ミニマリストとマキシマリストは同じである説
「ミニマリスト(最小限主義)とマキシマリスト(最大限主義)は同じである」という説について語りたい。
ミニマリストという言葉はよく耳にすると思うが、マキシマリストという言葉はあまり耳馴染みがない方も多いかもしれない。
簡単に説明すると、ミニマリストの逆のことである。
ミニマリストができるだけ物を持たないことに美しさを感じるのとは逆で、自分が愛する物に囲まれることで幸せを感じる人達のことだ。
ただ、ここで言っておかなくてはならないことは、マキシマリストは汚部屋の住人とはまったく違う人種であるという点である。
ただ片付けが苦手で、物を捨てられない人のことをマキシマリストとは呼ばない。
物を少なくするのではなく、自分が好きだと思う物に「囲まれている」ことが好きな人たちなのだ。つまりコレクター気質が強い人である。
ちなみにぼく自身は「ミニマリストというほどではないけど、できるだけ最小限で暮らしたいと思っている派」 という、ちょっと中途半端な立ち位置である。
▶ なにが同じなのか?
「ミニマリストとマキシマリストは根本として同じである」今日は、この説について話したいのだけど、なぜそんなことを思ったのかといえば。
わが家では、ぼくが「ちょいミニマリスト」で妻が「ちょいマキシマリスト」なのだ。
つまり空間に対する価値観が全然違う。
ぼくが心地よい空間は、妻には物足りなく。
妻が心地よい空間は、ぼくにはうるさすぎる。
だが、一緒に暮らしている以上、どうにかして共存していかなくてはならない。
これは、合理性や効率性の話ではなく「美的感覚」の話になるので、じつはとても共存が難しい話でもあると思っている。
物に対する価値観には、それぞれに言い分がある。
その言い分を、合理性や効率性で整理しようとしてもこれは絶対に無理な話なのだ。
なぜなら所詮合理性や効率性などと言うものは、その人個人の目指すゴールからの逆算でしかないからだ。
ここですれ違うと「わかってない」「理解できない」「非効率的だ」などと、相手の価値観に対して不寛容になってしまう。
だが、これは合理性の問題ではなく「美的感覚の違い」なのだと理解すれば、話は変わってくる。
クラシックが好きな人もいれば、ロックが好きな人もいる。
その2人は、どちらが「正しいか」などという対立はしない。
なぜなら、そこにあるのは「正しさ(合理性や効率性は得てして正しさに起因する)」ではなく「美的感覚の違い」でしかないからだ。
▶ ミニマリストは「余白を最大化したい人種」
ある日、棚の上にどんどん妻や娘の人形やおもちゃなどが置かれるのを見て、ぼくは感じた。
「余白がどんどん捨てられていく」
と。
この痛みはきっと「好きな物をゴミ同然に扱われ捨てられる気持ち」と同じである。
ぼくにとって重要な「余白」「空間」は、それそのものが「大切な物」なのである。
それは、そこに何かを置くことでどんどん奪われていく。
適切な余白がない空間が、ぼくは息苦しいのだ。
それはマキシマリストが「自分の好きな物で埋め尽くされていない空間をもったいないと感じる」のと同じ感覚だろう。
僕は、フィギュアやアクスタやキャラクターを収集しているのではない。「余白」を収集しているのだ。
だから、適当に空間が空いていればいいということではない。
やはり、自分好みの余白があるし、空間の使い方がある。
だが、目に見えないそれは(目に見えないことにこそ価値があるのだが)、悪気もなく、無造作に捨てられていく。
物が積み上がっていくことのつらさや苦しさを、ようやくぼくは言葉にすることができた気がする。
もう一度言う「好きな物をゴミ同然に扱われて捨てられるのと同じ気持ち」なのだ。
これと同じような感覚をもう一つ思いついた。
それは「自分のための空き時間に、勝手に予定を入れられたときの不快感」とも近い感覚。
「さあ、この週末は休みだぞ!」と思っていたら「休みだから暇でしょ? 飲み会の予定入れといたよ。みんなで過ごしたほうが有意義な時間過ごせるじゃん。いい時間過ごさないとせっかくの休みがもったいないよ」と予定を入れられたら、どうだろう?
ぼくならムカつく。
何の予定もない時間というのは、「何の予定もないこと」に価値があるのだ。
その価値は「やりたいことをやる」のと同じだけの価値だ。
▶ ミニマリストもマキシマリストも同じである
つまり。
ミニマリストもマキシマリストも根本では同じ価値観を共有している。
「自分の大切にしているモノで囲まれて暮らしたい」のである。
違うのは、その大切にしたいモノが「余白」なのか「物」なのかというだけである。
そして、これは合理性や効率性などという問題ではなく「美的感覚」の違いなのだ。
たしかに、限られた空間で共存することは難しいだろう。
どちらにとってもベストな状態を実現させるのは、至難の業である。
だがしかし、お互いが大切にしたいモノに対し、お互いがリスペクトを持って生活することはできるはずである。
だから、「余白」が自分にとって大切なモノであるということを、しっかりと伝えていくのだ。
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