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【上級者・指導者専用コラム】  現在、第3巻「文法」の更新作業が「接続詞」まで進んでいます。  単なる誤字脱字・誤変換の修正にとどまらず、大幅な追加執筆を行っているのですが、その中で「時・条件を表す副詞節の中では未来のことであってもwillを使わず直説法現在を用いる」という学校で習うルールについて深堀しました。  これは従属接続詞whenに関する解説の中でのコラムです:  when, where, what, whichなど「wh-」で始まる語は、疑問詞というグループで「分からないことを尋ねる」言葉として用いられますが、接続詞としての用法も古くから見られます。wh-は、印欧祖語まで遡ると「*kwo- 」という疑問・不定の語根にたどり着きます。それがゲルマン祖語で、*hwan- (いつ?、どのように?)、古英語: hwænne (いつ?)となり、古英語後期から、接続詞用法が発達しました。  「when SV」で「SがVするとき、したとき」という意味を表し、特に「まだしていない」この先を述べる場合は「V」が不定詞(原形)のまま叙想法(学校英語の「仮定法)」現在だったものが、その後、直説法現在に置き換わるようになりました。この変化は、ある日突然起きたわけではなく、中英語期(12世紀〜15世紀)に始まり、初期近代英語期(16世紀〜17世紀)にかけて完了した緩やかな変化です。  学校では、「時・条件を表す副詞節の中では、未来のことであってもwillを使わず、直説法現在を用いる」と習います。それは表面的には正しいことを述べていますが、本来、「直説法現在」というのは「現在における事実の描写」を用途としますので、「まだ起きていない、これから先の想定」には用いることができませんでした。つまり未来を意味する「when SV」の中でVには動詞の原形(叙想法現在=仮定法現在)が用いられました。それが時代が進むにつれて次のような変化が生じました。 1. 中英語期の「語尾の崩壊」(12世紀〜15世紀)  英語史において、仮定法が衰退した最大の原因は「発音の変化による語尾の消失」です。  古英語の時代、直説法(事実)と仮定法(未来・不確実)は、動詞の語尾の形で明確に区別されていました。しかし中英語期に入ると、アクセントのない語尾の母音がすべて曖昧母音(シュワー /ə/)になり、さらに語尾の子音(-nなど)も脱落し始めました。  これにより、「直説法現在の形」と「仮定法現在の形(原形)」が発音上・綴り上で区別できなくなる現象(形態的融合)が多くの動詞で発生しました。人々は「これは仮定法だ」と意識せずに、ただ同じ形を使っている状態になりつつありました。 2. シェイクスピアの時代:過渡期(16世紀〜17世紀初頭)  初期近代英語(16世紀〜17世紀)は、まさに仮定法から直説法への切り替わりの過渡期でした。  この時期(シェイクスピアの時代など)の文献を見ると、未来を表す when 節において、古い「仮定法(原形)」と新しい「直説法現在(三人称単数なら -s がつく形)」が完全に混在しています。 当時の文証の例: When he come... (古い仮定法:彼が来る時に) When he comes... (新しい直説法現在:彼が来る時に)  しかし、17世紀中頃に向かうにつれ、イギリス社会の日常会話では圧倒的に「直説法現在(comes)」が優勢になっていきました。 3. なぜ直説法が勝ったのか?(意味的な合理化)  形が区別できなくなった後、最終的に when 節で直説法現在が標準として定着したのには、言語の「意味的な合理化」という理由があります。 If 節(条件): 「もし〜なら(起きないかもしれない)」という強い不確実性があるため、仮定法の感覚が長く残りました。 When 節(時): 「(今はまだ起きていないが)いずれ確実にその時は来る」という前提があります。  人々は、「どうせ確実にその時が来るのだから、わざわざ『不確実・非現実』を表す仮定法を使う必要はなく、『事実』を述べる直説法で十分ではないか」と無意識に文法を再解釈(Reanalysis)したのです。また、主節で will などの助動詞によってすでに「未来」が示されているため、従属節までわざわざ未来や仮定の標識をつけるのは「情報の重複」であるとみなされました。 4,英語話者の心理的抵抗感  例えば、論理的に言うと「彼女がもし来たら」は、「まだ来ていない」ので、直説法現在の「if she comes」では表せないことになります。しかし、これが「if she comes」と変化した裏側には、英語話者の心理的な背景があると言えます。 (1)「If she come」への心理的抵抗 =「類推(Analogy)」の強力な引力  「論理的には原形だと分かっていても、she comes の方が落ち着く」というご指摘は、認知言語学でいう「類推(Analogy)による平準化」という現象そのものです。  人間の脳は、言語を処理する際に「例外」を嫌い、「最も頻度の高いお決まりのパターン」を全体に当てはめようとする強いバイアスを持っています。  日常会話の99%以上において、三人称単数の主語(she, he, it)の直後には -s がついた動詞(comes)が続きます。話者の脳内では [She] + [動詞-s] という強固な神経回路(チャンク)が形成されています。  そのため、いかに「if節の中だから」という論理的なルールがあっても、口を突いて出る瞬間に She come と言うことには、強烈な「違和感」や「認知的負荷」が伴います。この心理的な居心地の悪さを解消し、言い慣れたラクな形に揃えてしまおうとする無意識の力が、直説法(現在形)を定着させた最大の原動力です。 (2)「無教養と思われないか」という不安 = 社会言語学的な同調圧力  「三単現の-sさえつけない無教養な英語だと解釈されまいかという不安」というご指摘も、社会言語学における「過剰修正(Hypercorrection)」や「規範意識」の観点から非常に面白い視点です。  実は歴史を紐解くと、この点に関しては「少し皮肉な逆転現象」が起きていました。  18世紀頃、英語の文法をラテン語のように論理的で厳密なものにしようとした知識人や規範文法家(Prescriptivists)たちは、むしろ「If she come(仮定法)こそが論理的に正しく、教養ある英語だ!」と強く主張していました。彼らは、大衆が if 節の中で直説法(If she comes)を使うことを「論理の乱れ」として非難したのです。  しかし、一般の話者(特に中産階級など、言葉遣いで自分の社会的地位を証明したい層)の心理は違いました。  彼らにとって、三人称単数で -s を落とすことは、一部の方言や、教育を受けていない労働者階級の話し方(He don't... / She go... など)を連想させるリスクがありました。  「知識人は『論理的に原形にしろ』と言うが、実際の会話で "she come" なんて言ったら、ただ三単現の-sを知らない無学な人だと思われるのではないか?」  こうした心理的恐怖(プレッシャー)が働いたことは十分に考えられます。結果として、文法家たちがどれほど「仮定法(原形)を残せ」と叫んでも、大衆の「-s をつけておいた方が安心する(心理的にも社会的にも安全だ)」という圧倒的なうねりを止めることはできませんでした。  つまり「こうあるべきだ」という文法家の主張が「こう言いたい」という一般人の欲求に負けたという面白い結果になったわけなんですね。
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