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稲盛和夫「人を雇うなんておこがましい」の真意 躍進する企業経営者は「成功哲学」を持っている

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成功する経営者の多くは「成功哲学」を持っているという(写真:taa22/iStock) 
「ワード・ポリティクス」という言葉がある。アメリカには「ワード・ポリティクス」に長けたリーダーが多い。
例えば、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、2001年9月11日に「同時多発テロ」が起きたとき、「民主主義国家に対するテロリストたちとの戦争」だと言い切り、国民を1つにした。アメリカ国民の心をつかんだバラク・オバマ大統領の「Yes, we can.」は記憶に新しい。日本でも「自民党をぶっ壊す」と叫んで高支持率を得た小泉純一郎首相には、天才的な「ワード・ポリティクス」のセンスがあった。
企業の経営にも「ワード・ポリティクス」が必要である。とくに時代の転換期や危機的な時期には、従業員や株主、そして社会を納得させ、共鳴させる決め手となる「言葉」が必要である。躍進する企業の経営者たちの多くは、私たちをうならせる言葉、すなわちシンプルな「成功哲学」を持っている。
伝説の経営者100人の世界一短い成功哲学』ではそうした言葉が数多く紹介されている。本稿では、同書から一部抜粋してお届けする。
注)本稿に登場する経営者の肩書は、著者の記憶に最も印象づけられている当時のものです。そのため、短い略歴を同時に掲載しています。

京セラ創業者・稲盛和夫の名言

世の中に失敗というものはない。チャレンジを諦めたときに、それを失敗というのだ【稲盛和夫(京セラ創業者)】

稲盛和夫(いなもり かずお)/1932(昭和7)年、鹿児島県に生まれる。1959(昭和34)年、京都セラミツク(現京セラ)を設立し、世界的企業に育て上げる。1984(昭和59)年、第二電電企画(現KDDI)設立。その後、会社更生法の適用を受けた日本航空を会長として見事に再生させた。

私は、数多くの政財界人とそれぞれの個性が、日本に影響を与えるのを見てきた。彼らは皆それぞれに違った才能と個性を持っている。では、共通する部分とは何か。それは、「どんなときでもマイナス思考にならない」ということではないかと思う。

京セラ創業者の稲盛和夫もまた、そうした人間だ。稲盛は言う。

「世の中に失敗というものはない。チャレンジを諦めたときに、それを失敗というのだ」

稲盛に初めて会ったのは、1980(昭和55)年。京都セラミツクはすでに社員数3000人という大企業だった。当時の稲盛は、しきりに「心をベースにした経営」ということを力説していた。

「経営者と社員とのあいだには、いかなる違いもない。お互いに信頼し合った者同士が企業という集団、いわば運命共同体のために働くのだ」と言っていた。私はこういう言い方に、どうしても強い抵抗があり、怪しみながら稲盛と会う日を迎えた。

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【稲盛と会うため山科工場を訪ねると】

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山科工場を訪ねると、稲盛はいわゆる「ナッパ服」のような作業着で現れた。稲盛は、若い頃に受験や就職の失敗を繰り返し、肺浸潤を患い、「人生は挫折の連続だった」と話した。その病床で、「生長の家」教祖である谷口雅春の著書『生命の實相』を繰り返し読み、衝撃を受けたという。

就職した京都の松風工業では、ニューセラミックスの開発チームに配属され、寝食を忘れて研究に打ち込む。ところがニューセラミックス部門が軌道に乗り、会社の屋台骨にまでなると、開発の立役者だった稲盛らは外されてしまう。そこで稲盛は仲間たちと退社。

1959(昭和34)年、倒産覚悟で京都セラミツクを設立した。1年後、社員数は60人へと倍増、年間売上高は約2627万円。倒産どころか黒字になった。私は稲盛に成功の秘訣は何かと聞いた。

「全社員がお互いに信頼し合い、一体となって懸命に働いたためです」。――何のてらいもなく稲盛はいった。

「不安定極まりない状態で社員を雇って、無責任に『一生懸命働け、働いたらこうもする、ああもする』と空念仏を唱えるわけにはいきません。しかし、現実には、がむしゃらに働いてもらわなければ、たちまちに潰れてしまう。

つくづく感じたのは、われわれは雇い雇われるという関係ではない。少なくとも人間は、人を雇うなんておこがましいことはできない。われわれは一緒に働くために集まったパートナー、同志なのだということなのです。

経営者とか社員といった差はない。みんな、ほれて集まった者同士で、皆で作った会社、この集団のために、一生懸命に働き、苦楽を共にする。われわれの会社は、いわば運命共同体なのだと考えないわけにはいかなかったのです」

実は、当時の私は、この稲盛の言葉を信じ切れなかった。しかし、あれから40年、稲盛は流儀をまったく変えず、京セラとKDDIを一流企業に育てたばかりか、倒産した日本航空を見事に再生させた。

いまの日本で、稲盛の経営は信仰のように語られる。まさに「心をベースにした経営」であった。ひねくれ者の私も、いまとなっては信じざるをえない。その根底に一貫して流れる、ぶれない「利他主義」に感服するばかりである。

メルカリ創業者・山田進太郎の名言

アメリカの多様な人種の中で受け入れられるサービスを作れば、世界のどこでも通用します【山田進太郎 (メルカリ創業者)】

山田進太郎(やまだ しんたろう)/1977(昭和52)年、愛知県に生まれる。2000(平成12)年、早稲田大学教育学部卒業。大学4年時に楽天のインターンを体験。2001(平成13)年、ウノウ設立、ウェブサービス「映画生活」などを展開。2013(平成25)年、メルカリ設立。会長となった後、2019(令和元)年、社長に復帰。

シェアリング・エコノミーが一般的になった。自動車、自転車、住宅など、さまざまなモノやサービスを共有し、必要なときだけ使えるというわけだ。

メルカリ創業者・山田進太郎は、「メルカリはシェアリング・エコノミーの大きなトレンドの中にある」といっている。だが、「フリーマーケット」アプリのメルカリは、「シェアリング」とは少し違う気がするのだが……。私は山田に、その意味を尋ねた。

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【フリマは「時差ありシェアリング」】

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「フリマは売買なので、同時にシェアするわけではありません。ただ売買といっても、ユーザーに商売っ気はない。それより、例えば着られなくなった子ども服を、大切に使ってくれる人に引き継いでほしいという思いで出品している人が多いんです。

モノがメルカリのなかでぐるぐる回っている状態は、まさにシェアリング・エコノミーといっていいかと思います」

なるほど、「時差ありシェアリング」というわけだ。

山田は早稲田大学卒業後、映画や写真関係のサイトやゲームを展開する会社を立ち上げた。そのゲーム会社を売却し、なんと世界一周の旅に出てしまう。

「半年少しかけて、二十数カ国を周りました。飛行機をなるべく使わず、電車やバスで移動したことで、地域ごとの文化の違い、豊かな国と貧しい国があることなど、肌感覚でつかめてきた。これは、いま世界展開するうえで、大いに役に立っています」

日本発のユニバーサルサービスを目指す

そして、帰国後にメルカリを始める。

「旅立つ前はガラケーが主流だったのが、帰国したら、みんなスマホを持っている。衝撃でした。個人取引は面白いと思っていましたが、ヤフオク!には太刀打ちできない。ひっくり返すなら、スマホが普及し、個人と個人が簡単につながる『いま』だと、立ち上げました」

山田は、自分のことを「リバタリアン(自由至上主義者)」だと言っている。

『伝説の経営者100人の世界一短い成功哲学』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

「国という枠組みが秩序を保っているのは理解していますし、否定するつもりはありません。ただ、いいサービスを作り、できるだけ多くの人に使ってもらいたい。それには規制は少なく、国境は自由に越えられたほうがいい。その意味でリバタリアンだと言っています」

実際、メルカリは早くから世界を視野に入れ、現在はアメリカでサービスを展開しているという。なぜ、アメリカなのか。

「アメリカが世界の縮図だからです。アメリカの多様な人種の中で受け入れられるサービスを作れば、世界のどこでも通用します。日本発のサービスは、どうしても日本っぽいサービスになってしまう。僕たちもアメリカに行って初めて、何がユニバーサルサービスなのかがわかりました。

例えば、文字に頼った説明はダメですね。文字の説明がなくても、一目で『これはやっちゃいけない』とわかるデザインにしないといけない」

アマゾンやフェイスブックなどアメリカ発のサービスが席捲するITの世界に、「日本発」が斬り込んでいくのか。私は注目している。

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