縄文時代の海の男の腕の骨は太かった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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縄文時代まで、日本列島周辺には山の民と海の民が共存して生活していたようだ。

彼らは通婚していたようで相互に嫁を交換して、男性遺伝子 Y- DNAがD2(山の民)またはC1(海の民)であることを除いて、遺伝子的には区別がつかなかった。すなわち、女性には山の民と海の民の区別は無く、男性の骨格に差異が認められたことになる。


参考

① 舟こいだから? 愛知に「極端に骨太」な縄文人集団

朝日新聞(2018.8.27、参考)

神田明美

保美貝塚から出土した縄文人男性の上腕骨(左)。平均的な江戸時代の男性の上腕骨(右)よりも極端に太い(「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」提供)

愛知県渥美半島に「骨太」の縄文人集団がいたことが、国立科学博物館などの研究チームの分析で分かった。全国の遺跡から出土した縄文人の上腕骨を比較したところ、縄文晩期の遺跡「保美(ほび)貝塚」(同県田原市)から出土した男性の上腕骨は、他の遺跡よりも極端に太かった。手足の骨は活動レベルに応じて太く成長する性質があるという。この集団は近隣の集団よりも積極的に遠州灘まで漁に出ていたり、紀伊半島から海路で石を大量運搬したりしていたといい、舟をこぐ生活が関係していると考えられるという。

海部陽介・同博物館研究グループ長らの研究チームは、沖縄県から北海道の遺跡で出土した縄文人797人分の上腕骨の太さを比較した。その結果、海岸付近の遺跡の縄文人集団は、内陸の平野で暮らした縄文人集団より上腕骨が太い傾向がみられた。さらに、保美貝塚の男性の上腕骨は22人全員が全国平均を上回っていた。また、渥美半島の近隣の遺跡と比べても極端に太かった。一方、保美貝塚の女性の上腕骨は、他の遺跡と大差はなかった。

保美貝塚からは外海にいる大きなマダイやアシカの骨が見つかっているほか、近畿地方の二上山でとれるサヌカイトという石が紀伊半島から海路で大量に搬入されていたと指摘されている。それに対し、渥美半島の近隣の縄文遺跡では舟で遠出をした形跡が見つかっていないという。(神田明美)


② 縄文人の内、山の民が男性遺伝子 Y- DNA D2を持っているのに対し、海の民(海人族安曇氏)の男性遺伝子 Y- DNA C1をそれぞれ持っている。現代の漢民族や朝鮮民族の男性遺伝子 Y- DNAはO2やO3が主となる。(参考)


③ 山の民と海の民と鹿、、、山の民と海の民は相互に交流していた(参考)


④ ある記事では、「千葉県の房総で某地域を取材したときには、海の民と山の民の間で花嫁の交換が行われていたと聞き、血族結婚により血が濃くなることを回避するために嫁の交換が意図的に行われていたのだなと感心した」とある。日本語の起源にも絡んで興味が尽きない。(参考)

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