合理的なシステム

結婚相談所のシステムは、感情の摩耗を最小限に抑えるために設計された「合理的な装置」だ。不都合な真実はオブラートに包まれ、条件という名のフィルターが男女の出会いを効率化する。

 

その装置の中で、二人は共に対照的な「不都合」を抱えていた。

 

ノリトは、彼女を「自分というシステムにとっての最適解」と定義し、最後のデートを前に他の候補を全て削除する。それは彼なりの退路を断った覚悟だった。 一方のハルカは、実体の見えない「完璧な幻影」と、平凡だが素顔を見せてくれる「等身大の男」の間で揺れていた。ハルカが最後に賭けたのは、目の前の完璧な男が、自分と同じように「平凡でカッコ悪い部分」を隠し持っているのではないかという、微かな希望だった。

しかし、帰りの電車でノリトが放った言葉が、その希望を冷酷に打ち砕く。

 

 

「僕は君の聡明さを本当に評価しているんだ。君のキャリアを支える伴侶として、僕はこの上なく相応しいはずだ」

 

 

その言葉に、ハルカは戦慄した。ノリトは自分を見ているのではない。自分という個体に付随する「肩書き」や「市場価値」を見て、それを自分の人生のパーツとして最適化しようとしている。

 

 

「ああ、この人は、私の心には触れてくれないんだ」

 

 

ハルカは、ハリボテの王子様を捨て、もう一人の男を食事に誘った。

 

 

「あなたは私を幸せにできますか?」

 

 

という、論理も何もない問いに対し、その男は照れくさそうに笑って答えた。

 

 

「君みたいな可愛い人が待っているなら、毎日急いで家に帰りたいかな」

 

 

その稚拙で、温かい「人間」の言葉に、ハルカは真実を見出した。

一方、メッキが剥がれたノリトは、暗い部屋で立ち尽くしていた。 ミカを失って以来、一度も流さなかった涙が、ダムが決壊したかのように溢れ出した。必死に塗り固め、守り抜いてきた「理想の男」という虚像が、足元から砂のように崩れ落ちていく。

 

だが、この期に及んでも、ノリトの脳は「合理的な悪知恵」を止められなかった。 相談所の担当者へ、なりふり構わぬ泣き言を送る。

 

 

「今回の終了は私が悪かったんです。ダメだったところは全て直します。彼女があまりにも高嶺の花すぎて失うことが怖かったんだ。」

 

 

ノリト側の仲人は、この婚活市場における優良物件、だけどどこか腹の見えなかった男の「幼すぎる本心」を汲み取り、ルールを超えてハルカ側の仲人へ頭を下げた。しかし、ハルカ側の相談所は知っていた。ハルカがようやく「普通の幸せ」を掴み取ったことを。

 

 

「カワノさんは他のご縁を選びました。ヒロセさんのお気持ちにはお答えできません。お引き取りください」

 

 

その一言で、システム上の二人の関係は永久に遮断された。

諦めの悪いノリトは、ついに禁忌を犯す。相談所に無断で、ハルカの個人連絡先へ震える指でメッセージを叩きつけた。

 

 

「ずっとあなた好きだった。会っている時も、会えない時もどこか君を失うんじゃないかという恐怖におびえていて、最後の最後まで見栄ばかり張っていました。ごめんなさい。だからどうか僕のいる日常に戻ってきてほしい。」

 

 

剥き出しの、血が滲むような本音。だが、受け取る側のハルカは、もう別の世界にいた。ハルカの返信は、どこまでも優しく、そして絶望的だった。

 

 

「誠実に向き合ってくれてありがとう。ノリトさんはとっても素敵な人だから、きっと私なんかよりもっと素敵な人がいます。お体に気を付けて、どうか幸せになってください。」

 

 

皮肉にも、虚像を演じ続けたノリトは、最後の最後に「誠実」と評された。それは、実体を探し続けたハルカが、迷いの中にいた自分自身に終止符を打つための、慈愛に満ちた引導だった。

 

後日、ノリトは相談所にルール違反を自白した。 呆れ顔の仲人は、厳しい言葉を投げかける。

 

 

「あなたは一つ勘違いしている。なんで私にまでカッコ悪い姿を隠し続けたんですか? 最初からそう言ってくれていれば、私の動かし方も違ったのに・・・」

 

 

その言葉に、ノリトの「ハイスペックな仮面」は粉々に砕け散った。 大人の男として、エンジニアとして、社会人として積み上げてきた全てを脱ぎ捨て、彼はただ初恋に敗れた子供のように、声を上げて泣きじゃくった。

その涙は、長い冬を越え、彼がようやく一人の「不完全な人間」に戻れた、最初の産声だったのかもしれない。

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