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なぜ左派男性は「わからせ」の回路に乗りやすいのか――「トランスヘイターを黙らせる」ことへの欲望構造

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現代の性をめぐる対立のなかで、ある特徴的な場面が繰り返し観察される。女性の安全、性被害、公共空間の設計、スポーツや女性枠の扱い、統計や防犯のような論点が提出されるとき、そこにただちに「トランス差別」あるいは「ヘイト」というラベルが接続される。そしてその瞬間から、もともとの論点であったはずの女性の具体的負担や制度設計の複雑さは急速に後景化し、代わって「差別を許すか」「差別者を黙らせるべきか」という道徳的・懲罰的な構図が前景化する。ここでしばしば目立つのが、左派男性の強い関与である。

この関与は、単に一般的な反差別意識の表れとして片づけるには、あまりにも定型的であり、またあまりにも快楽的であるように見える。彼らはしばしば、女性の被害や制度上の摩擦についての複雑な議論を丁寧に解こうとするよりも、「差別者を叩く側」に素早く位置取りし、制裁、訴訟、排除、黙殺、社会的信用の剥奪といった手段に積極的な魅力を見いだす。そこで得られているのは、単なる政治的正しさの実践だけではない。もっと別の情動的・欲望的な報酬が作動しているように見えるのである。

本稿が問うのは、この点である。なぜ左派男性は、この回路にこれほど乗りやすいのか。なぜ女性の安全や制度摩擦の問題が提出された場面で、彼らはしばしば女性の具体的現実を引き受ける方向ではなく、「トランスヘイターを黙らせる」方向へと欲望を組み替えるのか。なぜそこには、ある種の高揚、正義感、道徳的優位、共同体的承認が付着しているのか。

ここであらかじめ断っておくべきなのは、本稿は左派男性一般を本質化するものではないということである。ここで扱うのは、特定の政治的・情動的配置のもとで生じやすい傾向であり、個人の善悪や人格の断罪ではない。問題なのは、誰が悪いかではなく、どのような欲望の回路が作動しているのかである。そしてさらに重要なのは、この回路が表向きには反差別でありながら、結果として女性の具体的負担を消去し、女性を再び男性同士の道徳的序列化の媒介へと変えてしまうことである。

本稿の基本的な主張はこうである。左派男性が「トランスヘイターを黙らせる」回路に乗りやすいのは、そこに反差別の理念だけでなく、自らを「正しい男性」として演出し、女性の身体的・制度的問題を引き受けるコストを回避し、他の男性を処罰することで無垢と優位を獲得し、複雑な制度問題を単純な道徳的勝敗へ圧縮する欲望構造があるからである。この構造は、表面的には反差別でありながら、結果として女性の現実を後景化し、転位したミソジニーとホモソーシャルを再生産する。

1 「正しい男性」でありたいという欲望

1-1 歴史認識と自己防衛

左派男性は、多くの場合、男性が歴史的に加害や支配の側に置かれてきたことを知っている。家父長制、性暴力、女性差別、労働や再生産の不均衡、家庭内の支配、政治や文化における男性中心性。こうした事実は、左派的な教育や言説の中で強く共有されている。そのため左派男性は、自分が「男性である」という事実に対して、ある種の後ろめたさと警戒心を持ちやすい。

しかしこの後ろめたさは、そのまま女性の問題を具体的に引き受けることには直結しない。むしろ多くの場合、それは「自分は悪い側に属していない」と証明したい欲望へと変化する。つまり彼にとって重要になるのは、女性の現実をどう変えるかということよりも、自分がミソジニストではないこと、差別主義者ではないこと、抑圧者ではないことを、いかに明確に示すかである。

ここで問題なのは、その証明の仕方である。本当に難しいのは、女性の身体的負担、暴力リスク、再生産負担、性的非対称性、女性間の利害衝突、制度設計上の摩擦を、具体的かつ持続的に引き受けて考えることである。これは高コストであり、不快でもあり、ときには自分自身をも問題の一部として位置づけなければならない。そこでは単純な自己正当化は許されない。だからこそ、より低コストで、より即時的に自らの無垢を示せる回路が魅力を持つことになる。

1-2 「差別者を叩く」ことの低コスト性

その低コストな回路が、「差別者を叩く側に立つ」ことである。ある発言や問題提起に「トランス差別」「ヘイト」というラベルが接続された瞬間、左派男性は複雑な制度問題に立ち入らなくても、自分を正しい側へと位置づけることができる。彼は女性の身体的現実を具体的に引き受けなくてもよい。防犯、統計、空間設計、保護の非対称性といった難しい問題を処理しなくてもよい。ただ「差別は許さない」と言えば、自分の道徳的位置は短時間で確保される。

ここで作動しているのは、単なる理念ではない。理念が欲望と結びつき、自己演出の装置になっているのである。左派男性は、自分が「正しい男性」であることを、女性と共に長い時間をかけて実践するよりも、差別者を糾弾することで即座に演出できる。そしてこの演出は、観衆の前で可視化されるほど強い承認をもたらす。

このとき彼が得ているのは、正義感だけではない。無垢であること、歴史的加害から距離を取れていること、抑圧者ではなく抑圧に抗う主体であること、そしてその位置に共同体から承認されることである。つまりこれは、「正しい男性」でありたいという欲望が、最も効率よく満たされる回路として機能している。

2 女性の問題を、女性抜きで処理したいという欲望

2-1 女性の現実は男性にとって居心地が悪い

女性の安全や性被害の問題を本気で扱うとはどういうことか。それは、女性の怒りを引き受け、女性間の利害衝突に向き合い、身体差や保護の非対称性、現実に偏在する暴力リスクや損耗について考えるということである。しかし、これは多くの男性にとって非常に居心地が悪い。なぜならそこでは、男性一般が問題の外部に立つことはできず、彼自身もまた「この構造の一部」として見られうるからである。

この不快さは重要である。左派男性は理念として女性差別に反対していても、女性の現実に深く触れることによって、自らが責任の問いから完全には逃れられないことを感じ取る。すると、そこから別の回路へと逃げたくなる。つまり、女性の具体的問題に付き合うよりも、より道徳的に明快で、自分が中心に立ちやすい論点に移行したくなるのである。

そこで作動するのが、女性の問題をトランス差別の問題へ置き換え、さらにそれを差別者制裁の問題へ圧縮する回路である。この回路に入ると、左派男性はもはや女性の現実に付き合わなくてもよい。彼は女性の具体的怒りや身体の問題を受け止める代わりに、「差別に反対する主体」として再び中心に立つことができる。

2-2 置換による逃走

ここで起きているのは、論点の単なる移動ではない。女性の問題そのものが、別の問題へと置換されているのである。もともとは、女性の安全、身体的負担、不同意、制度摩擦の問題があったはずなのに、それは「差別的かどうか」という問いへと変換される。すると、女性の具体的経験は背後へ退き、前景に出るのは発話の道徳的評価になる。

この置換によって、左派男性は奇妙な利益を得る。彼は女性の問題を扱っているように見えながら、実際には女性の問題から逃れることができる。なぜなら、彼が中心的に扱っているのは、女性の身体的現実ではなく、「差別をどう裁くか」という別の問題だからである。そこでは、彼は問題の一部ではなく、判断する主体として振る舞うことができる。

したがって、この回路は女性のために働いているように見えながら、同時に女性を消去する。女性の現実は、男性が自らの正しさを演出するための背景へと退く。そして、その女性抜きの処理が「進歩的」であるかのように提示される。この構造こそが、本稿でいう左派男性の欲望の第二の層である。

3 他の男性を処罰することで、自分を浄化したいという欲望

3-1 転位したホモソーシャル

この回路には強いホモソーシャルな構造がある。ただしそれは、古典的な意味での男同士の連帯としてではなく、男同士の道徳的序列化として現れる。左派男性は、右派男性、保守男性、あるいは「差別者」と名指された男性を攻撃することで、「自分はあいつらとは違う」と示す。そのとき重要なのは、女性を守ることそのものよりも、男性同士の差異化である。

この差異化は、非常に快楽的である。なぜなら、彼は他の男性を罰することで、自分自身の男性性を洗浄できるからである。ある男性を差別者として処罰し、その者を下位へ押しやることで、自分は上位の道徳的位置に立つことができる。ここでは、加害の歴史を引き受けることではなく、加害者の座を他の男性に押しつけることによって自分を浄化する、という構造が作動している。

このとき女性は、守られる主体というより、男性同士の序列化を媒介する記号になりやすい。つまり、女性をめぐる問題は、女性のために解決されるのではなく、男性が自分の道徳的優位を獲得するための舞台として使われるのである。これが転位したホモソーシャルである。

3-2 無垢の演出

ここで左派男性が得るものは、単なる優位ではない。無垢である。彼は「悪い男」を攻撃することによって、自分がその悪から切り離されていることを示す。しかも、この無垢は観衆によって承認される。彼は、差別と戦う男、女性を守る男、弱者の側に立つ男として認知される。

しかしこの無垢は、現実を引き受けた結果として得られるものではない。むしろ、複雑な現実から目をそらし、特定の男性を処罰することで、短絡的に獲得されるものである。そこでは、女性の身体的負担や利害の不一致を引き受ける必要はない。他の男性を罰し、その差異を可視化することで足りる。

この意味で、左派男性の無垢は、他の男性の有罪によって支えられている。そしてその構造は、女性の現実を出発点としているようでいて、最終的には男性同士の道徳的序列化へと回帰する。そこにあるのは、女性のための政治ではなく、男性の自己浄化の政治である。

4 複雑な制度問題を道徳に圧縮したいという欲望

4-1 制度問題の高コスト性

本来、ここで問題になっているのは、非常に複雑な制度問題である。スポーツ、女性スペース、統計、防犯、被害の非対称性、保護の配分、制度設計、運用上の一貫性。これらはいずれも、単なる善悪では処理できない。複数の利害、複数のリスク、複数の権利の衝突を含んでおり、簡単な正解はない。

しかし、この複雑性を引き受けることは、思考コストが高いだけでなく、政治的リスクも高い。どの立場を取っても誰かを不快にさせる可能性があり、また明確な道徳的優位に立つことも難しい。そのため、制度問題を制度問題として扱うことは、多くの人にとって負担になる。左派男性にとっても、それは同じである。

そこで問題は圧縮される。複雑な制度問題は、「差別かどうか」という一つの道徳的問いへと変換される。差別なら反対し、差別者なら黙らせるべきだ、という形式にしてしまえば、複雑な論点は単純な勝敗の問題へと置き換えられる。思考コストは大きく下がり、しかも自分は正義の側に立てる。

4-2 道徳化の快適さ

制度問題の道徳化は、左派男性にとってきわめて快適である。なぜなら、そこでは制度的知識や現実の調整能力よりも、正しい姿勢を示すことの方が重要になるからである。彼は複雑な制度設計の担い手である必要はない。道徳的に正しい位置を取るだけでよい。

この快適さは、政治的信念だけでは説明できない。そこには、複雑さを処理したくないという欲望がある。曖昧さを保持したくない、利害の衝突に耐えたくない、自分が問題の一部になる可能性を見たくない。そのため、問題を「差別か否か」という単純な形式に圧縮したくなるのである。

このとき起きているのは、制度問題の道徳化である。制度の問題は、本来、調整、例外、分岐、保留を必要とする。しかし道徳化はそれを許さない。差別なら反対、差別者なら制裁、という短い回路へと短絡する。この短絡こそが、後に「わからせ」の快楽へとつながっていく。

5 「わからせ」の快楽

5-1 承認・優位・共同体帰属

この回路が最終的に左派男性に与えるのは、快楽である。自分は正しい、相手は悪い、相手を黙らせる、観衆が拍手する。この一連の流れは、即時的な承認と優位の可視化を同時に与える。彼はそこで、正義、無垢、優位、共同体帰属を一度に獲得できる。

この快楽の重要な点は、それが低コストであることである。現実の女性の被害や負担を長期的に引き受ける必要はない。複雑な制度設計を学ぶ必要もない。差別者を名指しし、それを制裁する側に立つことで、必要な報酬はほぼ即時的に得られる。ここに「わからせ」のエコノミーの本質がある。

つまり左派男性がこの回路に乗るのは、単に政治的信念のためだけではない。それが快いからである。しかもその快楽は、自己正当化と共同体的承認を同時に与えるため、非常に強い。そこでは政治は欲望から切り離されておらず、むしろ欲望の満足形式として機能している。

5-2 なぜ抜け出しにくいのか

この快楽が強いのは、それが単独の報酬ではなく、複数の報酬を束ねているからである。彼は自分を正しいと感じられる。無垢であると感じられる。他の男性より上に立てる。共同体に受け入れられる。拍手される。そして相手を沈黙させることで、自分の勝利を確認できる。これだけの報酬が一つの回路に集約されている以上、そこから離れることは難しい。

しかも、この快楽はしばしば「正義感」として経験される。そのため本人にとっては、欲望に駆動されているという感覚が薄い。彼は自分が快楽を得ているというより、道徳を実践していると思いやすい。だが、まさにそのことがこの回路を強固にする。欲望が理念の顔をしているため、自己批判が起こりにくいのである。

ここで「わからせ」は単なる攻撃性ではなく、承認・無垢・優位・共同体帰属の束として機能している。だからこそ、左派男性はこの回路に乗りやすく、またそこから離れにくい。

6 ミソジニーとの接続

6-1 露骨な嫌悪ではなく、置換としてのミソジニー

この構造は、表向きには反差別である。差別に反対し、弱者の側に立ち、暴力に反対するという形式を取る。したがって一見すると、そこには女性嫌悪は存在しないように見える。しかし結果として起きていることを見るならば、そこにははっきりとミソジニー的な作用がある。

そのミソジニーは、露骨な女性嫌悪の形では現れない。そうではなく、女性の現実を別問題に置き換えることによって現れる。女性の身体的負担、暴力リスク、不同意、制度摩擦といった具体的な問題が、差別者を裁く問題へとすり替えられるとき、女性の現実そのものが消去される。つまり、女性を憎むのではなく、女性を別の舞台装置に変えてしまうのである。

この意味で、ここでのミソジニーは置換として働く。女性は否定されない。むしろ守られると宣言される。しかし実際には、その女性の現実は後景へ退き、男性の正義の演出の背景へと変えられる。これこそが、表面的には反差別でありながら、結果として女性を消去する構造である。

6-2 女性の語りの代理化

この構造のもう一つの特徴は、女性の語りが代理されることである。女性自身が制度摩擦や身体的危険について語ろうとするとき、その語りはしばしば「差別的」「排除的」として再解釈される。すると、女性は自分の現実を自分の言葉で語ることが難しくなる。代わって、その語りをどのように道徳的に位置づけるかが前面に出る。

このとき左派男性は、女性を支援する主体として振る舞いながら、実際には女性の発話条件そのものを狭めていることがある。なぜなら、女性の語りがそのまま制度問題として扱われず、差別をめぐる道徳的審判の対象へと変換されるからである。結果として女性は、自分の被害や不安や不同意を、直接には語れなくなる。

したがってこの構造は、女性を守るように見えながら、実際には女性の語りを代理し、再配置し、場合によっては抑圧する。そこにあるのは、女性のための政治ではなく、女性を媒介にした男性の政治である。

7 圧縮の理論として見る

7-1 曖昧さの消去

本来、女性の安全や制度設計の問題には、曖昧さ、文脈、利害衝突、調整がある。そこでは誰か一人の正しさが自動的に決まるわけではなく、複数の現実が衝突し、分岐し、場合によっては両立しえないまま残る。しかし左派男性のこの欲望構造は、その曖昧さを保持しない。

女性の問題は、「差別ラベル」へと圧縮される。差別ラベルは、制度摩擦や身体負担や利害衝突の具体性を一挙に消し去り、「差別か、差別でないか」という単純な形式に置き換える。その結果、現実の複雑さは見えなくなる。

この意味で、曖昧さの消去は同時に女性の問題の消去でもある。問題を単純化すればするほど、女性の具体的現実は失われる。残るのは、誰を罰するかという問いだけである。

7-2 圧縮から制裁へ

この圧縮は、必然的に制裁へと向かう。なぜなら、差別ラベルは行為や制度の複雑さを削除し、対象を道徳的に単純化するからである。複雑な制度問題が「差別者を黙らせるべきか」という問いへ縮約されるとき、制裁は最も低コストな解として現れる。

ここで起きているのは、女性の問題の解決ではない。女性の問題の処理可能性が、別の形式に変換されているのである。すなわち、女性の安全や制度摩擦の問題は、「差別者制裁」の問題として再符号化される。この再符号化こそが、左派男性の欲望を満たしつつ、女性の現実を後景化する。

したがって、この構造を理解するには、善悪の議論だけでは足りない。むしろ、どのような圧縮が行われ、何が消去され、その消去の結果として誰が利益を得ているのかを見る必要がある。

8 結論

左派男性が「トランスヘイターを黙らせる」回路に乗りやすいのは、そこに反差別の理念だけでなく、自分を正しい男性として演出し、女性の具体的身体問題を扱うコストを回避し、他の男性を処罰することで自らの無垢と優位を獲得し、複雑な制度問題を単純な道徳的勝敗へ圧縮する欲望構造があるからである。ここでは、政治的信念と情動的快楽が分離していない。むしろ、正義・無垢・優位・共同体帰属を一度に得られる欲望の回路として、この構造は機能している。

その結果として起きるのは、女性の安全や負担の問題の後景化である。女性は保護される主体として語られながら、実際には男性同士の道徳的序列化の媒介へと変えられる。女性の語りは代理され、身体的現実は差別ラベルへと圧縮され、制度問題は制裁の問題へと置き換えられる。ここにあるのは、露骨な女性嫌悪ではない。しかしまさにそのことによって、より見えにくい形のミソジニーが再生産される。

したがって、ここで問うべきなのは、誰が進歩的かということではない。どのような欲望構造が作動し、何を消去し、誰を中心に立たせているのかを見なければならない。そうでない限り、反差別の名のもとで女性の現実を置換し続ける回路は、今後も繰り返し再生産されるだろう。

一行で言えばこうなる。

左派男性がこの回路に乗るのは、女性の現実を引き受けるより、差別者を罰することで正義・無垢・優位を一度に得られるからである。

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