「障がいが重いほど入れない」放課後デイの矛盾…2年かけて空き探す母「就職氷河期を思い出した」
●「家でテレビ見るしかない時代もあった」草の根で始まった支援
障がいの重い子ほど放課後デイに入れず、斎藤さんのように困っている保護者は珍しくない。ただ、放課後デイが制度化される前はさらに大変な状況だった。これでも少しずつ改善はしてきているのだ。 全国放課後連の真崎さんは20年以上、障がいのある子の放課後支援に携わってきた。 「放課後の居場所がない時代は、子どもたちは学校と家との往復だったんです。保護者が見守る中、テレビを見て過ごすような感じですね。保護者と1対1なので、友達関係を築けない子も多かった。 保護者にとっても親同士のつながりを持てず、悩みを抱えたまま、子育ての喜びを感じづらい状況でした。孤立した親が子どもを殺してしまう不幸な事件もありました」(真崎さん) そうした状況から、1970年代後半に東京で草の根での放課後支援が始まった。東京の取り組みが全国に広がり、自治体が補助金を出し始めるようになった。 「障がいのある子が友達と過ごしたり、公園に行ったりという機会が各段に増えました」(真崎さん) 2012年に制度化されてからは、事業所が安定した財源を確保できるようになり、それに伴い参入事業者も増えた。 ただ、時代の変化とともに、共働きやひとり親の世帯も増えた。国や自治体が少子化対策に力を入れる中、安心して子を生み育てられる社会という観点からも、さらなる拡充が求められている。 全国放課後連は、放課後デイを所管するこども家庭庁に年2回、要望書を出している。 2025年は、基本報酬だけで事業所運営が成り立つように求める報酬制度の見直しや、子どもの障がいの度合いによって利用を拒否しないよう事業所に周知徹底を求めることなどを要望した。 当事者の斎藤さんも「保護者仲間」や「後輩」が自分のような苦労をしないよう制度のさらなる改善に期待する。 「現在5カ所に預ける大変さはありますが、どこもスタッフの方が一生懸命やってくれて、ありがたく思っています。送迎サービスを利用できたり、職場の理解もあったりして、私はまだ恵まれているほうです。でも、支援とつながれず孤立する家庭や、職場の理解が得られず離職する方もいます。 特別支援学校の中に学童ができたり、放課後デイの基本報酬で障がいの程度による重みづけが見直され、支援員の待遇が改善したりするといいなと思います」(斎藤さん)
弁護士ドットコムニュース編集部