【JRバス関東】多古本線を考察

令和8年4月1日から増便
 JRバス関東の成田空港支店が担当する多古本線(八日市場駅~多古台バスターミナル~航空科学博物館~三里塚~JR成田駅)について、あれこれ記載してみたい。
 東京から成田までは約68㎞で、京成本線とJR成田線(東京~千葉~成田、上野~我孫子~成田)の3ルートがある。成田市は人口約13万4千人で、成田山新勝寺のお膝元として、そして昭和53年に日本の玄関口である成田空港の開港により発展してきた。現在、成田空港は拡張工事が行なわれており、今後もさらなる発展が見込まれている。かつて、三里塚には宮内庁下総御料牧場があるのどかな農村地帯だったが(成田空港建設に伴い、昭和44年に栃木県高根沢町へ移転)、激しい成田空港建設反対運動で名が知られるようになった。三里塚は成田空港に近いことから、空港関係者が多く居住しており、空港関連企業も進出している。
 さて、多古本線の成田口(航空科学博物館~三里塚~JR成田駅)は1時間に1~2往復運行されており、東京や千葉への通勤通学客のほか、成田空港関係者の通勤、成田市に住む外国人の利用も見受けられる。八日市場駅・多古台バスターミナル系統のほか、成田空港乗り入れ系統も設定されており、貨物管理ビル前発着と、入構許可証所持者しか乗降できない第7貨物ビル発着がある。
 平成に入ってからは途中停留所も増え、利便性が向上している。三里塚から成田方面だけを見ても、三里塚-三里塚御料インパレスホテル(一部のみ経由)ー三里塚小学校前-宮下-三里塚郵便局前-大清水-遠山中学校前-遠山農協前-法華塚-八富成田斎場-大山口-向宿-寺台-松原-東町-成田山前-市役所前(降車専用)-京成成田(降車専用。「駅」は付かない)-JR成田駅となっている(赤字が新設停留所)。
 令和5年12月25日の改正では、成田口の運行本数は27往復だった。ところが、空の駅風和里しばやま、さくらの山経由が廃止された令和6年6月17日の改正(改悪❓)で21往復へ減便された。令和8年4月1日の改正で26往復へと再び増便された。下り始発は航空科学博物館5:13発のJR成田駅行、上り最終はJR成田駅22:40発の多古台バスターミナル行と運行時間帯が長い。全国各地で2024年問題による運転士不足で減便が進む中、増発されたのは特筆すべきことだ。あと2~3往復増えると便利であろうが、運転士不足などを踏まえると簡単なことではない。さらに、昨今のイラン情勢による燃料価格高騰が、経営コスト面で大きな打撃を受けていると思われ、特に同社は高速バスを多く運行しているので、燃料消費量が多い。
 残念なのは運行間隔が不揃いなことで、下りの航空科学博物館発JR成田駅行は12:23発(第7貨物ビル始発)の次が14:13発(貨物管理ビル前始発)、上りのJR成田駅10:10発貨物管理ビル前行の次は11:40発多古台バスターミナル行と著しく開いている。食事休憩なのか、この時間帯はJR成田駅で長めの折返し時間をとっているが、改善の余地があると思う。運行時刻をスライドさせたところで、休憩場所やハンドル時間は変わらない。
 一方、八日市場駅〜多古台バスターミナル間は利用者が少なく、JR成田駅発着が3往復、八日市場駅〜多古台バスターミナル間の区間便が1往復となっている。匝瑳高校と多古高校の通学生の利用がメインだ。匝瑳市内循環バスも令和5年4月1日の路線再編で多古本線並行区間が廃止され、現在はデマンド型交通が代替運行している。
 多古台バスターミナル発着は出入庫のための運行となっている。多古町の住民は、京成バス千葉イーストが受託運行する「多古-成田空港間シャトルバス」(道の駅多古~多古町役場前~染井~整備地区~成田空港第2ターミナル)を利用しているようだ。特に住母家付近は、空港拡張工事でC滑走路の建設が進めば道路が付け替えられ、JRバスの通る廃線跡も一部が姿を消すことになる。
DSC_1380.JPG↑JR成田駅の発車時刻表。貨物管理ビル前行と第7貨物ビル行は✈︎のマーク入り
DSC_1488.JPG↑JR成田駅で「三里塚経由成田空港・第7貨物ビル」を表示した多古本線。朝方に2本しか見られないレアな行先だ。車両は元国際興業のいすゞKL-LV280L1改
行政資料から見た多古本線
 「令和元年版成田市統計書」と「令和6年版成田市統計書」から、平成30年度と令和6年度の年間延べ利用人数を比較すると、平成30年度は250,901人に対し、令和6年度は340,860人と増加している。本来は5年前の令和元年度で比較したかったのだが、「新型コロナウイルスの影響により、調査を実施できていないため、利用客データの提供なし」(令和2年版同書より)だったことから、6年前の平成30年度とした。
 多古本線は成田市コミュニティバス「遠山ルート」以外に平行路線がないことも強みだ。かつては千葉交通も三里塚地区に路線を持っていたが、もともと運行本数は少なく、利用者のメインは富里市内だった。現在は京成バス千葉イースト(旧成田空港交通)が運行する三里塚循環線(第2ターミナル〜臨空ビル前・芝山千代田駅入口〜南部貨物地区〜航空科学博物館〜三里塚)が一部並行しているが、平日のみで運行回数も少ないことから、多古本線に影響はない。
 一方、令和7年度第3回成田市地域公共交通会議(令和8年1月19日開催)の資料によると、「令和7年度地域間幹線系統確保維持費国庫補助金」を受けている八日市場駅~JR成田駅系統における令和7年度(令和6年10月1日~令和7年9月30日)の年間輸送人員は7万6,806人(前年度8万8,626人)、経常収支は698万4,109円の赤字(同3,935万8,455円の赤字)、収支率は83.1%(同49.9%)、平均乗車密度は7.7人(同5.8人)、補助金額は783万5,500円(同1,231万6,000円)といずれも改善している(令和7年4月1日に運賃改定を実施)。令和6年6月17日の改正で、利用頻度の多い便に絞った減便により、平均乗車密度が改善し、収支率も向上した。なお、この数値は自治体ごとに区切っておらず、国庫補助を受けている3便に乗車した人員と運送収入を抽出していることに留意する必要がある。したがって、八日市場駅→多古本町間のような利用者だけでなく、三里塚小学校前→京成成田間といった利用者も含まれている。
 令和7年度第2回成田市地域公共交通会議(令和7年11月12日開催)で示された「成田市地域公共交通計画 令和6年度施策評価等一覧表」で、「令和6年4月にバス運転者の労働時間の改善基準告示見直しを受けて、6月にダイヤ改正を実施した」に対し、「ダイヤ改正したことで、1便あたりの乗車人数は増加したが、本数が減ったことでお客さまからご意見・ご要望が寄せられる」と報告。そのうえで、「ご意見・ご要望を踏まえ、ダイヤ改正を検討する」としており、これが今回の増便に実現した。おそらく、「本数が減って不便になった。増やしてほしい」という声であろう。
 JRバス関東としては、成田空港支店だけ運転士を増やすわけにはいかず、多古本線の行路を減らして「エアポートバス東京・成田」の増発に回したのではなかろうか。多古・富里~東京線もJRバス関東は撤退し、京成バス千葉イースト(旧千葉交通)の単独運行となっている。令和8年4月1日のダイヤ改正では、成田空港支店全体の運転士を増員したのか、「エアポートバス東京・成田」の担当便を他支店に振り替えたのか。成田空港支店では定期的に職場説明会を開催しているし、ハローワークでも求人を出している。
 バス待ち環境の改善では、「熱中症対策として、多古本線の成田バス停にてミストの設置を検討する」ことを挙げているが、それよりも、ベンチを増やしたり、囲いを設置するなどして雨に濡れないような検討を加速すべきだと思う(ベンチの場所が悪く、雨が降ると濡れて座れない)。
 新たな交通結節点における環境整備では、「成田空港の機能強化を受けて、今後も人口の増加が見込まれる三里塚周辺は、日常的に渋滞が激しく、朝夕は大幅な遅延が発生する」と指摘し、「当社が所有する三里塚バス停の可能性を検討する。また、日常的に渋滞が発生していることからも、この地点の道路インフラ改善は必須である」との考えを示している。また、成田市が令和元年7月2日に公表した「公共交通に関する基礎調査」では、市が実施したヒアリングに「三里塚交差点の改良(右折専用レーンの設置) 」を要望している。
 バリアフリー対策については、「車齢の若返りが急務であることから、ノンステップバスの導入が理想であるが、車両のバリアフリー化とバランスを取りながら、計画的に取り組む必要がある」としたうえで、「会社の方針を踏まえ、ノンステップバスの導入を目指していく」としている。ただし、最近はワンステップバスの移籍が続いており、ノンステップバスの普及率は足踏み状態となっている。
知られざる多古線の復活計画
 多古本線は、戦時中の不要不急路線として認定され、昭和19年1月11日に休止となった成田鉄道多古線の代替として、省営自動車が運行を開始したことは知られている。
 ところが、多古町の公式ホームページ「鉄路の記憶をバスが受け継ぐ――JRバス関東」では、成田鉄道多古線について「1946年に正式に廃止されたことで、鉄道の歴史が終わった――と思われがちです」と、含みを持たせた書き出しがある。
 その先には、「実はそれで終わりではありませんでした。高度経済成長期のなか、地元の強い要望を背景に、国鉄による成田~多古~八日市場方面への新たな路線新設計画が再び持ち上がったのです。1947年には国会で調査費が認可され、1950年には一部で用地買収も始まっていたと言われます。結局は、モータリゼーションの急激な進行と国鉄の財政難により、計画は中止となりましたが、この"幻の路線"こそ、地域にとってもう一つの『多古本線』だったのです」と書かれている(※下線は筆者)。
 国鉄が多古線を鉄道で復活させようとする動きがあったことを初めて知った。多古線は廃線だけでなく、未成線でもあったのだ。役場の公文書によるものなので、信憑性が極めて高い。
 高度経済成長期とは、おおむね昭和30年代中頃から昭和48年の第1次オイルショック前を指すが、昭和38年2月に発行された「千葉鉄道管理局史」では触れていないし、昭和39年に設立された日本鉄道建設公団の工事線にも上がっていない。用地買収を進めたところで、成田空港の建設によって分断されてしまう。大部分は成田鉄道の線路跡を再利用する予定だったのだろうが、買収済の用地を国鉄清算事業団が売却した形跡はない。おそらく、用地買収はすぐに中止となったようだ。
 この未成線の跡地は現在、多古台バスターミナルや一部道路用地として活用されているという。
 なお、今年は大正15年(1926年)に成田鉄道の前身である千葉県営鉄道の多古~八日市場間が開通したことにより、多古線が全通して100年を迎える記念の年となる(同時に762㎜から1,067㎜に改軌)。三里塚ののりばに「多古線全通100年」の説明看板が設置された。
CSC_1345.JPG↑三里塚に掲げられた「多古線全通100年」の説明看板

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