皇后 雅子について語る -8-
小和田雅子に「実力」など備わっていない
小和田雅子が入内する2年前、秋篠宮家に眞子内親王殿下が誕生された。まことお可愛らしい内親王殿下は、成長されるにつれ秋篠宮殿下によく似てこられ、初孫をご覧になる上皇陛下の相好の崩し方にくすぐったいような気持ちを抱いたことを覚えている。皇室が皇室らしくあった頃のことだ。
小和田雅子入内の日。両陛下のご様子は普段と違った。柔和な雰囲気が翳り、硬くなられているといっては大変失礼にあたるのだが、他の表現を思いつかない。秋篠宮同妃両殿下ご成婚の日と小和田雅子結婚の日を画像で比較してみる。
一瞬の切り取りということはあるまい。失礼ながらメディア対応は両陛下、百戦錬磨である。所謂「気を抜く」「素が出る」といったことは唯の一度もおありでない。ご結婚の頃、既に天皇ご一家と交流され、上皇后陛下から「紀子ちゃん」と呼ばれていた紀子妃殿下。結婚2カ月前、紀宮殿下をもってして「まだゆっくりとお話をする機会はございませんが」と言わしめた小和田雅子。「さして知らない人だから」という理由で緊張感を帯びることは両陛下に起き得ない。既にこの頃から小和田雅子の異端ぶりに、ご懸念を示しておいでだったのではなかったかと拝察する。
「元外交官」とされていた小和田雅子。実のところ「父親の威光を借り外交官試験に合格しただけのへっぽこ事務員」だったわけだが、時はインターネット普及前、マスコミがそのような嘘を吐けば人々は信用してしまう。まして皇族方に関することなら尚更、といった時代。少し考えればたかだか6年程度在籍していただけの女性、と白けるわけだがあの当時、マスコミが報じた小和田雅子の人物像を疑う人は、殆どいなかった。当時の皇室に対する信頼の厚さが故のことであろう。それなのに雅子人気が出なかったのは偏に、彼女の人柄によるものと思われる。婚約前の不遜な態度、婚約後も凡そ皇室に入るような女性とは思えない、ガサツで小癪な言動。納采の儀においては帯に扇子を何故か中央に挿してしまい、儀式後誰からも教えてもらえなかったのか、それとも教えていただいたのに生来の生意気さ故なのか
「金色のペラペラした振袖を着た、扇子を帯の中央に挿している奇妙な人」
となってしまった。全てにおいて至らないくせに自分なりの解釈で「淑やかさ」演出し、それを惜しげもなく取り入れ振舞うという最高に間抜けな姿であったわけだが、私たち国民はそんな女性を網膜に、脳裏に、記憶に、焼き付けたのであった。その結果
(この人に皇太子妃は務まらない)
という口に出せない思いが、不安や不満となり蓄積してしまったが故、マスコミがどんなに持ち上げようと誘導される人はあまり見られなかったのだと類推する。
外交官としての実務経験は全くない
「鳴り物入り」「清原級」と当時のマスコミが小和田雅子を持ち上げたのは「未来の皇太子妃になる女性」と見做されていたからであろう。親の七光りで公務員になる人はそれなりにいた時代。その殆どが余所ではどうにもならない人材であったことについては「そういう時代だった」としか言いようがない。小和田雅子はその一群に属していた。入省したはいいがあまりに仕事ができないので同僚が上司に相談、困った上司が小和田事務次官に
「お嬢さんに何をさせたらいいのでしょう?」
と尋ねるまでになってしまう。当の小和田事務次官は
「そんなことは君が考え給え」
と、とんでもない回答を寄越したという。それならばと一日中デスクに腰掛け、弁当のメニュー選びと化粧直しに余念がない小和田雅子に「好きに過ごしていいよ」となどと声を掛ければ、小和田雅子は「プライドを傷つけられた」と大いに檄したことであろう。騒ぎを聞きつけた事務次官が娘に対し
「お前が不出来だからこういうことになるんだ。少しは弁えなさい」
と諭すだろうか?恐らくは進言を寄越した上司に
「貴様は何をやっているんだ!!」
と激怒し、場合によっては左遷されることも大いに予見される、そんな関係性。自然と腫れ物に触るような扱いに堕ち、世間話には応じてもらえても仕事に関しては全く無視されるようになる。外務省でなくても起きうる事態。同僚や先輩・上司の苦労が偲ばれる。
小和田雅子が外務省に入省したのは1987年。結婚が1993年。在籍期間は6年である。うち英国留学に1年6ヶ月費やした。同僚は全員当初の予定通り6ヶ月で帰国。雅子はひとりだけ論文を仕上げられず、1年もの期間留学を延長した。マスコミは「深夜に及ぶ残業にも弱音を吐かないパワフルさ!ニックネームは『タフネスまーちゃん』」と臆面もなく褒めそやしたが、聞けば定時を大幅に過ぎて出勤、昼食を摂ったら1時間に1回化粧直し。夕刻すぎて漸く仕事に手伸ばすという有様であったらしい。夜食は焼肉弁当、ロッカーにはカップ麺が常備してあったそうだが、そんな情報が必要だっただろうか?仕事に励んだ女性なら
「内勤においては時間を忘れ、化粧が崩れていることも気にせず仕事に没頭。しかしひとたび人前に出るとなればすぐに身だしなみを整え、控えめながらも芯の強さを窺わせる雰囲気を漂わせた。もてなしも一流。相手を飽きさせないトーク、繊細なフォローは折り紙付き。時には省を超え仕事の依頼があったほど」
同じ歯の浮くようなお世辞でも、実務を知る人ならこの程度は捻り出せるはずだ。小和田雅子の人物像を作り上げたのは母親の優美子氏と噂されるのは、こういった
・言葉のチョイスにおける絶望的センスのなさ
・カビが生えたエッセンスをたっぷりふりかけてしまう
・社会を知らない人が知ったかぶるが故ありえない人物像が出来上がる
と、全てが下らないコントのように仕上がってしまったが為である。
「タフネスまーちゃん」はニックネームに成り得ない。長すぎる。優美子氏には友人がいなかったのかも知れない。
6か国語話せるというファンタジー
小和田雅子はロシア語・フランス語・スペイン語・英語・ドイツ語の6か国語に堪能、らしい。婚約時からすると何か国語か増えているように感じるが論点はそこではない。彼女の話す日本語は壊滅的だ。母国語が上手く操れない人に外国語習得は不可能なのだ。たとえば日本語で
「四季のうち春が好きです。何故なら木の芽が膨らみ花が咲き、暖かくなれば人々の心も更に温かくなった、そのような気分になれるからです」
さ、小和田雅子よ。これをスペイン語に訳してみろ。
という冗談はさておき、彼女は自国・他国の言語を殆ど操れない。伝えたいことがあったとき、名詞を連呼することは知られているが「てにをは」の扱いが極端に不得手である。敬語と謙譲語の区別もつかない。
「皇太子さまのおみ足をお引っ張り申し上げないよう」
と会見で口にしているが、宮内庁HPにもしっかりその記録が残されている。これを恥じ改められる人であったなら、それなりに迎合される妃になれただろうが、そんなことができたなら外務省でもそれなりに働けていたはずだ。2002年、オーストラリアを旅行しコアラを抱っこして
「So cute! So fluffy!!」
と発言している。YouTubeで検索すれば視聴できる。元外交官、マルチリンガルが聞いて呆れる。
個体により能力差はあるだろうが、5か国語までは習得できるとする調査結果があるらしい。それによると、6か国語以上の習得は難易度が格段に上がるのだそうだ。小和田雅子が6か国語を自在に操れると「一部ファン」が吹聴するのは、これが理由かも知れない。婚約内定の頃は英語とロシア語が話せる、程度の報道だったと記憶している。フランスはイギリス留学中に両親に会いに行くため経由していた程度、スペインは親しいことにされているレティシア王妃がいる国、ドイツ語に堪能なのは紀子妃殿下なのだが名前をすり替えた、だけだろうが敢えてこの点にはこれ以上触れずにおく。
さりとて英語とロシア語に精通している訳ではない。英語に関しては上記の通り、ロシアに滞在していたのは未就学児の頃。ペラペラなら1993年に開催された東京サミットにおいて、エリツィン大統領と「流暢に会話」しているだろう。
多言語話せるというなら堂々と話してみればいい。トランプ大統領夫妻と会見するのに何故通訳が2人も付いた?先月のマクロン大統領夫妻との会見は英語で交わされた。2019年の来日時においては通訳がそれぞれ傍らに付いている。
大体皇族が「通訳なしに国外からの来賓と会話した」ことに何の意味があろうか。皇族の外国についての役割とは国際親善であり外交ではない。外務省時代ひたすらにお荷物でしかなかった小和田雅子に「皇室外交」などなせるはずもないことだ。
外国語ができなかろうが、仕事ができなかろうが、等身大の自分を恥じることなく晒しだせる女性が、愛情をもって皇太子殿下の元に嫁いだのであれば私たち国民は、失点だらけの皇太子妃でも誕生を喜んだだろう。男児に恵まれず日々泣き暮らしているというなら励ましただろう。「紀子妃殿下お願いします!」と望みを託しただろう。皇室とはそういう存在であり、皇太子妃とはそういう立場にある。何もできない自分を過信した恥知らずが、反対する人々を薙ぎ払い、その座を掴んだ。血肉に塗れた汚い手で。
尊敬・畏怖・羨望。上皇后陛下が、紀子妃殿下が、得られた国民からの信頼を小和田雅子が得られなかったのは、小和田雅子の小和田雅子たる所以である。誰の所為でもない。


何もかもおっしゃる通りです。世間にもこの実像をもっと知ってもらいたいものです。
私もそれを望んでいます。