結局行き詰まってしまった。
化学の完答問題が正しく選べているか不安ではあったが、概ね良くもなく悪くもなく。物理は第2問の電磁気のおかげで何とか耐えた。
英語
4B→1B→2A→下読み→リスニング→2B→5→1A→4Aの順番で解くことにしていた。
4Bの和訳が異常に長い。15分予定のところ20分使ってしまった。1Bはいつもよりかなり難しく、この2つで35分使ってしまった。少し早いが、2Aをリスニング後に回して下読みに10分かけることにした。下読みに時間をかければ、A,B,Cと分かれているリスニングのうち、どれか1つは1回聞くだけで済むのではないかと考えたのだ。しかし、未だかつてそんな練習をしたことも無いので当然成功せず、リスニングは良かったが、後半の時間を大きく圧迫した。2A、2Bの英作、英訳は無難に終えたが、5も難しい。東大英語はどこかの大問が難化したら、どこかは易化するものなのだが、今年はどれも明らかに難しい。残り10分程で1Aの要約にようやく突入したが、まともに頭に入らず、テキトーに埋めた。4Aは全部dにした。
チャイムが鳴る。2度目の東大受験が終わった。納得がいかない、これで終わって欲しくないという不思議な気持ちであったが、浪人期間は苦しかったし、その終わりは喜ぶべきだろう。
3/10 12:02
東大の合否発表を待つまでのあの感情は、幼少期習っていたピアノの発表会の直前の感情に似ている。異なるのは、問題なのは、東大はあの感情が2週間弱続くということだ。試験翌日の2/27こそ、ワセリコから合格を貰ったこともあり、親に寿司を食べさせてもらったが、以降は外に出る気にもならなかった。
勉強など到底出来なかった。落ちている世界線のことなど想像がつかず、考えたくもなかった。解放感はまるでなく、毎日自己採点をしては布団に呻く、そんな日々を過ごした。ここで、自己採点などしても何も変わらない、と一刀両断するのは野暮な話である。もう全て終わってしまったのだ。自分と東大を辛うじて繋ぎ止めてくれるのは自己採点だけだ。キムタツリスニングも、過去問のセット演も、もう何の意味も無いのだ。
永遠にも思える時間はあっという間に過ぎ、来て欲しかった、来て欲しくない3/10がやってきた。風の強い日だった。家には妹がいたので、少し離れた公園のベンチでその時を迎えることとした。
一瞬の出来事だった。ギロチンの刃は瞬く間もなく振り落とされる。
どれくらいの時間が経っただろうか。頬を伝った涙が風で乾き、皮膚が張る痛みで気がついた。
3/10は東大生になる日から、一生東大生になれないことが確定した日となった。
何となく覚悟はしていた。あれほど祈っても数学は難化したし、化学の正誤問題は迷った挙句ことごとく逆をついたし、4Aは全部dで埋めたら0点だったし、あー結局持ってないのかーとぼんやり思った。
帰りの電車を待つ時、ここは日本だから当たり前なのだけど、定刻通りに来たことに世の無情さを感じた。俺の人生は大きく変わってしまったように見えているだけで、何事もシナリオ通りなのだ。運命は、これ程までに揺るがぬものなのかと。
その夜夢を見た。あの時干されずに、諦めずに、プロゲーマーを続けた先の世界線のようだった。こんな思いをして、結局何も残らなかった。周りの言うことはいつも間違っている………違う、間違っているのは自分自身だと呟いて目が覚めた。
consolation
何の拷問なのか知らないが、不合格から一夜明けて、後期日程の一橋大学に向けて新幹線に乗り込んだ。当然行く気にもならないのだが、親に背中を蹴飛ばされたので仕方がない。
中1日で切り替えられる訳無いだろとか、一橋は文系だから徴兵されるとか、ワセリコも一橋も変わらんとか、非東つばし(非東とは東大生で無いということ)とか、そんなことを呪詛のように吐き散らしていると、一橋大学のある国立市についた。やや静かな街だったのが辛うじての救いだった。
一橋のキャンパス内には噴水があり、その周りに未就学児がキャッキャして遊んでいた。未来のある子供と、未来のない1浪東大落ちが完全に対比されているなーなんて思って虚しくなった。
また、一橋のキャンパス内には松が多く生えている。これも癪で、ヒビ割れた樹皮、折れ曲がった幹、トゲトゲの葉、なんだか全部自分のことを暗示しているかのようで気に入らなかった。キャンパスに生えている木はイチョウが良い。
試験会場は地獄の雰囲気だった。何せ皆敗者だ。
隣の席の女が試験中ずっと突っ伏してすすり泣いていたので、腹が立ち、なら来るなよ、と思ったが、気持ちは痛いほど分かるので、試験官に突き出すことはしないでやった。
英語は和訳がとても簡単だが、記号問題は普通に難しく、よく分からなかった。英作文は写真を見て、それを説明するみたいな目新しいものだったが、時間制限が緩いので吟味しながら書くことが出来た。
数学はそこまで難しくないのだろうが、2週間のブランクも相まって、部分積分するだけの計算問題に30分溶かしたり、∑で足すところをΠに空目したのか掛け合わせたりして最後の最後で完答を逃したり、正直全く良いパフォーマンスは出来ず、5問中3完2半だった(SDSは4完すればアドだと言われている)。
一橋の入試が終わって初めて肩の荷がおりた。超かぐや姫を2周したり、WBCを見たり、ヒトカラしたり、友人と浪人お疲れ様会したり。東大生の自分にのみ価値があると思っていたが、手放しで遊んでくれる友人の存在に大いに慰められた。感謝。
3/19はセンバツの開会日であると同時に、後期一橋の合格発表日だ。
高校野球でも見ながらサラっと見ようと思っていたが、どうでも良いと思っていた合否でも、いざ合否発表となると合格を願わずにはいられず、当日はソワソワしていた。
14:00になった。サイトをリログする。
自分の受験番号があった。
全く実感が湧かなかったが、父親があまりに喜ぶものだから嬉しかった。自分の努力がほんの少しだけ報われた気がした。
そこからは進学先をどうするかについて悩んだ。
私の興味は専ら理系であるし、就活実績、院進を含めた選択肢の多さ、似通った境遇の人間の数、立地など、ワセリコにも多くの魅力があった。だが結局、後期で拾ってもらった一橋に縁を感じ、一橋に進学することを選択した。正直に言えば、学費、大学名、体裁など、進学先を選択する中で邪な考えが邪魔したことは否定できない。しかしながら、思うに、私は勉強にアイデンティティを求めすぎた。もう十分頑張った。一橋は文系の大学であるし、多少は楽ができるだろう。勉強以外に打ち込むものを見つけよう。
受験結果まとめ
前期:東大理Ⅱ❌
後期:一橋SDS⭕️
私立一般:慶應理工学門E⭕️、慶應経済A⭕️、早稲田創造理工経シス⭕️
私立共テ利用:早稲田政経❌、早稲田社学❌、理科大⭕️
off road
道を外れてまで望んだにも関わらず、結果を出せなかったこの1年は失敗だ。
冒頭話した通り、私にとっては東大合格こそが自分自身の存在証明だ。そう信じて1年走ってきた。「大学に行こう!」とカンタンに切り替えることは出来ない。一橋大学の自分を受け入れるにはもう少し時間がかかるだろう。
「憧れるのをやめましょう」と大谷が言ったそうだ。憧れては越えられないらしい。もしかしたら、夢を追える幸せは、夢が破れてからでないと気付けないのかもしれない。きっと落ちたからこそ気づける感情がある。
そう考えれば、この1年は確かに価値ある1年だった。東大を目指したあの日のあの感情が憧れでしかないことを認識するために。次に同じ感情を抱いた時にその感情を捨て去って超えるために。進む道を正解に出来るように。
アスハルトの道は安全だから誰だって歩きます。危険がないから誰だって歩きます。でもうしろを振りかえって見れば、その安全な道には自分の足あとなんか一つだって残っていやしない。海の砂浜は歩きにくい。歩きにくいけれどもうしろを振りかえれば、自分の足跡が一つ一つ残っている。
私は敗者だ。全て手に入れることは叶わない。それでも、歩んできた道に残る足跡は自分の存在を証明する。
振りかえると、国立駅から一橋大学へ続く桜並木は5輪、7輪と花をつけていた。


こんな文を書けるようになりたい。 すごいものを読ませてもらった。
私は高校受験で挫折して、大学受験はしてないし(内部進学)、生まれも育ちも東京で地方の学生の気持ちを理解することもできないから、大学受験特有のこととか地方要因とかは考慮できないけれど、自分の存在価値を証明する方法は東大合格以外にも沢山あるはずってことだけは伝えたいです。個人的に受験…
コメントのせいで気負いさせてしまうのは気が引けるが、 凄いものを読んでしまった、と感じた。慄く程の名文でした