将棋ウォーズの段級位は昔と今で違うの?2万局を将棋AIで解析して検証した
注記
300円に設定していますが全文無料でご覧いただけます。もし内容が参考になればご支援いただけると幸いです。調査のために果てしない労力がかかったため…… 現在、諸事情により課金機能を一時停止しております。具体的な事情のご説明は後々行うかもしれません。申し訳ございません。
背景
最近、将棋ウォーズで高い段位への昇段報告が増えたと感じます。特に高段帯はインフレしている気がしていました。
同様に、ウォーズの段級位に関して変化を感じている方が割といるためか、段級位分布の変化を示した調査(例:YouTube動画「【激変】2024年と2025年で将棋ウォーズの棋力分布が全然違う件【偏差値も紹介】」、「最新版の棋力分布を調べたら意外な変化が!?」、note記事「将棋ウォーズ 棋力分布調査(2022年と2023年)」)などが存在し、Twitter(X)やYouTubeのコメント欄などでも議論を見かけます。
このように有益な調査はありますが、段級位の変化を棋譜から実力を推定して比較する形で整理されたものはありません。
そこで本稿では、公開された棋譜約2.4万局を将棋AIで解析し、2018年12月と2025年12月の各段級位のプレイヤーの実力を比較しました。
分かりやすく言えば、「2018年の三段」と「2025年の三段」は本当に同じ強さなのか、という話です。同様の比較調査を全段級位にわたって行い、7年前と比較した段級位の基準の変化を棋譜解析から明らかにしました。
この調査のためだけになぜか初めてウォーズに課金させられる羽目になった……
インフレとは
議論の前提として、本稿における用語を定義します。理解必須の概念です!
インフレ: 同じ実力でも、以前より高い段級位・達成率を得やすくなった状態。全体的にレーティングが過大傾向にあること。
デフレ: 同じ実力でも、以前より低い段級位・達成率に留まりやすくなった状態。全体的にレーティングが過小傾向にあること。
将棋ウォーズでは、Eloレーティングが採用されており、これが段級位・達成率に相当します。基本的にはプレイヤー間の勝敗によって段級位・達成率を奪い合うゼロサムに近い設計ですが、何らかの理由で全体的に段級位・達成率が過大傾向になることがあります。
調査方法
プレイヤーの棋譜を用いて、2018年12月時点の各段級位と2025年12月時点の各段級位の棋力を推定・比較しました。
棋譜収集の概要
各段級位ごとに3分切れ負けの棋譜を平均1000局程度収集し、最終的には総計約2.4万局の解析となりました。
一致率と平均悪手
各棋譜の各局面を将棋AIで解析し、以下の3つの指標を計算しました。
AIが示す最善手との一致率
AIが示す最善手 or 次善手との一致率
AIが示す最善手と比較した平均評価値損失(= 平均悪手)
本稿では、先行研究に基づき、平均悪手を「AIが示す最善手を指した場合と、実際の指し手を指した場合の評価値差の平均」と定義します。
計算方法の詳細
対象局面は、山下さんの先行研究に倣い、40手目以降かつ評価値の絶対値が1000未満の局面としました。なお、詰みが絡む局面は除外しています。AIが詰みを発見した局面では評価値の表示が通常の局面と大きく異なり、同列に扱うことが難しいためです。
また、本調査における一致率および平均悪手は、各棋譜ごとの平均値を単純に平均したものではありません。同一段級位に属する多数のプレイヤーによる多数の棋譜から抽出された着手をすべて集計し、その全着手に対して算出した平均値となっています。よって、これらの指標は当該段級位集団の平均的な傾向を表すものです。
一般に強いプレイヤーほど一致率は高く平均悪手は小さくなるため、同一段級位の多数の着手を集計することで、その集団の平均的な実力を定量的に推定できます。本調査では、時期が異なる同一段級位同士(例:2018年の三段と2025年の三段)の棋譜をこの方法で比較しました。
なお、棋譜収集、課金、将棋AIとの一致率や平均悪手を調べるためのプログラムの作成、デスクトップPCをフル稼働させる負担、ブログ執筆、グラフの作成と細かい調整など、すべてにおいて労力が膨大すぎて本当にメリットがなかったですね。。。
調査環境
本検証は、以下の環境で行いました。
OS:Windows11
CPU:AMD Ryzen 9 9950X
CPU設定:TDPが120W相当となるよう電力制限を適用
将棋AIの評価関数:水匠10beta
将棋AIの探索部:やねうら王 V9.0.0
将棋AIのスレッド数:16
思考時間は1手0.1秒で、1局面あたり約200万弱Node程度読んでいます。
結果と考察
指標の妥当性
本題の比較に入る前に、使用した指標が棋力を適切に反映しているかを確認します。図1は、2018年12月および2025年12月での段級位別の一致率を示したものです。AIが示す最善手との一致率、およびAIが示す最善手or次善手との一致率をそれぞれプロットしました。図2は、同様に平均悪手を示したものです。エラーバーは95%信頼区間を示していますが、詳しい説明は別セクションで行います。
図1から、2018年12月・2025年12月のいずれにおいても、段級位が高いほど一致率も高いという強い傾向と、非常に滑らかなグラフが得られました。棋力を推定する指標として妥当性が高いと判断できます。
一方、平均悪手は、全体的には段級位が上がるほど平均悪手が小さくなる傾向が確認できるものの、一致率と比べて特に級位者帯でばらつきが大きく、局所的に単調性が崩れている部分があります。段級位1つ分の違いを見極めなければならない本調査では、一致率をより信頼性の高い指標として扱います。
信頼区間の計算
各指標の統計的な不確かさを評価するため、ブートストラップ法による95%信頼区間の推定を行いました。(この手法の採用理由は、特に平均悪手ではデータの分布が不明であり、かつ着手レベルでは独立性が完全には成立しないであろうことなどです)
具体的には、各段級位について、棋譜単位で復元抽出を行って再標本を作成し、一致率と平均悪手を再計算する操作を1000回繰り返しました。得られた1000個の計算結果のうち、下位2.5%から上位2.5%の範囲を95%信頼区間とします。
図1および図2のエラーバーは、この95%信頼区間を示しています。
ただし、2018年と2025年における数値の差を判断する場合、エラーバーの重なりを見るだけでは十分ではありません(参考にはなりますが)。
そこで、同一段級位について2025年の値から2018年の値を引いた差を計算し、その差についても同様にブートストラップで95%信頼区間を求めました。差の信頼区間が0を含まない場合に、その指標において2025年と2018年とで有意差があると判断できます。
解釈の方針
続いて本題の比較に移ります。まず解釈の枠組みと、その根拠となる表を示します。
2025年12月のプレイヤー群の方が同一段級位でも一致率が低く平均悪手が大きい場合、その段級位帯の実力が過去より低下している、すなわちインフレしていると解釈できます。
逆に、2025年12月の方が一致率が高く平均悪手が小さい場合は、その段級位帯が過去より強くなっている、すなわちデフレしていると解釈できます。
では、各段級位における一致率および平均悪手の差(2025年-2018年)とその95%信頼区間を表1に示します。値が正の場合、2025年の数値の方が高いことを意味します。以下の段級位別の解釈は図1, 2および表1を根拠とします。
段級位別の結果と解釈
七段・6級
2018年12月と2025年12月で比較した結果、一致率・平均悪手ともに有意な差は確認できませんでした。2018年12月の棋譜が少なくばらつきが大きいため、本調査のデータから明確な結論を出すことは困難です。(まあ、棋譜が十分に集まれば七段は初段から六段と同様の傾向、6級は3級から5級と同様の傾向が見られるような気が個人的にはしていますが、現段階では実証できません)
初段から六段
2018年12月のプレイヤーの方が2025年12月の同一段位のプレイヤーより有意に高い一致率を示しました。ただし、初段は差が小さいです。
平均悪手でも同じ方向の傾向は見られましたが、ばらつきが大きく、有意な差が確認できたのは四段・五段・六段に限られました。
以上より、初段から六段では、一致率を主な根拠として、2018年の同一段位の方が強かった可能性が高く、インフレした可能性が高いと解釈します。
1級・2級
棋譜を1000局以上集めたにも関わらず、一致率・平均悪手のいずれについても有意な差は見られませんでした。インフレもデフレもほぼ起きていないと解釈できます。
3級から5級
2025年12月の方が2018年12月の同一級位者より一致率が有意に高いという結果になりました。一方、平均悪手は、同じ方向の値を示す部分はあるものの、ばらつきが大きく、有意差があるとは言えません。3級から5級では、一致率を主な根拠として、2025年の同一級位者の方が強い可能性が高いと解釈します。
段級位別の換算
以上の結果をより直観的に理解するため、2025年での各段級位が2018年での段級位に換算するとどの程度に相当するか、最善手or次善手の一致率を基に推定した結果を図3に示します。
対角線は同一段級位を示しており、プロットがこの点線より下に位置する場合は2025年の方が同一段級位でも相対的に弱く、上に位置する場合は強いことを意味します。
図から、有段帯では多くのプロットが対角線より下に位置しており、最大で概ね段位1つ分程度弱体化している(インフレしている)ことが分かります。一方、3級から5級ではプロットが逆に対角線より上に位置しており、デフレしていることが確認できます。
結論
AIが示す最善手や次善手との一致率を見る限り、2025年12月時点の将棋ウォーズは、2018年12月と比較して、初段から六段ではインフレ方向、1級・2級付近では概ね横ばい、3級から5級ではデフレ方向へ変化している可能性が高い。七段以上と6級以下は不明である。
今後の展望
調査の需要とブログの反響、私のやる気次第ですが、以下の追加調査を検討しています。
七段・6級の棋譜も十分に集めた同様の調査
平均悪手の定義の変更による結果の違いを調査
2018年・2025年以外の年も加えたインフレ・デフレの推移の調査
3分切れ負け以外の持ち時間での調査
段級位との向き合い方
2025年末の将棋ウォーズは、3級以下の方にとってはある意味厳しい環境です。昔(7年前)と同じ実力でも昔より低い級位に甘んじやすいため、もし「なかなか昇級できない」と感じている方がいれば、それはあなたの実力というより時代が原因かもしれません。
なお、各段級位間の実力差は昔より小さくなっていて、昇級自体のハードルは多少下がっているのも事実ではあります(それでも大変ですが……)。
一方、有段者にとっては7年前と比べて(大雑把に)最大段位1つ分程度の時代のボーナスが乗っています。これは、あなたが昇段したとしても、実力向上によるものとは限らず、実力は横ばいあるいは弱くなっている可能性すら相当あるということです(例えば私とか)。
昇段の喜びが半減するような話で申し訳ないですが、これが今回の調査で出た結論です……。ただ、何となく察していた方もいたはずですし、2つ分以上昇段した方は実力が実際に向上している可能性が高いです。
もっとも、段級位というのは本来、"今"の自分の実力を示すものです。昔と今で自分や誰かの段級位を比較することに意味がないわけではありませんが、過去の誰かの段級位との比較に振り回されすぎず、将棋を楽しんでおくのが一番だと思います。
一致率について補足
各段級位ごとの一致率のばらつきが小さくなった理由を数学的性質から考えてみます。
一致率は、各着手を「最善手(or次善手)であるか否か」という二値の変数として扱う指標であり、各着手はベルヌーイ分布に従う試行とみなせます。このとき、一致率はその標本平均に相当し、その分散は
ベルヌーイ分布では、標本平均の分散が最大でも
これは一致率のグラフが段級位に対して非常に滑らかな単調増加を示した一因でもあります。
以上、ここまで読んでくださってありがとうございます。この記事が参考になれば幸いです。
参考文献・参考資料
YouTube「【激変】2024年と2025年で将棋ウォーズの棋力分布が全然違う件【偏差値も紹介】」https://www.youtube.com/watch?v=uv1XW1VDhoE
YouTube「最新版の棋力分布を調べたら意外な変化が!?」https://www.youtube.com/watch?v=VcvKKlNZk2s
note「将棋ウォーズ 棋力分布調査(2022年と2023年)」
https://note.com/unusedid/n/nfcc4b4add090山下宏, 「将棋名人のレーティングと棋譜分析」, ゲームプログラミングワークショップ2014論文集, pp.9–16, 2014



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