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長安は地理的に、歴代王朝の主要な領域の真ん中よりもかなり西にずれています。ここは「関中」と呼ばれるように、中国の主要な領域からは函谷関や武関といった守備の固い難所を通って行かなければならないので、反乱が起きた場合の防衛に適しています。 一方、洛陽はその「関中」よりも東側の比較的平坦な地にあり、領土の真ん中に近くて交通の便が良いので経済的に有利です。しかし交通の便の良さは、内乱が起きたら守りに弱いことも意味します。 つまり、軍事的には長安、経済的には洛陽がすぐれています。 また、中国の統一王朝は東側はいつも海岸まで領土にしていますが、西側の広さはその王朝の勢力によって変わります。勢力の弱い王朝は、西にずれている長安は異民族の領地に近いことになるので、洛陽を選びがちになります。逆に強力な王朝は西域に進出して積極的に攻略し、経営していくので、西側にある長安を選ぶ傾向にあります。
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質問者からのお礼コメント
皆さん、ありがとうございました。
お礼日時:2015/11/20 19:17
その他の回答(2件)
長安の方が西側にあります(現在は西安)洛陽は東にあります。三国志で董卓が台頭してくる時代背景を確認すれば理解が深まりますよ。 京都や札幌の「碁盤の目」の町並みは長安がモデルです。
一言で言えば、場所が違います。 (地名が違うし、当たり前か?) 長安は、現在の陝西省(せんせいしょう)の省都でもある西安市。 前漢、北周、隋、唐など古代中国の主な時代の首都だった場所。 洛陽は、現在の河南省洛陽市。(河南省西部) 東周時代などの首都。 東周時代、長安から首都を遷したのを機に、古代中国の経済の中心地になり、後生首都が長安になった時も、洛陽を副都心にした王朝が多かったようです。 余談ですが、古都・京都。 平安京は長安城を元に作った、つまり「安」は長安が語源。 また、ほぼ同じ時代以降、京都を文学上の呼称で「洛陽」とも言うようになりました。もちろん古代中国の「洛陽」が語源です。(そのままの言葉) これが後世、朝廷があった京都に出張することを「上洛」と言うようになりました。時代劇でもよく出てくる言葉です。 今でも京都の地名用語である「洛中」も、洛陽の「洛」が語源です。