皇后 雅子について語る-7-
国民に愛される紀子妃殿下 嫌われる小和田雅子
平成5年1月。小和田雅子が皇太子妃に内定したと報じられた。どんなお方が東宮御所に上がるのか、期待していた多くの国民を唖然とさせたあの日。小和田雅子はそれまでの不遜な態度を引っ込め、借りてきた猫のような振舞いを見せた。
「おためごかし」
これ以外の感想はなかった。29歳の女性が23歳でお輿入れされた、紀子妃殿下の真似をしても不気味なだけだ。
「紀子さんは礼宮さまが初恋の人なのですか?」
なんとも素敵な質問ではないか。台本のないご会見、礼宮殿下にお許しをいただいてお答えになる紀子さん。
「はい、そうでございます」
あの瞬間、紀子妃殿下に心を鷲掴みにされた女性は殊の外多いと感じる。作家の桐野夏生は以前、紀子妃殿下をあらん限りの言葉で侮辱し、女性からの支持は凡そ得られないと断じたが、彼女の目は節穴なのだろう、気の毒に。好景気に浮かれていた日本。女性の価値を一部の欲望の赴くがままの女性が貶めていた、そんな時代。清楚で可憐な川嶋紀子さんの登場は、世の人々の心を清浄な空気で包み込んだ。温かな微笑み、柔らかな物腰。紀子さんフィーバーが起きたのも当然といえる。
日本人はみな、紀子妃殿下が好きなのだ。上皇后陛下という揺るぎないご存在が女性皇族の頂点となった年、礼宮殿下の婚約者となった紀子妃殿下。上皇后陛下のお心を大切に受け継いでくださる女性、そうした理解が川嶋紀子さんの姿を目にした瞬間、じんわり広がったのだと思う。世に、人々に。
そう考えると実は気の毒でもあるのだ、小和田雅子は。上皇后陛下、紀子妃殿下と「民間から皇室へ入られた女性」を国民は見ている。礼宮さまのお相手があれほど素敵なお方なのだから、皇太子殿下のお相手はもっと素晴らしいお方に違いないー。
一方的な決め付けであったのかも知れない。だからといっては何だが、失点だらけの小和田雅子が皇太子殿下の申し出を頑として断っていれば、彼女の株はほんの少し上昇したであろう。
皇太子妃となる女性へ期待が膨らむ一方だったのは、平成4年までの皇室は幸せに満ち溢れていて、経済大国であった日本の、まこと象徴的な存在であったからに他ならない。どれほど素敵なお方を娶られるのか。国民の期待も報道もこれ以上ないほどに過熱していたあの頃、例えば香淳皇后のお血筋であるあの女性が皇太子妃に内定していたなら。国民は大いに歓喜し、快哉を叫んだであろう。メディア対応など華やかなことは秋篠宮同妃両殿下が、宮中祭祀を中心とした皇室の奥、芯となる部分のお務めは皇太子同妃両殿下が、それぞれ担われる。私はそう信じていた。まさか皇太子殿下があれほどミーハーで、お妃選びに「紀子さんより注目を集める女性」と条件を付けていたなど、考えも及ばないことだった。
高学歴で外国語に堪能、スーパーキャリアウーマン、外交官として男を向こうに回し仕事に邁進していた。マスコミは褒めどころのない小和田雅子を、どうにかそれなりの女性に仕立てようと策を弄した。しかし今振り返ってみても国民へアピールした事柄の全てが、皇太子妃となる女性に不要であるものばかりであった(外国語に関してはある程度許容できるとしても)。
上皇后陛下を見てみろ、職業経験などおありでないがご立派に務めを果たしてこられた。上皇后陛下のご足跡を継承できる女性こそ望まれるのであって、誰かれ構わず喧嘩を吹っ掛けそうな気の強い女性など求めた覚えはない。国民は紀子妃殿下に酔いしれていた。小和田雅子の登場は紀子妃殿下誕生に沸いた私たち国民の余韻を、搔き消すほどの威力があった。
「本当にこの人で大丈夫か?」
紀子妃殿下への思慕は変わらず抱きつつも、意識は徐々に「皇太子妃になる女性」へスイッチしていく。ミッチーブーム、紀子さんフィーバー。日本中が酔いしれた皇室の慶事において、上皇后陛下から数えて3人目の女性に、遂にムーブメントは起きなかった。
小和田雅子なる女性の何がよくて、皇太子殿下は娶られたのであろう。両陛下がお許しになったのだから、この方の良さはこれから伝わってくるのだろうか。そんな風に考えていた。皇室フィルターにかかっていた私は、懐疑的に見ていた小和田雅子をもフィルターを通して見ていたのだ。あれほどガサツで感情だけで突っ走ることができる、頭の出来が著しくよろしくない、人間的魅力に全く欠けた人物であると、あの時点で見抜けなかった。心身共に自立した女性であり、報道通り異性の匂いは全くないと思い込んでいた。あんなふしだらな女性が皇室に入れるなど露ほども考えなかった。皇太子同妃両殿下の婚約会見で印象に残った質問といえば
・交際が途絶えた経緯と理由
・その間それぞれが抱いていた思いとは
・外務省を退職することに抵抗はなかったか
思い出せる限りでこの程度だ。皇太子殿下自ら、小和田雅子と㈱チッソの元社長・江頭豊氏の関係に言及され「そのこともあり一時交際が途絶えた」と認めた。馴れ初めや互いへの思いを告白する場面があったことは記憶しているが、微笑ましいと感じること、女性として共感できることが一つもなかったこと、皇太子殿下へ愛情を抱いている様子が微塵も窺えなかったことなどが背景となれば、殺伐・荒涼とした気持ちが肥大するのは当然であろう。
「あの時代にネットが普及していたら、雅子さんは皇室に入っていない」
20年ほども前、目にしたネットの書き込みが忘れられない。
紀子妃殿下を貶めたところであなたの評価は変わらない
小和田雅子入内の日、私は紀子妃殿下のこのようなご表情を初めて見た。困惑されたような、どこか悲し気な、そんなお顔。どうされたのだろう?考えるまでもない気がしていた。不敬ながら「気持ちは同じなのだ」と思わず
にいられなかった。婚約内定自体「誤報である」とどこかが報じるのではないか。そんな期待を込め、平成5年6月9日を迎えたのだから。
(紀子妃殿下が私と同じく小和田雅子に否定的な気持ちを抱いておられた、と言っているのではありません、念のため)
小和田雅子の不出来ぶりは徐々に国民の知るところとなっていく。結婚直後の失態といえばクリントン大統領らが出席した宮中晩餐会であろう。会話の輪の中心となられる皇后陛下、紀子妃殿下。皆様のアシストをなさり、控え目ながらも存在感を放つ紀宮殿下。そんな中に小和田雅子の姿はあった。誰からも声掛けされない皇太子妃として。
仕方なく自分から来賓に話しかける小和田雅子。特段喜ぶ様子もなく淡々と会話に応じるご夫人。彼女に誘われるように会話に加わる数人の男性。楽しげな談笑というより議論を吹っ掛ける女性に対応する外国人、といった様相を呈す一団は、小和田雅子が新たに放った一言をきっかけにさっと人が去ってしまう。仕方なしに残った2名ほどの来賓が彼女の相手をして差し上げていた。その映像は既に見ることはできなくなっている。
翌日、宮内庁東宮職が皇太子殿下へ
「妃殿下は何の話をされたのか?」
と確認を入れている。皇太子殿下は
「雅子の英語は堪能で、何を言っているのか理解できなかった」
と回答したとされる。以降、小和田雅子の言動に東宮職はそれまで以上に目を光らせるようになり、雅子は公務を欠席するようになる。断っておくが宮中祭祀は結婚直後からほぼ欠席している。
余談だが「水を使うと風邪をひく」と潔斎を怠った小和田雅子の言い分を聞かれ、上皇后陛下は潔斎所にエアコンを設置して差し上げたのだが、こういった有難いご配慮が小和田雅子を更につけあがらせることとなった。彼女は天皇陛下と皇族方を見下す反面、自分の両親は両陛下と同等と捉えていた。
権利と肩書に釣られ結婚した。皇太子殿下のことなど微塵も愛していなかった。あの日からじき33年が経過するが、小和田雅子は退化の一途を辿り、それは天皇陛下も全く同じ道を辿られたのである。小和田家に引きずり込まれた陛下は、あれほど大切になさっていた紀子妃殿下を小和田雅子が徹底的に苛め抜く姿を、どんな思いで見ていたのだろうか。いつか伺ってみたいものだ。


平成10年産まれなので、雅子さまと当時皇太子だった天皇陛下との結婚のときは産まれてません。 驚いたのは、雅子さまは皇太子妃のときに、公務のほとんどを欠席されていた。というのを後からわかってビックリしました。
結婚後2ヶ月経つか経たないかくらいから欠席を頻発させ、出産から2年して帯状疱疹を発症したと言い出し、翌年適応障害になり公務の一切を放棄するようになった、という流れです。 現在は大きな催しには出席していますが、直前にならないと出席するのかしないのか分からないため現場は大混乱です。何…
100%同意いたします。
ありがとうございます。