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信教の自由

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上祐「オウムには信教の自由があります」

坂本「人を不幸にする自由はありません」

(1989年10月31日 横浜法律事務所にて)

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滝本2007/5/2
「上祐さんへ-返答その3(2)」  カルト問題・犯罪被害

滝本質問6−ご自身は、宗教団体を率いる「宗教的な能力」は具備したか、どのように判断し、されたのか。上祐さんは、答えず。で、

滝本−では、逆な聞き方で、具体的に聞きます。

滝本質問6の2−ご自身にはご自身として考える「宗教的な能力」はないのですね。自然現象がご自身の影響で変わるとかのこともないのですね。


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上祐今回→まず、こういったご質問が既に二度三度繰り返されておりますが、ご質問の性質が、人それぞれにおいて見解が行なる類のものであって、すなわち、個々人の思想信条の自由、信教の自由の範疇のことではないかと考えます。

 よって、基本的なお答えとしては、自分が宗教団体を行うのは、信教の自由や団体結社の自由に基づくものであり、この世の中において、「宗教団体を率いる宗教的な能力」に関して、万人が認める確かな基準はない、と思います。

 もしそれがあるとすると、それによって、宗教団体の是非を判断することになり、それは、私たちの団体以外の宗教団体の是非を判断することにもなりますが、そのようなことをせずに、個々の自由を認めることが、日本国の憲法の精神だと思います。

 また、新団体の考え方としても、かつて、松本智津夫と旧教団が、自分は日本で唯一の最終解脱者であるから、宗教団体を率いる宗教的な能力があると位置づける一方で、日本の他の宗教家・宗教は、真の真理ではない、として、創価学会や幸福の科学を攻撃したことは間違っていた、と考えていることもあります。

 なお、以上を前提にして、ご質問にある程度お答えしますと、おしゃっている宗教的な能力とは、いわゆる超能力や霊的能力のことをおしゃっているとすれば、ヨーガの修行の結果として、自分にも、一定の能力はある、と思います。

 しかし、第六感というように、それは誰にでも程度の差こそあれ、内在しているものであって、世の中には、そういう人は多くいますし、どこまでが宗教的な能力で、どこからは、宗教的な能力ではない、というような基準はない、と思います。

 また、自分の体験では、縁のある人同士の間では、相手のことがよく分かる、と言ったように、超能力、霊的能力とは、ある個人に独立して備わっているものではなく、ある人とある人の間に存在している、という面があると思います。

 その意味では、旧団体の信者は、教祖との縁があり、教祖の霊的能力を体験しやすかったが、信者にならなかった人は、そういった体験をしなかった、ということではなかったか、と考えております。

 ここまでのことをまとめますと、今現在の私の霊的な能力・超能力に関する見解は、

1ある特定の人間が、絶対の霊的な能力、超能力を持っていることはなく、具体的には、その能力の内容も制限があるし、同時に、その能力が生じる状況・条件には制限があり、全ての人が、その能力を体験するものではない。

2オウム真理教の信者の間違いは、自分の経験した教祖の霊的能力が、全知全能でもなく、また、自分以外の全ての人が体験するようなものでもなかったにもかかわらず、それを絶対化して、教祖を神の化身と位置づけたことである。

3逆に言えば、人によって、程度の差こそあれ、霊的な能力・超能力は、全ての人に存在する、自然な力である、

 というものです。

 なお、他の宗派にも、霊能力を重視すると、間違いを犯すので、それを意図して否定するものがある、と思います。

 なお、先ほど申し上げましたとおり、このご質問は、私が宗教団体を率いる資格がない、という点を指摘されることによって、新団体を解散すべきであるという意図を実現されたい、ということだ、と推察しております。

 一方、私としては、繰り返し申し上げております通り、憲法上の思想・信条の自由、信教の自由、団体・結社の自由などに基づいて、自分などの団体の指導者が唱える団体の思想や、団体の修行に、自分なりの価値を見いだした個人が、団体に参加する、と言うだけでいい、と考えております。

(滝本太郎弁護士ブログ2007年6月26日より)