少し前から、因果応報はどのように起きるのか、メカニズムについて具体的に考えていました。


因果応報は私が10代の頃から座右の銘にしている言葉です。

悪いことをしたら必ず自分に悪いことが返ってくる、の意味が一般的には知られていますが、じつはその逆の、良いことをしたら自分に良いことが帰ってくるという意味もあります。

私はこっちの意味のほうが大切に感じており、こっちの素敵な因果応報を座右の銘にしているわけです。


他者に対し悪事を働いてしまったら、必ず自分に報復がくるほうの因果応報のメカニズムについて考えていました。


前までは、因果応報は人それぞれ起きるタイミングは違えど、悪事を働いてしまったらほぼ全ての人間に襲いかかる恐ろしいもので、この地球上のシステムの一部のようなものだと考えていました。



さて、ここ数年スピ系の方々とお話ししている中で、我々の上の次元(神とか呼ばれている方々)では、善悪の概念はなく、中庸ではないかと思うようになりました。神が善人ばかりだったら、世の中から貧困や戦争はとっくに無くなっていると思うのがひとつの理由としてあります。



因果応報は、神と呼ばれているような上の次元の存在が起こしているのではないとしたら、生きている人間の負の念と、守護霊が起こしているのではないかという結論に辿り着きました。


つまり、悪人からひどいことをされた被害者の恨み、怒りの念が積もり積もって生き霊となり、当の本人のところへ行き、憑くことがあると考えています。


憑かれたほうは体調が悪くなったり、事故に遭いやすくなったり、物を失くしやすくなったり…とそれぞれ色々なパターンの不幸に遭います。


あと、被害者の守護霊で負けん気が強い守護霊がいる場合、その守護霊が怒りながら悪人のもとへ行って憑くこともあるかなと思いますが、これは我々より1つ上の次元の話になるので、わからないためなんとも言えません。


対人関係において強い思いを抱いている人が生き霊となり、相手のもとへ行くことはよくあることみたいです。ストーカーの生き霊の話もたびたび聞いたことがあります。



よって、因果応報は地球上で必ず起こるシステムなどではなく、人から恨まれている悪人が、恨んできている人から強烈な負の念(生き霊)を受けている状態かと思いました。


まれに、悪人の先祖霊が見かねて「そんなことしちゃアカン!」と懲らしめているパターンや、自責の念にとらわれ、身の回りで不幸なことが起きたら「あんなことしたから因果応報が起きたんだ…」と思い込んでいる人もいそうです。


後者はあんまりいなさそうに思います。悪人になりきれない悪人は強い自責の念に囚われ、老人の年齢になるまでに自暴自棄になってしまいそうなイメージがあります。


因果応報について考えたときに毎回思いますが、悪いことはしないほうが身のためです。


因果応報の「悪いことをしたら自分に跳ね返ってくる」という意味より、「他者に良いことをしたらそれだけ自分にも良いことが返ってくる」という素敵な意味もあるということを、もっと世の中の人に知っていただきたいです。


私は陰でちまちまと徳を積み重ねていたら、厄年も後厄の年も何も起きませんでしたし、今年はどの占いでも自分の運勢は良くなかったのですが、働きづらかっただけでとくに悪いことはなにも起きました。悪いことといえば、テレビを2台子供に壊されたぐらいです。


ただこの理論でいうと、結局最後は自分の利益を考えているから薄汚い考え方だというのもチラッとは思いますが、他者に善意で良いことをするのはどう考えてもプラスであると思います。














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