シリーズ「イマジン 戦争をさせないために」
シリーズ
「イマジン 戦争をさせないために」
2026年3月、熊本市の陸上自衛隊・健軍駐屯地に長射程ミサイル「25式地対艦誘導弾」が搬入、配備された。ミサイルの射程はおよそ1000km。朝鮮半島や中国の沿岸部が射程圏内に入り、自衛隊が初めて相手の拠点を攻撃する能力を得たことになる。
健軍駐屯地のそばには、市民病院や学校が立ち並ぶ。
ところが住民への説明もなければ、いざという時の避難計画もない。疑問を呈する人々の声は踏みにじられている。
配備はなぜ熊本からだったのか。
深夜の強行搬入
健軍駐屯地周辺=Google Earth Studio
健軍駐屯地周辺=Google Earth Studio
「来た!」
2026年3月9日午前0時過ぎ、天気は晴れ。健軍駐屯地前の道路に、黒い車両が低い音を立てながら右折してきた。駐屯地の「日の出門」から、ぞろぞろと中に入っていく。全部で4台。車体が長いため、2台目は曲がりきれずに、後輪が中央分離帯に少し乗り上げた。
車両は、長射程ミサイルの発射装置だ。
海北由希子は、日の出門から道路を挟んだ向かいに立っていた。周囲には警備の警察官や、自衛隊員の姿がある。
すると警察官の男が1人、前に立ちはだかり、海北を制止した。両腕を海北の胴体を挟むようにして、伸ばした。
「やめてください! 胸に手が当たってます」
海北は搬入の様子を、スマホで撮影しライブで配信していた。警察官は立ち止まっていた海北に、「危ないです」と繰り返す。他の警察官たちは無言で、不気味な静けさがあった。
ミサイル発射装置は、海北の目の前を赤信号を無視して通り過ぎて行った。あっという間の搬入だった。
搬入が終わると、警備の警察官や機動隊も駐屯地の中に消えた。去り際に1人が、その場にいる人たちに向けて声を張り上げた。
「ご協力ありがとうございました!」
1km圏内に盲学校、ろう学校も
海北由希子は市民団体、「平和を求め軍拡を許さない女たちの会 熊本」の事務局長だ。普段は医療通訳として働き、技能実習生など外国人労働者の支援もしている。
海北たち市民が健軍駐屯地へのミサイル配備に反対するのには、理由がある。
健軍駐屯地は、熊本市東区の街中に位置する。周囲には1km圏内だけでも、小学校、中学校、高校のほか、障がいなどで支援が必要な生徒が通う特別支援学校、盲学校、ろう学校、市民病院もある。
健軍駐屯地周辺の民間施設
健軍駐屯地周辺の民間施設
軍事基地は戦争の際、攻撃の標的になる。
今年2月28日に、米国はイランの小学校に長射程巡航ミサイル「トマホーク」を撃ちこんだ。160人以上の子どもと教師たちが命を落としている。
この小学校は、イランの海軍基地に隣接していた。米軍は「決して民間目標を攻撃しない」と表明しているが、たとえ誤爆だったとしても、市民が巻き込まれた。
軍事施設のある地域では、市民も犠牲になるということは歴史が証明している。太平洋戦争末期には、軍事施設の集中していた軍都・広島と、造船所や製鋼所、兵器製造工場の多かった長崎に原爆が投下された。
しかし3月13日、防衛省の定例記者会見で、自衛官のトップである内倉浩昭・統合幕僚長は、ミサイル配備地域の住民の不安について問われ、次のように答えた。
「不安が出ていることは承知しているが、指摘のようなことよりも、スタンド・オフ能力を具備することがより一層の抑止力・対処力を高めることにつながる。その効果の方が大きい」
内倉は鹿児島県出身。航空幕僚長を経て、2025年8月1日に統合幕僚長に就任した。着任式では、「一層のスピード感を持って、防衛力の抜本的強化を推し進めなければいけない」と語っている。
防衛省や政府はこれまで健軍周辺の住民に対し、ミサイル配備に関する説明会を一切開いていない。防衛大臣の小泉進次郎は、説明会は開催しないと明言している。
「てめえふざけんな!」
ミサイル車両が健軍駐屯地の中に消えたあとも、深夜の現場は混乱が続いた。
反対の声をあげるために集まった市民や「女たちの会」のメンバーが、罵声を浴びせられていた。
「なんがミサイル反対か!」
「てめえふざけんな!」
泣き出す人もいた。
だが、こうした嫌がらせは今に始まったことではない。市民が抗議デモや集会を開くたび、右翼活動家が駆けつける。
暴言を吐くだけでなく、先の尖った長い棒を持って向かってきたり、車をぶつけようとしてきたことさえあった。
傍観する警察
健軍駐屯地=熊本市で2026年4月12日、友永翔大撮影
健軍駐屯地=熊本市で2026年4月12日、友永翔大撮影
海北は、女たちの会のメンバーがワーワーと怒鳴られている状況を見て、近くにいた自衛隊員に訴えた。
「あの人たちを止めてください」
「なんとかならないんですか!」
自衛隊員の男は、「それは警察の仕事なので」と言った。しかしその警察も動かない。
「警察も全然止めてないです!」
「なんで助けてくれないんですか」
訴えながら、海北は涙が止まらなかった。悲しかったのではない。
公権力は決して市民の味方をしないことを、思い知らされて悔しかった。同時に思った。
「やっぱり、そうだろうね」
海北にとって、初めての経験ではなかった。
水俣病患者に向き合った父への冷たい目
海北は熊本県山鹿市で育った。父親は医師だった。
父が人生をかけていたのが、水俣病患者の治療だ。
勤務先の病院が休みになる日曜日には、ボロボロの日産「サニー」を走らせ、数時間かけて水俣へ通った。海北は4人きょうだいの一番上。母は妹と弟たちの子育てで忙しい。道中、父が眠らないように同行するのが、海北の役目だった。小学校に上がる前のことだ。
水俣病には根本的な治療法がない。1970年代当時は、原因さえわからないことが多かった。それでも父は患者の治療に没頭した。
だが世間は冷たい。父のことを「ヤブ医者だ」と噂する人たちもいた。
「治そうとしても、治らない。父の姿を見ているのがつらくて、水俣病が大嫌いだと思っていた」
海北自身も、つらい思いをした。小学校に上がると、学校の教師が同級生たちに、海北には近付かないよう言った。
「お父さんが水俣に行っていて、病気がうつるから、みなさんは近づいたらいけませんよ」
中学校に入った後も、水俣病への偏見を口にする教師がいた。それを信じる生徒もいた。
とにかく日本から出て行きたい。高校を卒業して1週間後、海北は米国に渡った。
2026年3月9日、健軍駐屯地の前で海北が抱いたのは、あの時と同じ気持ちだった。
「やっぱりこの国は変わっていない」
(敬称略)
公開日:2026年5月5日
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