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独り立ち


息子として転生し、弟子として転生してきているということは、当然私も何れ彼を離さなければならない時期が来る。離さなければならないとは、独り立ちし、そして多くの衆生のリーダーとし、その世界の救済をしなければならないということである。

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1993年1月3日 麻原彰晃尊師
マイトレーヤ正大師こと上祐史浩・大乗のヨーガ成就式典より
(23:00~) 第五サティアン
 
〈オウム三唱〉
 
小乗に比べ、大乗という道は大変複雑である。したがって、一言で「大乗」という言葉を吐いたとき、それぞれのステージに応じてその意味合いが変わってくる。
 
例えばわたしの場合、「大乗」という言葉を聞いたとき何を連想するかというと、魚の排卵、つまり多くの卵を産み落としながらその中でごく少数のものが魚となり、他のものは他の生命体に食べられるという現象をわたしは思い出す。これはどういうことかというと、一生懸命修行によって培ったエネルギーを、例えば信徒あるいはサマナに放出したとして、その中で本当に真理の道を歩くことのできる、つまり卵から魚へとかえることのできる魂は非常にわずかであるということである。このような考え方に立つと、もともとその魚はカルマとして卵からかえる運命にあったんだ、ということができる。この「運命」という言葉を言い換えるならば、前生における功徳がそこに備わっていたんだということができるわけである。
 
ところで、これらの卵についても、例えば多くの卵を食べる他の魚や他の生命体を放置した場合どうなるかというと、当然卵からかえる魚の量は非常に少なくなる。これが現代的な思想、宗教、あるいは情報といったようなものと、人間との関係である。つまり、それらの観念や思想や宗教や情報に打ち勝ちながら、しっかりと高い世界へ帰ることのできる魂というものはいかに少ないかということを、痛切にわたしは近ごろ考え、感じている。
 
そして、そのただ一つの道がイニシエーションである。このイニシエーションは、形のあるイニシエーションと、形のないイニシエーションが存在する。例えば、今回マイトレーヤが行なったシャクティー・パット、グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションは形のあるイニシエーションである。これは、明らかに一定量のエネルギーを放出し、その信徒のカルマによって確実に“種子”が備わる。しかしその“種子”は、先程も述べた卵の、魚のようなものであり、その産み落とされた卵、つまりエンパワーメントを受けた信徒の中の一体どれくらいが高い世界へ至る、つまり魚になるか、なるのかというのは、非常に難しいという問題ということなる。しかし、そういうことを無視してただエネルギーを与え続ける、これが大乗の順の道ということになる。
 
「順」とは何かというと順逆の順、つまり最もノーマルな大乗の道ということになる。しかしこの順の道も、与える種子とそれから外的情報とのぶつかり合いにより、もし外的情報が、与えるエネルギーより強ければ、全く効果を奏さなくなる。これはちょうど、産み落とした卵の総数より食べる魚の方が多い、食べる生命体の方が多い場合、いくら卵を一生懸命産んだとしてもその卵はすべて食べられてしまい、結局はその産み落としている魚の後継者、つまり真理を実践する魂はいなくなるということを表わしている。
 
わたしは意図的に、この十月の終わりから、君たちに説法することをやめた。それは、ワークが忙しいということもあるが、多くのサマナを一同に会し、そして説法する空間が存在しないということが一つの理由であった。しかしその深い意識の中には、もう一つ別の考え方があったことはいうまでもない。それは、直接説法しないで今提供されているテープ・本等の教えによって、どれほど君たちが教化されるのかという、わたしにとっての一つの試行実験であったということができる。その結果、君たちの意識はどんどん堕落し、そして一般にいわれる凡夫と同じようなレベルに達したサマナも相当いるとわたしは感じている。しかし、この真理の空間にいる君たちがそうであるから、例えばいくらマイトレーヤが一生懸命シャクティーパットを施したとしても、そこから救われる魂というものはごくわずかであるということができる。つまり「順の道」、これは限界があるのである。
 
次に「逆の道」である。この逆の道とは、ヤソーダラーが言ったとおり、称賛のない道ということができる。順の道とは称賛のある道、つまりすべてのものが納得し、すべてのものが称賛できる道、これが順である。逆の大乗の道とは、逆にほとんどの魂は理解できないが、この崇高な宇宙の維持システムからみるならば、最高の法則を実践する道である。この道はしかし、例えばわたしがある一部の法則を、高弟マハー・ケイマやヤソーダラーやマイトレーヤやマンジュシュリーや、あるいはプンナ・マンターニプッタやミラレパやサクラー、ウッパラヴァンナー、キサー・ゴータミー、アパーヤジャハ等に説いたとしても、ほとんど理解できないであろう。これが、大乗の道の最も崇高なそしてわかりづらい道である。
 
しかしその中でマイトレーヤは、若干その逆の道についての理解を示す一人である。しかし彼が理解を示すということは、わたしにいわせれば当然であると言わざるをえない。それは、なぜならば前生から何度もわたしの息子として生まれ変わり、そしてわたしの高弟として生まれ変わってきている弟子としては当然であると。いや言い方を換えれば、遅いぐらいである。しかしそれほど、先程述べた、卵が実際に魚となり、そしてまた次の卵を〈産み出す、〉産むことのできるような大きな魚になることは難しい。
 
わたしはマイトレーヤをみて、わたしとの違いを一つ感じることがある。これは、わたしは彼の修行者としての一つの大きな欠点であると考えている。それは、彼があまりにも知性が高くそして基本的な法則に殉じるがあまり、称賛を受けすぎるということである。例えば今回の大乗の式典においても、マハー・ケイマ、ヤソーダラー、ウッパラヴァンナー、アパーヤジャハのコメントはいかにも通りいっぺん、ただ単なる称賛という印象が強い。もちろんマイトレーヤはわたしと縁が強いわけだから、わたしに叱られればそれですむといえばそれまでかもしれない。
 
しかし、彼の霊的ステージの高さ、知性の高さなるがゆえに、彼に対してのプレッシャーをかける魂が少ないということは、この逆の道に彼が入ったときの、わたしは大変な不安材料であるということができる。

息子として転生し、弟子として転生してきているということは、当然私も何れ彼を離さなければならない時期が来る。離さなければならないとは、独り立ちし、そして多くの衆生のリーダーとし、その世界の救済をしなければならないということである。

そのとき彼がしょわなければならないいろんな課題、それを今与えることがわたしの慈愛である。
 
人間関係には、二つの関係が存在する。一つの関係は、徹底的にいじめ合う関係。一つの関係は、徹底的に補い合う関係である。この大乗の順の道を歩く魂は、徹底的に補い合う魂を相当に導く。しかし逆の道を歩く魂は、徹底的に叩き合う、叩きつけ合う魂を導くのである。
 
わたしは、マイトレーヤが大好きである。この大好きというのは、過去世のわたしと非常に似ていると。法則をしっかり押さえ、そしてこつこつとその法則どおり生きようと全力で努力する。しかしわたしとの違いは、先程述べたふがいない堕落した、法則を正確に実践することのできない魂と、逆に法則をきちんと理解しその法則を正しく実践しすぎるがあまり、法友に恵まれない魂の違いである。これからマイトレーヤが大乗の逆の道に入る場合、マイトレーヤにとって必要な友人、それはグル以外に存在しない。なぜならば、他の弟子では、先程述べた叩きつけられることがないからである。
 
それから、マイトレーヤが簡単に述べた内容について、一つ付け加えておかなければならないことがある。彼は、「自分自身のなしたことは大した加行【かぎょう】ではない」、と説いた。しかし実際は、偉大な加行であるということができる。なぜならば、例えばここに凡夫がいたとして、偉大な宇宙の神聖なエネルギーをコントロールできるだろうかと。魂を高い世界へ至らせるための、シヴァ大神すべての真理勝者方が絶えず発しているこのエネルギーを、コントロールできるだろうかと。これは大乗の空論と関係してくる。つまり、この存在というものは実態がないと。しかし、もしここでその実体のないということを悟り、より崇高なより高いエネルギーをコントロールできるとするならば、その魂は偉大な魂であるということができる。そのような意味において、マイトレーヤの今回なした加行は大変素晴らしい加行であったということができる。
 
わたしは、これからマイトレーヤにとって、どんどん嫌な、ある意味で意地悪なグルに変化していかなければならないと考えている。それは、“称賛は堕落の道”、そして大乗の逆を歩くものは、絶えず叩かれなければ生きていけないという宿命が存在するからである。なぜならば、“自己の苦しみを喜びとし”という原則があるからである。
 
 いずれにしろ、大乗の順の道に多くの理解を示し、そしてこれから大乗の逆の道に入っていこうとするマイトレーヤに対して、称賛の意を表明したいと思う。
 それではこれから、苦の詞章、大乗の発願を唱えましょう。
 
〈苦の詞章〉
〈大乗の発願〉
〈「一切の衆生をポアするためにすべての苦しみをしょおう」〉(それぞれ十三回ずつ)
 この偉大なる詞章によって、すべての魂が絶対的な自由・幸福、そして平安の境地へと至りますように。そして、今回のマイトレーヤの加行が、マイトレーヤの偉大なる魂の成長へとつながりますように。
〈オウム三唱〉