INDEX
ベンチャー精神を目覚めさせたルームメイトの一言
そもそも私自身がベンチャー精神の大切さに目覚め、アントレプレナーシップの萌芽ともなった最初の大きな出来事は、先に述べたとおり、電電公社に入社してすぐアメリカに留学したことでした。
電電公社に入社した私は、それなりに充実した毎日を送っていましたが、半年ほど経った頃から「このままでいいのか」という迷いが生じてきた。
そんな矢先、アメリカとの教育交流プログラムであるフルブライト留学制度の存在を知り、さほど明確な目的意識もないまま資格試験を受け、運よく合格してしまったのです。
上司に報告すると、「前例がない」という理由から、私の留学を認めるべきかが問題になりました。
もし許可が出ないのなら、私は公社を辞めるつもりでいましたが、幸い上層部に理解のある人がいて、「そんな変わり者が一人くらいいてもいいだろう」ということでOKが出たのです(こんなことからも、当時から私は組織の異端児だったことがわかります)。
そんなわけで1967年、私は晴れてフルブライトの交換留学生として、フロリダ大学の大学院へ留学。アメリカの地を初めて踏みました。
院生用の学生寮に住むことになり、二人部屋のルームメイトとも初対面の挨拶を交わした数日後、小さな〝事件〟が起きたのです。
そのルームメイトは法学部で学ぶ白人学生で、彼は私が社会人であることを知って、「サチオは日本のなんていう企業からやってきたんだ?」とさりげなく尋ねてきました。私はやや誇らしい気持ちで、「電電公社といって、日本の電気通信事業を独占する唯一最大の電話会社から来た」と答えました。
次ページが続きます:
【彼は汚い言葉を私に吐き捨てた】
その「華麗な」バックグラウンドを、彼が「そいつはすごいな」とほめてくれるのではないかという期待を内心ひそかに抱いていたような気がします。しかし意外にも、彼は一言、「damn!」という言葉を罵倒するように吐き捨てただけでした。
これは──いわゆるfour letter wordと呼ばれる──人前で使うのがはばかられる汚い言葉で、当時、南部あたりでは禁句とされていたスラングです(いまではほとんど解禁状態ですが、それでも汚い言葉には変わりありません)。
そんな言葉を、牧師の息子で朝晩の祈りを欠かさない熱心なクリスチャンの、日頃の生活態度も紳士的で性格も真面目なルームメイトが、なぜ私に向かって唐突にぶつけてきたのか。
私はショックを受け、その真意を測りかねて呆然としました。しかし、それから半年くらいアメリカでの生活を続けるうちに、やっとその意味がわかってきました。
所属先の大きさを自慢げに語る私の〝安定志向〟に対する彼の軽蔑。そこには、アメリカの開拓時代から続く、旺盛な独立心と未知へのチャレンジ精神といった、建国以来の歴史に裏づけられたアメリカ人の進取的な生き方、価値観が強く作用していたのです。
そんな彼らの目から見たら、国の庇護を受ける安定した独占企業など、誇るどころかむしろ軽蔑に値するものでした。
大組織に依存し、長いものに巻かれて生きることなど、彼らにとってはもっとも尊敬できない、犬にでも食わせたい唾棄すべき生き方だったのです。
安定を求めて大企業に入り、その環境のなかで自足していた当時の私にとって、それは自分の価値観を根底からくつがえされる強烈な出来事でした。そしてそのことが私が電電公社を飛び出して、DDIをつくるきっかけともなったのです。
この事件を境に、私のなかにはその「チャレンジこそ善、安定や現状維持は悪である」という思いが、徐々に深く根を張っていくことになりました。
アメリカで尊重される「連続起業家」というあり方
ルームメイトが発した罵りの言葉は、私の安定志向への強い嫌悪を示していましたが、そのことはとりもなおさず、彼らがその安定志向とは正反対の果敢なチャレンジ精神に最高の価値を置いているということでもあります。
日本人は優秀な人材ほど大企業への就職を希望するが、アメリカ人は優秀な人間ほど独立起業をめざすといわれます。
また、仕事の内容を問われると、日本人はまっさきに所属する会社や部署の名をいうが、アメリカ人は自分自身が何をしているかを答えるといいます。
つまり、彼らアメリカ人は自立心や独立志向に富んでいて、依存をきらい、安定よりもチャレンジを選び、現状維持よりも変化や変革を求める傾向が強い。
次ページが続きます:
【日本人は総じて臆病】
リスクテイクについてもアメリカ人は果敢ですが、日本人は総じて臆病です。そこから安定は停滞であり、現状維持は後退であるという進取の精神も生まれてくるのでしょう。
だから、かつて西部開拓時代に危険を承知で西へ西へと未開の地を開拓していったように、彼らは自分の道は自分の手で切りひらき、自分の城は自分で築くことに大きな意義や価値を見出します。
当然、ビジネスや仕事においても、既存の企業に身を置くよりも、自分の会社をゼロから立ち上げて、成長させていくベンチャースピリットを重視する。
また、成功を得ても、そこに安住せず、次のステージに向けて挑戦を続ける。自分で大きくした会社を惜しげもなく売却して、次にはまた異なる分野で新しい挑戦をくり返す、いわゆる「serial entrepreneur (連続起業家)」がアメリカに絶えず現れてくるのは、そのためです。
連続起業家という言葉は日本ではあまりなじみがありませんが、アメリカではもっとも尊敬される生き方で、「彼は連続起業家だ」などと紹介されると拍手喝采で迎えられる。そういう文化や価値観がビジネス分野のみならず、かの国には広く根づいています。
組織を頼らず、自分の力でゼロからイチを生む創造性や進取性に最大の価値を置くのがアメリカ人のビジネスや仕事の特長であり、生き方の流儀でもあるのです。
ルームメイトに罵倒されたのをきっかけに、都合数年におよぶアメリカでの留学生活中に、私はこうした価値観を肌で感じることになりました。留学の目的は電子工学でドクターの資格をとることにありましたが、私にとってそれよりもはるかに大きな意味をもったのは、この新しい価値観への目覚めでした。
たった1人で巨象AT&Tの牙城を崩した男
そのアメリカ的価値観がよく発揮された、一つの象徴的な〝事件〟を紹介しておきましょう。
私が留学した当時、アメリカの通信業界はあのグラハム・ベルが設立したAT&Tという民間の通信大手企業の独占状態にありました。その堅牢な牙城が崩されたのは、たった一人の先駆者の手によってでした。
それがマックゴーワンという敏腕弁護士で、AT&Tによる独占体制の不公平さにかねがね疑問や不満を抱いていた彼があるとき法律を仔細に調べてみると、「AT&T以外の者がサービスを提供してはいけない」という条文がどこにも書かれていないことに気づきます。
つまり、AT&Tの独占状態には法的根拠がなく、他社が同じサービスを提供することもまったく禁止されていない。 「それならば──」と、彼は自らMCIというライバル会社を新しく立ち上げて、さっさと電話回線まで敷設し始めてしまったのです。
次ページが続きます:
【恐竜を絶滅させた隕石に匹敵するほどのゲームチェンジぶり】
むろん、AT&Tも反撃に出たため、MCIの行為の正当性をめぐって一大論争が巻き起こりましたが、これに終止符を打ったのも、やはりある一人の人物でした。
ワシントン連邦地裁のグリーンという判事が、「MCIのサービスは合法である」という、マックゴーワンの問題提起に正義のお墨つきを与える画期的な判決を下したのです。
彼ら二人の勇気ある行動と気概に満ちた判断が起こしたこのイノベーションは、破壊的ともいえるもので、これを契機に100年近く続いた独占市場は崩壊して、AT&Tも分割され、アメリカの通信業界において地殻変動ともいうべき大競争時代が幕を開けることになりました。
その結果、市場は活性化し、飛躍的な成長をとげて、電話料金も劇的に安くなっていきました。やや大げさにいえば、恐竜を絶滅させた隕石に匹敵するほどのゲームチェンジぶりで、ちょうど私たち第二電電が日本でやったことのアメリカでの先駆例といえましょう。
そうした大変革が個人の手によって起こされたのは驚くべきことです。その背景にはあきらかに、組織に依存せず、ゼロからイチを生み出す先見性と創造力に最大の価値を置く独立精神やベンチャースピリットと、独占を排斥すべき悪だと考え、自由で健全な競争状態を善とするフェアネス(公平さ)を何にもまして尊ぶ価値観やメンタリティがあります。
アメリカ人の国民性として根づいているこうした特質が、この通信改革の大きなトリガーとなったのは間違いないことでしょう。
アメリカという国に、社会を、そして世界を変えてしまうような大きなイノベーションがしばしば起こるのも、同じ理由からだと思います。
みずみずしい経営感覚をもった「先の見える」人
私は日本人がこのゼロイチの精神を失ったときから、一人当たりのGDPで韓国に抜かれるような経済の長い低迷が始まったのだと思っています。現状維持に満足し、安住する〝ゆでガエル状態〟におちいり、挑戦する気概をいつしか忘れてしまった。
そのために、いまに続く日本の衰退が深く静かに進行することになったのです。
かつてわが国は、ベンチャー精神に富んだゼロイチ型の経営者をたくさん輩出してきました。
松下幸之助さんや本田宗一郎さん、盛田昭夫さんといった先駆者たちが、自らスタートアップさせた会社を世界的規模にまで成長させ、戦後から高度成長時代を経て平成にいたるまで、時代を牽引する経済的活力を日本にもたらしてくれたのです。
次ページが続きます:
【稲盛和夫さんもその最高峰の一人だった】
稲盛和夫さんも間違いなくその最高峰の一人で、ベンチャースピリットにあふれる傑出した経営者でした。とりわけ一緒に仕事をするようになって、私がしばしば驚かされたのは、そのみずみずしい経営感覚でした。
たとえば、コスト感覚一つをとっても、スーパーマーケットで売られている商品の値段などをよくご存じで、いま卵はいくらくらい、鯖の缶詰はいくらくらいと細部にいたるまで精通しておられました。
消費の現場の実状をよくわきまえたうえでのコスト感覚。そういうものに人一倍すぐれていらしたのです。
当時の電話料金は10円、20円といった細かい単位で決められていましたから、それをいくらに設定するかは企業の収益のよしあしを左右するだけでなく、会社の盛衰にまで関わってくるきわめて重要な問題でした。
というのは、第二電電のような新興の通信会社は、安い電話料金を設定しないとそもそも最大手の電電公社に対抗できないが、さりとて、あまり安くしすぎると今度は会社の経営自体がもたなくなるというジレンマにさらされてしまいます。
だから、料金をどれくらいの水準に設定するか、その細かい目盛りの加減がそのまま会社の命運を握っているといっても過言ではないのです。
「値決めが経営」の神髄
でも、稲盛さんの卓越したコスト感覚は、この問題をいつも的確にクリアしてきました。「値決めが経営」というご自身の言葉どおり、つねに最適解に近い価格、料金を導き出すのです。
むろんそれは、現場を知り尽くしたシャープなコスト感覚に支えられたもので、その点では、稲盛さんは実に「先の見える」人でした。その先見性にもやはり際立ったものがあったのです。
のちに、私たちの会社がDDIとして携帯電話も手がけるようになったとき、稲盛さんがその契約料はいくらで、月ごとの基本料金はいくら、通話料はおよそこの程度といった具合に料金内容の細部まで事前に「予見」し、それが実際の金額とほとんど変わらなかったという話は有名ですが、私も同じとき、稲盛さんのある〝予言の言葉〟をこの耳で聞いています。
第二電電の市外電話サービスが軌道に乗って、事業が急成長し、次は新たに携帯電話事業に乗り出そうとしたときのことです。
当時、専務の職にあった私は、それまでの固定電話事業と新しく始める携帯電話事業の割合を、そのとき成功していた固定が七、これから新規スタートする携帯を三くらいにとらえていました。
次ページが続きます:
【「長男は携帯で、固定が次男だ」】
それで稲盛さんに、「固定が長男で、携帯が次男といった感じでしょうか」と進言したのです。ところが稲盛さんはニヤリと笑って、「千本くん、逆だよ。長男は携帯で、固定が次男だ」と答えたのです。
この言葉に、当初私は納得がいかないものを感じていました。
携帯電話の有望性は理解できるものの、その新規性が固定電話の安定性を上まわることは可能だろうか、かりに可能だとしても、それが実現するのはかなり先のことだろうと考えていたからです。
しかし、現実は稲盛さんが予言した以上の事態にまで進展しました。
携帯電話はいまや必須のツールとして国民にあまねくいきわたっている一方、固定電話は減少の一途をたどっています。そこまで先が見通せていたのは私ではなく、稲盛さんのほうでした。
料金ばかりでなく、その手頃なサイズ、普及のスピードにいたるまで、稲盛さんにはかなり明確に見えていました。携帯電話という新しい製品が秘めた無限の可能性を的確にとらえていたのです。
のちに、なぜ携帯が長男だとわかったかという質問を私がしたとき、稲盛さんは「半導体の技術革新のスピードをものさしにしたら、だいたいわかる」といった意味のことを答えられました。
精神主義だけが稲盛経営の本質ではない
京セラが手がけるファインセラミックスは精密な半導体の製造には欠かせない部品ですが、稲盛さんは自社の事業から、その進化速度に十分な経験知をもっておられ、そこから類推して、携帯電話という新しい商品の市場的な広がりをかなりの精度で予見できたわけです。
これまた正確すぎるくらい正確な予測で、稲盛さんのこういう先見性に満ちたすぐれた経営感覚には舌を巻くと同時に、ずいぶん勉強もさせてもらいました。
稲盛和夫というと、仏教的倫理観を土台にした精神主義や哲学を企業経営の真ん中に据える経営者というイメージが強いかもしれません。
それはそれで間違いではありませんが、それでは稲盛和夫という人間の半分しか見ていないことになります。
稲盛さんは精神主義の半面で、京セラの「アメーバ経営」や「会計原則」など、きわめてユニークで合理的、効率的な経営管理手法を考案、駆使するプラグマティックな側面も強くもっておられます。
その意味では、とてもリアリスティックな経営者でもあります。
少し考えればわかりますが、精神主義だけでは、あそこまで優良な企業を、あそこまで大きくすることはとうていできないでしょう。
(第3回に続く、4月22日配信予定)