最近、日本に住む中国人の間で、日本の「排外主義」について語られることが増えています。ビザが厳しくなっているという声など、さまざまな意見が飛び交っています。正直に言えば、私自身も不安を抱えています。なぜなら、私は後戻りのできない人間であり、蓄えもほとんどないからです。
中国の農村で教師をしていた頃、私は官僚主義的な形式主義を公に批判する文章を書き、大きな社会的反響を呼びました。その後、上海震旦事件で宋庚一先生を支持したことにより、私も連座する形で影響を受け、妊娠中でありながら精神病院に収容されました。
それ以来、私はほとんど毎日、恐怖の中で生きています。故郷の権力が再び私に及ぶのではないかと怯えています。白紙運動の後、規制が緩和され始めた時期に、私は幼い子どもを連れて急いで日本へと渡りました。
日本に来た当初、私は日本語をほとんど話せず、家族の中で海外に出た者もいませんでした。この国についての理解は、文学や映像作品、そして貧しかった子ども時代に日本の善意ある人々から学費の支援を受けた記憶に限られていました。
日本に来てからは、まだ一歳にも満たない子どもの世話と執筆に追われ、日本語を学ぶ時間は限られ、上達も遅々として進みませんでした。日本にいてもなお、私は悪夢を見ることがあります。再び連れ去られ、自由を奪われる夢です。
それでも私は深く感謝しています。人生のどん底にあった私に、日本はやり直す機会を与えてくれました。子どもが無事に成長できる環境を与えてくれたことにも感謝しています。同時に、これまで静かに支えてくれた多くの中国の読者にも、心から感謝しています。
たとえ将来、日本が本当に排外的になり、外国人をすべて送り返すようなことがあったとしても、自分の出自に帰することと、この自分の選んだ、この国の国民が選択した事を尊重する以外私に何が出来るだろうか。言論の自由がなく、人としての基本的な尊厳すら十分に守られない国に生まれた自分に、自分の望む通りに、他国に何かを求める資格があるのでしょうか。
おそらく——自分の国を変える勇気も力も持てなかったからこそ、私たちはこの地球の流浪者になる道を選んだのだと思います。
私は後戻りのできない人間です。
我是一个没有退路的人
最近,许多在日华人开始讨论日本的“排外主义”,有人说签证变得更严格,各种声音此起彼伏。说实话,我也有自己的焦虑——因为我是一个没有退路的人,也没有什么积蓄。
在中国农村当老师时,我曾公开撰文批评官僚形式主义,引发了不小的社会反响;后来在上海震旦事件中声援宋庚一老师,也因此受到牵连,在怀有身孕的情况下被关进精神病院。
从那以后,我几乎每天都活在恐惧之中,担心家乡的权力再次伸向我。趁着白纸运动之后、管控刚刚放松的时机,我带着年幼的孩子匆匆来到日本。
初到日本时,我几乎不会一句日语,家族中也从未有人出过国。对这个国家的了解,仅限于文学影视作品,以及童年贫困时曾得到过日本好心人的资助,得以继续上学。
来到日本后,由于孩子尚未满一岁,我每天忙于照顾他和写作,能用来学习日语的时间非常有限,进展缓慢。即便身在日本,我依然常常做噩梦,梦见自己再次被强行带走,失去自由。
但我始终心怀感激——日本在我人生最低谷时给予了我重新开始的机会,让我的孩子能够平安成长;同时,我也感谢那些默默支持和帮助我的中国读者。
即使将来日本真的变得排外,把所有外国人都遣返回去,我又能做什么呢?除了接受自己的出身,以及尊重这个国家和这个国家的人民所作出的选择之外,我还能做什么呢?出生在一个没有言论自由、连基本人格尊严都难以得到保障的国家的我,又有什么资格,要求他国完全按照自己的意愿行事呢?
或许正因为如此——因为我们既没有能力、也没有勇气去改变自己的国家,才最终选择成为这颗星球上的流浪者。