没後8年 鉄人「衣笠祥雄」はなぜカープの監督になれなかったのか ハーフに生まれ、壮絶イジメに遭った“優しすぎる男”の差別とコンプレックス
デイリー新潮配信
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TBSのスポーツ番組で一緒に仕事をして、衣笠さんの優しさに触れたアナウンサーの方が衣笠さんの訃報を読んだのだが、その方の目は潤み、声も微妙に震えていた。 でも涙は落とさず、つかえも噛みもなく訃報を読み切った。 自分も訃報には大変ショックだったが、その方にもショックは大きかったろう。 そのニュースを見て、訃報の悲しさとプロアナウンサーの凄さに、自分が落涙したのは当然のことだった。
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80年代に読んだ衣笠さんの記事で、自分の血縁上の父は黒人米兵だが、自分にとっての父親は育ててくれた日本人の父だけ、彼以外の人は父ではないし、探す気も求める気もない、と言ったという記事と、若い頃、夜密かに英語の勉強をしていた。米兵だという父を探すためだった。それを見た先輩選手に英語を勉強するより野球で一流になれ、一流になったら名が知れて父親が向こうから名乗り出てくる、と諭されて目に涙を浮かべた、というエピソードに胸を打たれた。ファミリーヒストリーの草刈さんと父親の話を見た時、真っ先に衣笠さんの事が頭に浮かんだっけ。
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キヌさんは高卒とは言え、強豪平安高校で“強肩強打の捕手”として鳴らしていたので、そこだけを見れば大卒スターの山本に臆することはなかったはず。 アメ車に乗ってブイブイ言わせていた若い頃、打撃練習でもひたすら“マン振り”でバットを振るスタイルで、コーチが誰も何も言わなかった(言えなかった)。 あるコーチは、 『衣笠は日本人じゃないから』 と言ったエピソードも残っている。 当時、昭和40年代前半の日本野球では、まだ当然コンパクトなダウンスウィングが正とされていた時代。ブラックの血が入っているキヌさんには、時代背景も大いにあって周りからも距離を置かれる現実があったのだろう。 今で言えば、若い頃のヤンチャからチームリーダーとなるまで、全くダルと重なる。 サチの采配見てみたかった気がする。
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私は身体に障害ある為に、偏見差別、いじめは当たり前の近所でした。 「被害者の会」で良く話すんだけど、人を虐めたり偏見差別したら、必ず住民から悪い評判になり、同じ事が返ってくるねと、いつも話してます。 虐め偏見差別は、加害者です。 そんな人間にならなくて、私は良かった。 今はネットでも相談する所は、沢山ありますから、頑張って下さい。
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今はだいぶ解消されたが、広島は色々独特だった。 地元主義がいきすぎて、地元の選手への歓声とそれ以外の地域出身の選手への歓声が違っていた。 あれだけの人気、実績を残した高橋慶彦でさえ「関東弁話すな。広島の言葉を話せ!」とファンから凄まれた事もあったという。 また、球団内で法政・駒澤の学閥が強すぎて、地元以外出身で、なおかつ他の大学、地元外の高卒だとさらに肩身が狭かったという。 そういう意味では山本浩二は、地元出身で法政という地元ファンと球団幹部の理想のスター選手だった。 ただ、衣笠だったらそんな複雑な球団をめぐる環境でも良い指導者になれただろうに、意地を張った松田オーナーや、地元史上主義ファンは惜しい事をしたものだとつくづく思う。
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阪神ファンです。今まで100試合以上甲子園で見てきましたが、小4の時初めて親に甲子園に連れてってもらった事を未だに覚えています。 入場口階段から甲子園の外野芝生、そしてダイヤモンドの黒土が見えた時物凄く感動しました。 相手は広島戦、先発は左腕の大羽投手、阪神は村山投手でした。当時はまだ広島も赤ヘルの時代ではなかったです。何故衣笠選手を覚えているかというと、この時終盤に広島の捕手がいなくなり、衣笠選手がマスクをかぶった事を何故かしっかり覚えています。スタンドで衣笠は平安高校の時キャッチャーしてからな、なんて話してたのをなんで60年も前の事覚えているんだろう。 ついでにいうと、この試合9回2死まで1点差で負けていたけど鎌田選手が同点ホームランを打って、延長10回に田淵がセンター前ヒットでサヨナラ勝ちした。 昨日の事はすぐ忘れるのに昔の事は覚えてるものだな。
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亡くなる数日前にかすれる様な声で解説していたのを思い出す テレビで姿を見たら…とてつもなく痩せて…と言うかやつれた姿で驚いた 『鉄人』と呼ばれた衣笠さんもやはり当たり前だが『人間』なんだ…って改めて思ったね それにハーフたがらとか言ってイジメとかあったのに プロ野球選手まで登りつめた苦労人だろうから 指導者になれば人の心が解る良い指導者になったんじゃ無いかな?とか思ってしまう
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阿南監督の就任時、耕平オーナーは 「次は浩二、その次は衣笠」 と発言している。 リップサービスだったのか、後継となる元オーナーが阻んだのか。 カープから監督のオファーはあったが、コーチ等の人事権は全て球団側の条件だったので断ったとも聞く。 そして他球団は国民栄誉賞のビッグネームをカープを差し置いて招聘することは躊躇われたとも。 いずれにしても指導者としての衣笠を一度は見たかった。
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巡り合わせとか運とか自分の気持ちや力だけでは動かせられないものがやはりある。 しかし衣笠さんはそういったこともあるということを早くから悟り、自らわきまえ、律し、間をあえて置いていたのなら逆に賢い方だと思う。事実それを貫いた。 オーナーとの間の確執・・・人と人との関係だから実際のところ何があったか、なかったかは当事者でもない限りわからないが、全く何もないということはないだろう。無論単純にその人との相性もある。 ただ一旦こじれたものはなかなか修復できない。 今をもってもその関係が影を落としているのが高橋慶彦さんだ。あんなにカープを愛し、カープのために力になりたいと思っている人でも容易に解けないものもあるらしい。 賢明な衣笠さんはそれをよく察知し理解していた。 監督を任されても苦労するなら離れた立場からものを眺め、見るのも悪くはない。むしろその方がよい。その人の生き様だろう。
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プロ野球を見始めた時に衣笠祥雄さんの現役時代はアートネイチャーのCMで連続出場をしている選手との認識でしたが、巨人の西本選手がレットボールを当てて骨折した夜に西本選手本人からお詫びの電話があり、それを受けた衣笠祥雄さんが「あの後君は次の打者に2塁打を打たれた。投手というのはそんな事で動揺していては駄目だ。」と諭したと聞いて人格者だと尊敬していました。それでも門限破りの常習犯で、あの江夏豊さんと親友だったと聞いて意外だなあと思いました。 江夏の21球でも衣笠さんと仲がいいのがわかりました。
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