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Conversation

日本ラカン協会の査読には、論文への批判というより、個人的な中傷に近いコメントまで含まれていました。たとえば、私がプラトン『饗宴』について書いた論文には、次のような査読コメントが付されました。「この論文におけるアルキビアデス像には桑原氏の自己イメージが二重写しになっている。つまり、彼の自己分析はまだ途上にあり、本当の意味での他者 L’Autre との出会いが果たされていないのではないかと私は思った。それは彼の実際の生き方に大きな影響を与えてきただろうし、これからも与え続けるだろう。」 そもそも日本ラカン協会では、投稿者が実質的にブラインドではありません。そのうえで、論文の内容に対する批判ではなく、投稿者本人の自己イメージ、自己分析、生き方にまで踏み込んだコメントが査読として書かれるわけです。 これはもはや学術的な査読というより、匿名性を盾にした個人的な中傷に近いものではないでしょうか。論文の読解や論証を批判するならまだしも、投稿者本人の内面や人生をラカン的な語彙で裁くことが、査読として許されている。そのこと自体が、日本ラカン協会の査読制度の問題をよく示していると思います。
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エルパト
@CryptoElpato
Replying to @KuwaharaTabito
理系の方達から驚きの声が多く、人文系の方達からは驚きの声が少なかったことが印象的でした。 僕はこの分野の査読についての知識がありませんが、査読者候補が少なく、リバイス要請文が一定の文章量なら誰が査読者かある程度察知できるのかな、と推測しました。