「このままではうまくいかない」──JAXA宇宙科学研究所・藤本所長が示す危機と変革のビジョン
2026年の幕開けとともに、JAXA宇宙科学研究所の藤本正樹所長が発表した「JAXA 宇宙科学研究所の2026年 このままではうまくいかない」という声明が注目を集めています。この率直なメッセージは、日本の宇宙科学が直面する三つの危機と、それを乗り越えるための変革の道筋を示すものです。
https://www.isas.jaxa.jp/missions/documents/files/isas_202601_f.pdf
突きつけられた三つの深刻な課題
藤本所長は2025年4月に就任した際、「打ち上げがなく静かな年」という楽観的な見通しが、実は「このまま何もしないと将来のミッションが無くなってしまう」という危機的状況だったと振り返ります。
宇宙科学研究所が直面している課題は、次の三つです。
1. イプシロン問題
公募型小型計画を打ち上げるロケット「イプシロン」の能力に見通しが立たず、小型計画の運営が進められない状態が続いています。日本の固体ロケット技術は確立されていたはずでしたが、イプシロンS(民間化に向けた新型機)の開発が難航し、2024年度の実証機打上げ計画も延期を余儀なくされています。
2. メーカー問題
日本の宇宙活動が活発化する中、メーカー各社は様々な案件で多忙を極めています。加えて、宇宙科学の仕事は「ややこしい一品もので利益率が低い」という特徴があり、メーカーがISASの仕事を引き受けなくなりつつあるのです。この問題は、技術だけでなく産業構造そのものに関わる深刻な課題です。
3. NASA問題
トランプ政権下で、NASAの予算大幅削減と科学ミッションの多数キャンセルが宣言されました。2026年度予算案では約24%削減が提案され、火星試料回収(MSR)などの科学ミッションの大幅見直しも含まれています。
長年のパートナーであるNASAの先行きが見通せないことは、国際協力を前提とした宇宙科学計画に大きな影響を及ぼします。
「このままではダメ」という覚悟から生まれる変革
藤本所長は、これらの危機に直面したことで、「約束したことを継続するしかない」という消極的姿勢から脱却し、「日本の宇宙科学をどうにか元気にするためにモノゴトを変えていく」という積極的な覚悟を得たと語ります。
その基本方針は明確です。
中型計画で世界を驚かせる
ISASの最大の強みは、世界レベルでは決して大規模ではないミッション規模で、ある問題に「答えを出す」よりも、新しい答えの出し方に「世界で初めて踏み出す」スタイルにあると位置づけます。この独創性こそが、日本の宇宙科学コミュニティの存在感を高め、海外大型計画への参加機会を生み出す源泉となるのです。
小型計画は思い切った割り切りを
一方で小型計画については、準備期間の短縮とミッション頻度の向上を重視し、既存技術を最大限活用して、開発努力をコア新規要素だけに集中させる方針を示しています。
「やってみなはれ」精神の復活
藤本所長は若手からの重要な指摘を紹介します。「既存品を利用する小型計画」と「新規性バリバリの中型計画」の間のギャップが大きく、人材育成サイクルが破綻するのではないか、という懸念です。
この課題に対して、若手自らが解決策を提案しました。高頻度で宇宙実証を行う小規模実験の枠を立ち上げるべきだというのです。これがあってこそ、新しい宇宙システムを志向でき、世界を驚かせる中型計画の芽が出てくると主張します。
所長は、この構想を「『どうにかしてみせる』中堅の頑張りと『やってみなはれ』な若手の勢いでISASを回していこう」という言葉で表現します。実験設備を大事にし、実験場を活性化していくことの重要性も強調されています。
XRISMが示す「どうにかしてみせる」スタイル
この変革の精神は、実は既に現在進行形のミッションで体現されています。2023年9月に打ち上げられたX線天文衛星XRISMは、検出器の保護膜が開放できないトラブルに見舞われ、当初期待されていた低エネルギー側での高性能観測ができない状態です。
しかし藤本所長は、この困難な状況でこそISASの真価が発揮されていると指摘します。高エネルギー側での観測から大きな成果が出ているのです。これまで活用されてこなかった鉄輝線という情報源を高エネルギー分解能で観測した結果、嬉しい驚きを伴って大きな科学的知見が得られました。
「これはある意味で、『どうにかしてみせる』ことで世界を驚かせるISASスタイルがXRISMでも現れたと言えるのではないでしょうか」──藤本所長の言葉には、困難を創造的に乗り越える研究者の矜持が滲んでいます。
深化する日欧協力──新たな二つのミッション
危機脱出方策の方向性が見え始めた2025年11月末、ESA(欧州宇宙機関)から二つの重要な知らせが届きました。RAMSESとLiteBIRDという新たな日欧協力ミッションの進展です。
RAMSES──地球防衛ミッションへの挑戦
RAMSESは、2029年4月13日(金)に地球大接近する小惑星アポフィスを、大接近の前後にわたって近接観測する計画です。JAXAは赤外線カメラ、薄膜電池、そしてH3ロケットという三つの貢献アイテムを提供することを決断しました。
この協力は、はやぶさ2での実績を高く評価されたことに端を発しますが、通常では考えられない短期間でまとめ上げられました。背景には、小惑星探査における日本の確かな技術力と、ESAとの信頼関係の深化があります。
LiteBIRD──宇宙の始まりを探る
LiteBIRDは、宇宙の始まりであるインフレーションの痕跡を、宇宙背景放射(CMB)の偏光観測から探る計画です。これまで米国からの検出器提供が慣行化していた分野で、欧州製検出器開発プログラムをESA技術局が立ち上げるという画期的な決断がなされました。
藤本所長は、これを「LiteBIRDのためでありつつも欧州における宇宙観測ミッションの基盤整備ともなる話で、宇宙科学における日欧協力の関係性の良さを象徴する話」と評価します。
この二つの協力案件がESA技術局との協力である点も重要です。ESA技術局は地球防衛をテーマとするHERAミッションを速攻で開発・打ち上げた実績があり、ISASと「ウマが合う」部局なのです。
2026年の四つの大きなイベント
危機脱出方策の構築が進み、落ち着いた気分で迎えた2026年初頭。今年は四つの大きなミッション関連イベントが予定されており、すべてが日欧協力に関するもので、三つは小天体探査に関するものです。
(1) はやぶさ2♯の小惑星トリフネ高速フライバイ観測(2026年7月)
地球帰還後も宇宙を旅し続ける「はやぶさ2」は、小惑星トリフネに対して高速近接フライバイを実施します。このミッションには地球防衛テーマがあり、高速フライバイを制御して行うことでkinetic impactor(運動量衝突体)の技術を検証します。
(2) ESA主導HERA探査機の小惑星到着(2026年12月)
NASAのDART探査機が小惑星に衝突させた実験現場を詳細検証する計画です。地球防衛において必要となる軌道変更技術の実証を、はやぶさ2で実績のある赤外線カメラも貢献して検証します。
(3) 火星衛星探査機MMXの打ち上げ(2026年)
はやぶさ2に続けて小天体からサンプルを持ち帰る計画です。豪州も含めた様々なパートナーと協力し、複数言語で世界の広い範囲へとアプローチできるアウトリーチを展開します。
(4) ベピ・コロンボの水星周回軌道投入(2026年11月)
8年間の旅を経て、ESAとJAXAの共同ミッションが水星の軌道に入ります。この日欧協力の基盤は、長年の共同作業を通じて構築されてきたものです。
藤本所長は、「過去20年かけて成熟させてきた日欧協力関係からの成果を受け取りつつ、はやぶさ2以降でISASの大きな柱のひとつとなった小天体探査の成功で勢いをつけ、より広い範囲からの応援をいただき、自信を持って研究所の変身を進めることを加速します」と力強く宣言しています。
世界的視点から見た2026年の宇宙開発
2026年は、日本だけでなく世界中で歴史的な宇宙ミッションが計画されています。NASAのアルテミスII計画は、1972年以来54年ぶりに人類を月軌道へ送り出す試みであり、ブルーオリジンは民間月面着陸船「ブルームーンMK1」を月の南極付近へ送る予定です。
中国も2026年8月に嫦娥7号ミッションを月の南極へ送り込み、水氷探査を実施します。水氷の発見は月面基地建設において最も重要な資源となるため、各国が注力する分野です。
これらの動きを見ると、宇宙開発が国家主導から民間主導へと本格的に移行していることが分かります。競争と協調が共存する新しい宇宙開発のあり方が、技術革新を加速させ、打ち上げコストを低下させ、宇宙ビジネス全体の成長を促進しています。
失敗から学ぶ宇宙ビジネスの本質
2025年は宇宙産業にとって記録的な年でしたが、同時にロケットや宇宙機の失敗も数多く発生しました。インドのPSLV-XL、日本のH3ロケット(みちびき5号)、ドイツのIsar Aerospace、オーストラリアのGilmour Space、韓国のInnospaceなど、世界各地で打ち上げ失敗が報告されています。
しかし、Space.comが報じたように、失敗はリストに載ることを恥じるものではなく、宇宙開発における当然の過程です。SpaceXも初めて軌道に到達するまでに4回の打ち上げを要しましたし、Starshipも2025年に複数回の失敗を経て、8月と10月には主要目標をすべて達成しています。
失敗の数は、それだけ多くのプレイヤーが宇宙を目指している証でもあります。各国・各企業が「初めての挑戦」に果敢に臨んでいる事実は、宇宙産業の裾野が世界中に広がっている証拠なのです。
「やってみなはれ」と「どうにかしてみせる」の精神
藤本所長のメッセージで最も印象的なのは、危機を前向きに捉え、変革のエネルギーに変えようとする姿勢です。「このままではうまくいかない」という率直な問題認識から出発し、若手の「やってみなはれ」な挑戦と、中堅の「どうにかしてみせる」頑張りを組み合わせて、ISASを活性化させようとする構想は、技術論を超えた組織文化の変革を示唆しています。
実際、2025年12月には相模原市主導でJAXA大応援団が結成されるなど、地域社会からの支援も広がりつつあります。多くの方々に「頑張っているよね、面白くていいよね」と思っていただけるスタイルを打ち出すことが、危機脱出のためにも重要なのです。
NASA問題を超えて──深化する日欧関係
NASA予算削減という逆風は確かに深刻ですが、藤本所長の整理によれば、実はNASAよりもESAとの協力案件のほうが多いことが明らかになりました。しかも、日欧の関係性は進化し続けており、RAMSESやLiteBIRDという新たな果実を生み出しています。
2025年10月には、ESAが東京の「X-NIHONBASHI TOWER」内にアジア初となる活動拠点を開設することも発表されました。日欧協力は、単なるプロジェクトベースの協力から、戦略的パートナーシップへと深化しているのです。
NASA問題は、従来の協力関係を考え無しに継続するのではなく、建設的に考え直すよい機会でもあります。多極化する宇宙開発において、日本は日欧協力を基軸としながら、柔軟な国際協力戦略を展開できる立場にあるのです。
2026年──変身を加速する年
2020年12月6日、はやぶさ2がリュウグウからサンプルを持ち帰った日から5年。この間の進化には胸を張れるものがあり、それがあったからこそRAMSESという果実が生まれました。
同時に、「このままではうまくいかない」という課題も識別されており、打開していく方策も見えています。藤本所長の言葉を借りれば、「2020年12月6日にあらためて始まったISASの進化が、5年後の今、シフトアップを経て、さらに加速していきます」。
四つの大きなミッション関連イベントを控えた2026年。日欧協力の成果を受け取り、小天体探査の成功で勢いをつけ、より広い範囲からの応援を得て、自信を持って研究所の変身を進める──この決意が、日本の宇宙科学の新たな黄金期を切り拓くことを期待したいと思います。
「このままではうまくいかない」という率直な危機認識。それを変革のエネルギーに変える覚悟。そして「やってみなはれ」と「どうにかしてみせる」という二つの精神の融合。藤本所長のメッセージは、宇宙ビジネスに関心を持つ私たちにとって、技術だけでなく組織文化や協力戦略の重要性を教えてくれる貴重な示唆に満ちています。
参考記事
〇JAXA 宇宙科学研究所の 2026 年 このままではうまくいかない(2026年1月6日)
https://www.isas.jaxa.jp/missions/documents/files/isas_202601_f.pdf
〇トランプ政権で「宇宙ビジネス」はどう変わる?——規制、予算、スケジュールから読む意思決定のポイント(2025年8月15日)
〇2025年の宇宙開発、12の失敗から学ぶビジネスの真実(2025年12月29日)
〇2026年、宇宙が歴史を刻む年――軌道上から届いた新年の日の出と人類を待つ6つの大ミッション(2026年1月3日)
〇H3とイプシロンSロケットの開発難航をJAXAが報告(2025年9月30日)
〇米国の科学技術力に迫る危機-NASA科学予算を中心に(2025年9月18日)
〇日本橋がアジアの宇宙ビジネスハブに。ESAが初の常設拠点を開設(2025年11月28日)


コメント