1.諾否の自由があったことを否定する根拠
昨日、労働者性の判断にあたり、「諾否の自由」が重要な考慮要素とされている一方、その意味内容が良く分からないという話をしました。
意味内容が分からないことは、労働者側から見ると、
① 諾否の自由がなかったというためには、何を立証したら良いのか、
② 諾否の自由があったとの使用者の主張を排斥するには、何を立証したらよいのか、
を明確に把握できないことを意味します。
東京高判令8.1.15労働判例ジャーナル168-1 東京海洋大学事件は、この諾否の自由の立証命題との関係で、昨日紹介した以外の点でも、参考になる判断を示しています。何が参考になるのかというと、契約交渉段階における力関係(バーゲニングパワー)に着目して「実質的な意味での・・・諾否の自由があったといえるのかは疑問である」と判示されている点です。
2.東京海洋大学事件
本件で被告(被控訴人)になったのは、東京海洋大学を設置する国立大学法人です。
原告(控訴人)になったのは、平成17年4月以降、被告大学と期間1年の「委嘱契約」を交わし、これを更新しながら非常勤講師として勤務してきた方です。令和4年度の委嘱を行わないと告げられたことを受け、「委嘱契約」は労働契約であると主張し、労働契約法に基づく無期転換権を行使したと主張し、労働契約上の地位の確認等を求める訴えを提起しました。
原審裁判所が原告の請求を棄却したことを受け、原告側が控訴したのが本件です。
本件は原審の判断を破棄し、原告には労働者性があるとして、地位確認請求を認めました。その結論を導くにあたり、諾否の自由については、次のような判断を示しました。
(裁判所の判断)
「諾否の自由の有無を労働者性の判断要素として検討する際、労務供給者が既に労務受領者と契約関係にある場合と、両者の契約の締結段階の場合とを区別して考える必要がある・・・。」
「特に前者の場合に留意が必要となるのは、労働契約の下においても、労働者と使用者との間に当該労働者の職種や業務内容を特定のものに限定する旨の合意がある場合には、使用者は、労働者の個別の同意なしには当該合意に反する業務命令をする権限を有しないという点(最高裁令和6年4月26日第二小法廷判決・裁判集民事271号109頁参照)である。」
「前記認定事実のとおり、本件契約においては、被控訴人が控訴人に委嘱する業務として、担当科目(基礎微積分〈1〉、同〈2〉、数理解析、線形代数)、開講学期(一学期、二学期、後学期)、曜日及び時限、総時間数が定められていたことから、控訴人は、被控訴人に対し、この契約内容に従い、当該担当科目の講義を、定められた学期の、定められた曜日の時限において、定められた時間数で実施する義務を負っていたと認められる一方、被控訴人大学の教職員が実施するその他の業務である入試業務や広報業務(オープンキャンパスの対応等)、教職員対象の研修会への参加といった業務を実施する義務があったとは認められず、実際にも、控訴人に対し、本件契約で通常予定されていない業務の実施を命令・依頼等したり、本件契約で通常予定された業務の変更を命令・依頼等した事実もない・・・。」
「以上の事実を、控訴人と被控訴人が既に契約関係にある場面を前提に検討すると、本件契約が労働契約であれ、請負契約又は準委任契約であれ、その業務内容を特定のもの(担当科目の講義)に限定する旨の合意があり、そのため、控訴人は、当該合意に反する仕事等の依頼を拒否する自由を有するという、当然の事理を示すにすぎないと理解するのが相当である。これをもって、控訴人の労働者性を否定する事情と評価することは相当でない。」
「他方、控訴人は、控訴人を含む非常勤講師において、担当する科目、開講学期、曜日、時限、時間数、開講場所等は、全て大学側が一方的に決定しており、控訴人に諾否の自由はなかった旨主張する。しかし、この点は、控訴人が担当科目の講義を行うという業務内容自体から必然的に導かれるものであり、労働者性を積極的に基礎づける要素と解することもできない。」
「次に、契約の締結段階の場面を想定すると、確かに、控訴人は、被控訴人による委嘱の依頼(担当科目、開講学期、曜日、時限、時間数等を特定したもの)に対し、これを拒絶する自由を有していたということはできる。しかし、そのような抽象的な意味における諾否の自由は、労働契約であっても異なるものではない。むしろ、控訴人と被控訴人との契約交渉場面における力関係(バーゲニングパワー)の格差に着目すれば、実質的な意味で控訴人に諾否の自由があったといえるかは疑問である。」
「以上の考慮要素・・・をまとめると、形式的に見れば、仕事の依頼・業務従事の指示等に対する諾否の自由があったといえる側面もあれば、自由はなかったといえる側面もあるものの、本件契約の特性を踏まえて考えると、必ずしも労働者性を肯定する方向にも、否定する方向にも結び付けて考えることは困難というべきである。」
3.契約締結段階の場面での力関係が考慮された
「契約締結の自由」という言葉があります。これは契約を締結するのか否かは当事者の自由であり、契約の締結を強制されることはないという原則です。労働契約においても、基本的にはこの原則が当てはまります。労働者は意に沿わない使用者との契約の締結を強いられることはありません。
この契約締結の自由が強調されるためか、従前の裁判例では契約交渉場面に着目して諾否の自由の有無を判断するという問題意識に乏かったように思います。
しかし、本件の裁判所は、
既に労務受領者と契約関係にある場合のほか、
契約締結段階の場合も諾否の自由の判断にあたっての考慮要素となることを示し、
「控訴人と被控訴人との契約交渉場面における力関係(バーゲニングパワー)の格差に着目すれば、実質的な意味で控訴人に諾否の自由があったといえるかは疑問である」
とバーゲニングパワーの大小が諾否の自由があることを減殺する要素になることを示唆しました。
バーゲニングパワーに格差があるからといって諾否の自由がなかったという評価まではしていないにせよ、これが諾否の自由に疑問を入れる要素になることを示した点は、画期的な判断だと思います。大学講師をはじめ多くの事案で活用できる可能性のある理論を示したものとして、本裁判例は、実務上参考になります。