2人のレバノン女性は、電話で家族をなだめるよう指示された。銃口を突きつけられ「元気に暮らしているから心配しないで」と震える声で親に語った。だが、そんな電話1本で家族たちの不信が解けるはずはなかった。
レバノン政府だけでなく北朝鮮と親密な極左組織も被害者奪還に
2カ月後、レバノンの現地紙が「日本の有名企業の秘書に採用された4人の女性が消息を絶った」と報じ、騒ぎは一気に大きくなった。
そこで79年8月、前回と同じ2人の女性がベオグラードに送られた。だが、この“電話作戦”こそが北朝鮮の致命的なミスとなる。
家族への電話を終えた後、2人は決死の脱出を試みる。同行の監視役のすきを突いてホテルを抜け出し、通りかかったタクシーに無一文のまま飛び乗った。極度の恐怖と緊張のあまり、1人はタクシーの中で失禁したという。彼女たちはレバノン大使館に保護され、4人の失踪事件は北朝鮮による拉致と判明したのである。
レバノン政府は北朝鮮に強く抗議した。特筆すべきは、政府だけでなく、北朝鮮と友好関係にあったPFLP(パレスチナ解放人民戦線)やレバノン共産党などの極左組織も身柄奪還に乗り出したことだ。
なかでも熱心だったのがPFLPだった。創設メンバーで政治局員のタイシール・クバア(Tayseer Quba’a)が北朝鮮に乗り込み、指導部との直談判で強硬に迫った。
「女性を返さなければ、我々との友党関係は破壊されるだろう」
その結果、脱出劇からわずか3カ月後の79年11月、北朝鮮は残る2人の身柄をレバノンに引き渡したのである。